top of page

第九章 灼劫の聖都を駆ける

 

 

 

 テントの中は、異様な空気に包まれていました。

 サイファーの姉と名乗った武士は、凛と背筋を伸ばして正座を組んでいます。その対面で大男はきまりわるそうなたたずまい。あなたとクラリスは隅のベッドで並んでいました。白髪の相棒は状況についていけず、脚とサイドポニーをぷらぷらさせています。

「まさか、あなたまで来ていたとはね」

 ルクレチア・ノアニールは可憐に微笑んでいました。

「灰髪の大剣持ちアウトローがいる、というのは外の者から聞いたわ。もしやと思ったけれど、いつから慈善事業をするようになったの? この、愚弟が」

 最後のとってつけたような一言は、穏やかな笑みを浮かべながら甘い声音で言う台詞でしょうか。

「まったく、あなたはいつまでアウトローなんて続けているつもりなの? ノアニール家の次期当主ともあろう者がアウトローとして放浪中なんて、世間体が悪いことこの上無いのよ。わかる? パ……お父様は黙っているけれど、きっと悲嘆にくれていらっしゃるわよ」

 ふくよかな胸を乗せるように腕を組み、ルクレチアは肩をすくめました。さらさらと金髪を揺らし、大袈裟にため息を吐きます。相対するサイファーはというと、いつもの自信たっぷりの様子はどこへやら、苦々しげな顔で黙っているばかりです。姉に対する弟というよりは、母親に叱られる子供のようでした。

「……俺には、関係無いことだろう」

 やっとのことでサイファーが反論すると、女武士は再びため息を吐きました。

「関係あるに決まっているでしょう。お父様が体調を崩して引退してからというもの、武家の当主が席を空けるわけにもいかず、仕方なく私が当主代理をしているのよ。女に率いられる武士団、というのがどれだけ世間様から悪評を買うことになるのか。愚弟でも、わからないわけじゃないでしょ」

「そんなことは……ええい、知らん!」

「知らんじゃないでしょう?」

 そっぽを向いた大男に、先ほど同様に槍の尖刃が突きつけられます。ルクレチアが槍を取ったのはいつだったのか、あなたにも一瞬の出来事で認識することができませんでした。刃は微かにサイファーの喉の皮膚を裂き、細い血の流れが首を伝います。

「生意気よ。生意気なのよ、愚弟」

 薄い微笑みには、かすかな悦びが見えます。

「ちょ、ちょっと! さすがにダメだよ、落ち着いてってば!」

 家庭内のことだからと傍観していたクラリスですが、さすがに血を見ては飛び出していきます。必死な少女の乱入に、しかしルクレチアは表情一つ変えずにあっさり槍を下げました。サイファーが安堵の息を吐く中、彼の姉はクラリスに微笑みかけます。

「あなたは……愚弟のお仲間ね。たしか、イリーガル・リクディムだったかしら?」

「え、どうして名前を」

「僧侶から話は聞いているのよ」

 女武士は、一貫して優しい声色を崩しません。その態度に、クラリスも少しおびえた様子。先ほどまでのサイファーに対する彼女を見ていればごく当たり前の態度です。

 しかしその緊張の中、ルクレチアは膝の前に両手を並べ、

「弟がいつもお世話になっております」

 深々と頭を垂れたのでした。

 予想外の行動にクラリスは目を丸くしてあたふたとしています。そしてルクレチアとは打って変わって慌ただしい所作でベッドの上で正座を組むと、こちらも大袈裟なくらい頭を下げました。

「こ、こちらこそ、お世話になってます!」

 サイドポニーを振りながら顔を上げました。焦燥なのか照れなのか、その顔は真っ赤に染められており、声が上ずっています。ここまで狼狽するクラリスを見るのも珍しい気がします。今日は仲間の様々な面を見られる日ですね。主に良くない面ですが。

「でも、意外でしたわ。まさか愚弟がイリーガルを組む日が来るなんて、思いもしませんでしたから。それも、こんなに可愛らしい子がリーダーをしているイリーガルに」

「あれ? ぼく、リーダーって名乗ってた?」

「いいえ。ただの消去法ですわ」

 つまりは、サイファーがリーダーとしてイリーガルを結成するわけがないと確信しており、なおかつあなたはリーダーらしくない、と推測したということでしょうか。前者は歴史があるのだから口出しできないことだが、後者は失礼ではないでしょうか。

 あなたが喉につっかかる不服を必死に飲み込んでいたとき、クラリスがおずおずと尋ねました。

「あの……ノアニール家っていうと、あの武家の……」

「その通りですよ。大昔の英雄ヴィンセント・ノアニールの開いた、ヴァレア武士団の頂点に君臨する名だけが浮いた武家ですわ。ですから、私のような若輩者の女が当主を務められるほど安い家系ではありませんわ」

 穏やかな声色です。しかし、大昔、名だけが、女……と、彼女の物言いにはわずかなとげがあります。名のある家系に生まれたというだけで憎たらしいくらいに自慢する人がおりますが、ルクレチアはその正反対の性質を持つようです。加えて、女であることから腹の立つ物言いを受けてきたのでしょう。笑顔の裏に潜む暗い部分に、あなたは少しゾッとしました。

 しかしあなたの思いに見向きもせず、ルクレチアは「ですから」と続けました。

「サイファーをたぶらかせるなんて考えないでくださいましね。尻尾ちゃん」

「なぁっ! 何を言うこのバカ女!」

 ルクレチアの言葉に打たれて奇声をあげたのはクラリスではなく、サイファーでした。言葉を向けられたクラリスはというと、よく分からない様子で頭上にハテナを浮かせておりました。

「しっぽ、ちゃん?」

 挙句気になったのはそこでした。クラリスは自身を指差して問います。これにはサイファーも居住まいをなおしてばつの悪い顔。

「ええ、尻尾ちゃん」

 その姉もクラリスを指差して肯定します。正確には、相棒の側頭部で結われた一房の髪を指差しておりました。

「……ルクレチア、妙なあだ名を付けるな」

「じゃあ、しっぽっぽ」

「それをやめろと言っている」

「いや可愛いでしょう、おねえちゃん自分のハイセンスに驚きを隠せないわよ」

「やめてくれ……」

 弟に止められ仕方なしにこのあだ名を取り下げました。

「まあ、とにかく、そういうわけです」

「はあ……」

 クラリスは未だ状況を把握していないようです。説明役のサイファーが不調のため、あなたは自分が教えるしかないという義務感に押されて説明しようとしましたが、それを察したらしいサイファーの眼光に捉えられて動けませんでした。

微妙な空気が流れる中、ルクレチアは片手を着いて立ち上がります。今まで絶えることのなかった彼女の笑みが消え失せました。細められた瞳には、どこか無機質なものを感じました。

「ここからのお話は、サイファーの姉としてではなく、ヴァレア武士団指揮官としてお話させて頂きますわ」

 あなたたちは何も言えませんでした。

 それを肯定と受け取ったルクレチアは言葉を紡ぎだします。

「あなた方にもここを訪れた事情がお有りでしょうが、」

 ルクレチアは整った佇まいで、身を折り、告げました。

「どうか私達に、リクディムの力をお貸しください」

 

     ◆ ◆ ◆

 

 翌日は外から聞こえてくる喧噪で目を覚ましました。

 身を起こすと仲間の二人が先に起きて支度を整えております。あなたは二人におはようと言い、自分も準備を始めるのでした。

 そんな中、クラリスは全身をほぐすように体を伸ばしながら言いました。

「それにしても、サイファーがいいとこの家の子だったとはねー」

「その言い方はやめろ」

 昨日、ルクレチアが去った後は皆すぐに眠りについてしまったので、サイファーの身元について誰も言及していなかったのです。しかし疲れも取れた今、クラリスが黙っているわけがありません。

「どうして家を出たのさ」

「……」

 黙秘です。

「アウトローになるために家を出たの? それとも家を出なきゃいけない理由があって、それからアウトローになったの?」

「……」

 これも無反応。

 徹底的に答えるつもりがないようです。こうしてサイファーが顔をしかめて黙り込んだとき、急に怒り出さないかと不安に思った時期もありましたが、昨日の姉への対応を見れば恐れる必要がないことは明白です。サイファーは確かにぶっきらぼうでがさつではあるけれど、乱暴者ではありません。

 クラリスはにやにやしながら詰問を続けようとします。

 そんな相棒のサイドポニーを、あなたはぐいっと引っ張ります。

「いたい!」

――――しつこい。

 さすがにこれ以上は彼が不憫でなりません。言いたくなければ、黙らせておくのが幸いだと、あなたは判断したのです。

「う~~~、分かったよ、悪かったよ……」

 頭を押さえて涙目を向けてきたクラリスに、あなたは満足げに頷きます。

「ま、いつかサイファーの口から聞かせてよ」

 最後にクラリスは、にっこりとそう言いました。

 

 準備の最中のこと、あなたたちの眠るテントを訪れる者がいました。

「おはよう、ございます……」

 リミュニアです。今朝は黒袈裟姿ではなく、黒シャツに引きずるくらいに丈の長い同色のズボンを履いております。今まで袈裟のせいで体型が判然としませんでしたが、彼女は全体的にほっそりとした体つきをしています。ルクレチアとは、ある点で大きく違います。

 彼女の顔を見る限り、今日は昨日のように険悪になりそうにはありません。ものすごく叱られた後のようにしゅんと縮こまっています。

「ええと……今日も一日、しっかり励むように……以上。さらば」

「おーい、どこ行くんですか、僧正」

 逃げようとするリミュニアの襟首を掴み、元の位置に戻すハミルト。彼もまた動きやすそうな格好をしておりました。起きたばかりなのでしょうか、二人とも。

「ほら、昨日のこと謝りに来たんでしょ。さっさとごめんなさいって言っちゃってください」

「僧侶たる者、そう易々と頭を……ああもう拳を下げろ。いくらでも謝ってやるから」

 部下に無言で脅され、リミュニアがあなたたちに背を向けて大きく深呼吸。そして、よし!と拳を握りしめ、振り返ります。決意に満ちた、いい顔をしています。余裕はまるでなさそうですが。

「すまなかった! 感謝している!」

 少し棘の感じる言い方ですが、昨日の態度を見ればそれがどれほどのものか、分からないあなたたちではありませんでした。

「以上だ! あ、あと、別にアウトローを認めたわけではないからな! アウトローがろくでもない連中ではないという考えは変わらんぞ!」

 最後には結局アウトロー嫌いを披露してリミュニアは肩を怒らせながら去ってしまいました。尻尾のように伸びる髪が歩く度に揺れるのを、あなたはずっと見ていました。面白かったので。

「僧正のこと、悪く思わんでくださいね」

 置いて行かれたハミルトが腰に手を当てて苦笑混じりに言います。

「あんなですけど、本当に感謝はしてるんです。本当は昨日皆さんが戻ってきたときに真っ先に行こうとしてたんですけど、何やら武士の方と取り込んでたようなんで、遠慮させました」

 遠慮させた、ということはあの空気の中に飛び込もうとしたのでしょうか。

「どうしてリミュニアはあんなにアウトローを嫌ってるの?」

「教皇の教えですよ。今の教皇はアウトローをたいそう嫌ってるんで、その影響を強く受け過ぎてんですよ、うちの僧正は」

「やっぱ嫌な教皇だね……」

「いえいえ、アウトロー嫌い以外は非の打ち所のない人なんですよ。そうでなきゃ、僧正もあそこまで崇拝したりしません。正義感の強くて、良い人ですから」

 ハミルトの顔に優しい笑みが携えられます。そんな顔をされては、いくらクラリスでもリミュニアを悪く言うことは出来ません。

「あなたは、リミュニアさんを大事に思ってるんですね」

「あれでも尊敬する上司なんで」

 僧侶はにこにこと話します。

「うちは、隊とでも呼べない小さな班なんですが、今の僧正が来るまでは仕事と言えば清掃だの見回りだの、雑用みたいなことしかやらせてもらってなかったんです。それがあの人が来てからというもの、こうして救助活動に参加したり犯罪者を遠い異国まで追っかけたりするようになったんですよ。どうも僧正が上に頼みこんでやらせてもらってるらしいんですが、私達にはそれがありがたいんですよ。……人の役に立つってことの大切さを教えてくれた人ですから、ああ見えて」

 ハミルトは話し終えると、穏やかな笑みを浮かべたまま、最後に手を合わせて言いました。

「長々とすみません。じゃあ、今日の作戦、頑張ってください」

 ハミルトは笑みを残して去りました。

 

 あなたたちは準備を整えた後、表がどうなっているのかを確認するべくテントを出ました。まず目に飛び込んできたのは、人の群でした。黒い袈裟に錫杖を持つ者、獅子の紋章が施されたロングコートを羽織る者、正装とは言い難い軽装に様々な武器を持つ者。ひしめき合う、とまではいきませんが、それなりの人数が集まっているようです。続いて町の入口を見やると、幾人かの武士が昨日から引き続き救助活動を行なっているようでした。今日はあなたたちと同じアウトローの姿も見かけますね。僧侶は怪我の治療に当たっているようでした。日が昇ってから間もない時間ではありますが、既に本格的に動き出している気配があります。

「ルクレチアさんには門の前で待つよう言われてるけど、手伝わなくていいのかな?」

「体力を無駄に使おうとするなよ、たわけが。昨日の話を聞く限り、厄介な仕事になりそうだからな」

「うん、それは、そうなんだけどさ」

クラリスは目の前で起きていることより事に捉われやすい性格をしています。困っている人を放っておけない性分なので仕方のないことではありますが、こと今回に限りは耐えられたようです。

「教会までの道を作るのが、ぼくらの役目……」

 『ウェルディ』の魔法書を握りしめながらクラリスは自分に言い聞かせておりました。あなたも自分の手中にある魔法書を見つめます。

 あなたたちが頼まれたのは、無事にルクレチア達が石版を持って教会まで辿り着くための手助けです。無論あなたたち三人だけの役目ではありませんが、それでも指揮官直々に頼まれた仕事です。気合いが入らないわけがありません。

 作戦を開始するまでには少し時間があるようで、門扉の前にはあなたたちと同じ目的で集められた一団が待機しておりました。そのほとんどは、武士です。いえ、よく見まわしてみれば、武士以外には誰も集まっておりません。アウトローや僧侶は救助活動に全て回されているようです。つまり、あなたたち以外は、全て武士です。

――――本当にここであっているのか?

 この光景を目にしては、あなたが不安に思うのも無理はありませんでした。

「問題ないだろう。……見ろ」

 サイファーに促されて集団の方を見やると、ざわついていた集団の物音が急に止みました。疑問に首を傾げていると、透き通った女性の声が広場中に響き渡ります。

「それではこれより、作戦の説明をします」

 涼しげな語調であるにも関わらず、その声は姿の見えていないあなたたちの耳にもはっきりと伝わってきます。何らかの魔法により音声を拡大させているようですね。多少声音にノイズが走っているのは魔法によるものなのでしょう。その声の主を、あなたたちは知っています。あなたとクラリスは昨日散々聞き、サイファーはきっともっと前から知っていたことでしょうから。

 凛として響く女性、ルクレチアの声が紡がれます。

「聖都バプティスは魔法による火炎で壊滅的な被害を受けています。現在も消火活動を武士や僧侶、アウトローの皆様の協力の元、断続的に行なれていますわ。けれど、中には魔法であろうと自然物であろうと消火できない炎があり、作業は滞っております。実際に目撃した者もいることでしょうから、承知のこととは思いますが」

 確かに、あれは脅威でした。あなたの魔法の破壊力は武士や僧侶に決して遅れを取らないどころか、他の追随を許さぬ威力を持っておりましたが、それをもってしても消えぬ火にはまるで通じなかったのです。

「しかし、あの炎に対して有効な魔法を備えた石版を、私達は所持しております」

 その言葉にあちこちから歓声が上がります。中には特に反応を示さない武士もいましたが、それはきっとルクレチアと共に応援に来たヴァレア武士団の人達なのでしょう。逆に嬉々として声を出しているのはバプティスかその近辺に配属されている武士なのでしょう。違う国であるにも関わらず、制服が同じだというのは、紛らわしいものです。

 湧き上がる一同でありましたが、ルクレチアの次なる一言により、ざわめきの種類が大きく変わりました。

「ただし、この魔法を発動させるためには、水の多く溜まっている場所にこの石板を入れなければなりませんの。それも、この都市全域の炎を消そうと思えば、町の中央で発動させなければ完全とはならないことでしょう。この二つの条件を満たす場所は、この町に一か所しかありませんわ。……そう、ご想像の通り、教会です。加えて、教会には火災から逃れるために逃げ込んだ住民が取り残されております。此度の作戦は、炎を消し去ることと、この避難者を救い出すことにあります」

 戸惑いが波となり人群を伝播します。

 あなたはその波が発生した理由に対して戸惑いました。

――――どうした?

「バプティスは広い町だからねー。その中心に行くとなると、相当な距離になるはずだよ。それに、この前話したと思うけど、バプティスは戦時中には要塞都市まで呼ばれた難攻不落の大都市。もしも町を囲う巨大な壁を越えても容易に中央を落とさせないために、町の中は入り組んだ構造をしているの。迷路みたくなってて、住んでる人でもうっかりすると迷って自分の家に帰れなくなっちゃうくらい。この町に住む人間なら、一度は必ず捜索願を出されるって有名なんだよ? もう戦争も終わったんだから、もっとシンプルな構造にしようっていう話も出てるらしいけど、先人の遺物を残すべきだっていう意見の方が強くて今も残されてるってわけ。そして何より、この迷宮を見に観光客がわんさか来るもんだから、改築されることなく迷宮は生き続けてる。……もちろん、今も」

 クラリスの視線を辿ると、黒煙と赤々とした火炎を吹き出す都市が目に映り込みます。そしてあなたは思い出します。昨日救助活動をしているときは夢中で気付きませんでしたが、確かに厄介な通路が多かったように思えました。昨日は火の雨により破壊されていたお陰で迷うことなく救助活動を行なえていたようですね。皮肉なものです。

 それにしても、クラリスのこういった知識の豊富さには驚かされます。それが歴史関係にしか生きていないのがたまに残念に思えますが。

 喧噪鳴り止まぬ中、ルクレチアがようやく続きを……二度目の否定を告げました。

「しかし、ご安心ください」

 ルクレチアの声音が、事務的なものから、優しい声音に移り変わりました。

「私達は同様の事件において、消えない炎の鎮火に成功しております。もちろん、以前と状況は異なりますが、ヴァレア武士団とカルディハウド武士団が手を取り合えば、不可能なことなどありはしません」

 そして、最後に一言、告げました。

「英雄ヴィンセント・ノアニールの末裔であり、ノアニール家現当主代理の私、ルクレチア・ノアニールが、作戦の成功を約束いたしますわ」

 感嘆の声が響き、人の群がうごめいたとき、一瞬だけ皆の前に立つルクレチアの表情があなたにも見えました。

 そのときの彼女は、とびきりの笑顔を浮かべておりました。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 火災は依然として町を飲み込んでおりました。

 昨日嫌と言うほど当てられた熱風を肌に感じながら、あなたたちは武士団と混じりバプティスを進んでいきます。道を塞ぐ火を魔法により消火し、中央までの道を切り開くのが今回のあなたたちの役割ですが、それは容易なことではありませんでした。

 最初は教会までの最短ルートを把握しているカルディハウドの武士について進んでいたのですが、その道も消えない火により塞がれてしまっていました。そこからは隊を散開して教会への道を探す行程に移ります。ある程度の距離を開けたにも関わらず袋小路に出てしまうことも多々あり、途中で魔力の尽きる者も少なくありませんでした。

 道中、救助活動にあたっている人を何度も見かけましたが、手を貸すことはできません。今は一刻も早く教会への道を作り、この火災を消し去らなければならないからです。あなたはそう割り切り前へ進んでおりましたが、クラリスはそう簡単に割り切ることができないようで、苦々しい顔がちらちらと視界に写りました。前日は早い段階で魔力が尽きた彼女でしたが、今日は疲弊することなく順調に進行できております。魔法の使用を制限しているからでしょう。

 出発からしばらく、武士団の数ももはや数えるほどとなった頃、あなたたちの正面にようやく教会が姿を現しました。元は入り組んだ構造をした通路だったようですが、古びた行き止まりの壁は崩れ落ち、教会までは一直線に向かうことができそうです。

 目標の見えたあなたたちはさらに速度を上げて進みますが、その前方、教会の手前にあった建物が轟音を響かせて崩れ落ちてしまいました! 建物の規模は幸い大きなものでありませんでしたが、問題はそれにより道の途中に出来た炎の壁でした。

「これ、消えないよ……!」

 武士団が『ウェルディ』を撃ち込みますがまるで効力はありません。他の道を探そうにも、ここまで一直線に進んできたため、別の道を模索するとなると時間がかかりすぎます。もう残っている武士も数少ないこの状況で、この障害は苦しすぎます。

 先陣を切っていたルクレチアも、これにはさすがに表情を歪めております。今までのように即断即決で道を変えるには、あまりにも惜しいようです。

「……引き返しましょう。時間は惜しいけれど、別の道を探すしかない。場合によっては援軍を待つ必要があるかもしれません」

 そう言い、踵を返すルクレチアでしたが、その顔からは諦めきれないことに対する苛立ちが窺えました。僅かに時間を置いて、武士団もルクレチアに続こうとしますが、どうしてもあなたたち三人は振り返ることができませんでした。

 そのとき、声をあげる者が一人。

「エヴァジェリン」

 サイファーに呼ばれ、あなたは隣に並ぶ彼を見上げました。

「お前の『エアー』で、あの道を塞ぐ建物を浮かせられるか?」

 あなたは前方に轟々と広がる炎を見据え、思います。道に横たわる建物は『エアー』の対象にしては大きすぎます。以前のツノゴオリ戦でも視界におさめることの出来ない相手のため、発動には至りませんでした。

――――重さに関しては、いけると思う。しかし、大きすぎるんだ。

「……そうか」

 サイファーの考えは分かります。今道を塞いでいるのは、あくまで崩壊した建物です。それが炎上して通れなくなっているのであれば、その建物ごと炎を浮かして下をくぐればよいのです。もし、浮かせることが出来れば、の話なのですが。

 まだ諦めきれない様子で瞳に炎を映すサイファー。その表情には深い思考を通り越した、怒りの様相さえ窺えます。

「二人とも、何の話をしていますの?」

 気付けばルクレチアが戻ってきておりました。

「突破の方法を考えていたんだ。エヴァンジェリンの『エアー』で道を切り拓けるかと思ったが……どうやら、難しいようだ」

 苦々しくサイファーが言うと、金髪の武士はポカンとしています。

――――どうしたのか?

「ちょっと待って……あなた、『エアー』で、あの質量を浮遊させられますの?」

 ルクレチアの疑問は尤もなものです。

 通常の魔法使いが『エアー』を発動させても、精々浮かせられるのは人一人が限界です。あなたのように巨獣を浮かせられる魔法使いはかなり稀な存在なのですよ。

――――瓦礫は何度か持ち上げた。あれくらいなら大丈夫だと思うんだが、大きすぎて駄目なようだ。

「ということだ。残念だが」

 ため息を吐く弟をさっぱり無視して、ルクレチアは一人頷いています。

「……昨日の僧侶からの報告でも、一人ずば抜けて魔力の高い者がいたと聞いていましたが……てっきり愚弟のことかと……」

「おいルクレチア、話を聞け」

「あなた、名前は?」

――――ベル・エヴァンジェリン。

「エヴァンジェリン? って、六代魔王アザルフォードの?」

 あなたはハッとして背後を見ます。クラリスはと言えば、炎をにらみつけていて聞こえていないようでした。よかった。

「じゃあ魔王さん」

――――その呼び方はどうなんだろう……。

「いいじゃない。で、魔王さん。大きささえ何とかなれば、愚弟の言うように『エアー』が効くのね?」

 あなたとサイファーは顔を見合わせます。

「……何をするつもりだ、ルクレチア」

「うふふ」

 ルクレチアはあなたに向けた笑みを一つ残して、燃える建物へと歩を進めました。最後までサイファーのことは眼中に入れていませんでしたね。

 とは言えあなたも気分としてはサイファーと同じです。自分の魔法ではあの巨大な障害物を浮かせることは出来ないと言っているのに、ルクレチアはそれをあなたに託しました。そして悠然とした様子で教会へと歩み寄っていくのです。

 どういうことかと声をかけようとしましたが、その前に炎の前に立ったルクレチアが一冊の魔法書を取り出しました。次の瞬間、彼女は高らかに表紙を打ち鳴らしたのです。

「“天より借りし蒼空の閃光よ、我を阻む障壁を灰塵へと帰せよ! 『ゴルバリス』!”」

 言い放った瞬間、ルクレチアの手元から蒼白い光が四方に散りました。それは蛇のように宙を這うと、やがて目標を前方に見つけ、轟音と共に視界が白むほどの電撃が生じました。思わず目を伏せたあなたでしたが、次に瞼を開けたとき、目の前の光景は一瞬前のものとはまるで違っておりました。

 あなたたちの道を塞いでいた建物は、砕かれて幾つかの瓦礫の集合体と化しております。依然として纏う炎と共に、蒼白い帯電が姿を見せております。道は塞がられたままではありますが、その障害物のサイズは、『エアー』で浮かせられるほどのものとなっております。

「……んー、少し大きすぎたかしら。やっぱり手加減するのは難しいわね」

 不満そうに唇を尖らせながらルクレチアは腰に手を当てて、あなたたちを振り返ります。

「これで退かせられますわよね? それとも、まだ大きいかしら?」

 にっこりそう尋ねるルクレチアに、あなたは慌てて正気を取り戻して肯定の意味を示す首肯を彼女に見せました。

「……貴様の魔法でもっと粉々にすればどうだ?」

「駄目よ、愚弟。おねえちゃん、細かい威力の調節出来ないから、これを木端微塵にしようと思ったら、道ごと消しちゃうもん」

 光源となる炎を背に置いた、影のある微笑みに、あなたは背筋が凍る思いをしました。

 

 あなたは『エアー』を発動させました。

 ここに至るまでに相当の魔力消費を強いられたあなたでしたが、それでも慣れた魔法に関しては細かい調節も難なく効かせられ、皆は燃える障害物の下をくぐって教会までの道を続行することができました。しかし、まだくぐっていない人がここに二人おります。

「……行くぞ」

――――……うん。

 抑揚のない声を交わし合ったあなたとサイファーは目を合わせることなく、炎の下を通過します。時折建物の破片が降りかかってきますが、道を妨げるほどの力もなければ、あなたの魔法を阻害するような力にもなりえませんでした。それに、そんな瑣末なことを気にかける余裕は、今のあなたたちにはなかったのです。

 先に渡りきってあなたたちの到着を待つ面々を見てみると、この非常時に、誰も彼もが肩を震わせて何かを堪えているようでした。目を合わせようとしても、視線を合わせてくれる者はほとんどおりません。唯一目を逸らさず見続けているのは、ルクレチアただ一人でした。一人だけ、明らかに楽しそうです。

 そうこうしている間にあなたたち二人を含む全員が渡り終えたのを確認したあなたは、『エアー』を解除して、背後の障害物を地面に落としました。地面が揺らぐのを感じましたが、特に被害はありません。

「ご苦労様ですわ、魔王さん。ぷっ……、ああ、失礼、つい」

 声が震えております、この人。

「……降ろすぞ」

――――……うん。

 そう言って、サイファーはあなたを地面に降ろしました。この時、あなたの肩を抱き、膝裏に手を入れていた状態から、ようやく解放されました。ええ、いわゆるところのお姫様だっこですね。

「……なんで俺がこんなことを……」

「し、しかたないよ。ベルは『エアー』を発動させたまま他の行動取れないだから。あの量を一気に持ち上げながらくぐり抜けるなんて、できない、よ……。まあ、抱え方は、あれだったけど……ぷっ」

「愚弟面白い……! 本当にやるなんて……! 発案者なんだからやりなさいとは言ったけど、本当にやるなんて……! 愚弟面白い……!」

 サイファーが無言で拳を震えさせます。額には青筋が走りますが、声には出しません。先ほどの雷の魔法の衝撃が忘れられないからでしょうか。その恐怖さえなければ、あなたをあのような格好で抱えて走ることも決してなかったでしょうね。

 一緒に遊ばれたあなたが、一番の被害者と言えばそうなのですが。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 教会は、ヴァレアで見かけるそれとは何もかもが違っておりました。まず大きさからして規格外です。城と言われても容易に信じてしまいそうなほどの規模でした。眼前に立つと、その高さがよく分かります。見上げると、その圧倒的な存在感に押しつぶされそうになります。しかし、その大きさにも関わらず、炎が燃え移っているのはほんの一部だけのようでした。それも弱々しい火がこびりついているようにしか見えない規模です。

「本来なら無傷で残っててもおかしくはないんだけどね。この教会には『プロテクト』っていう魔法が掛けられていて、緊急時に自動的に発動して『シールド』によく似た防壁が教会全体を覆うようになってるの。それ以外にも防衛システムが働いてるはずだけど、まあ、それは今は関係ないかな。『シールド』も満足に機能してないんだから、たぶん止まってるんだと思うよ。何せ古いからねー。かの有名な騎士ロッテヴァール公もここで英気を養ったというよ。そのロッテヴァール公というのが、」

――――アザルフォード六世の何なんだ。

「……一番隊の騎士。そうだよ! アザルフォード六世だよ! 何か文句あるっ?」

 胸倉を掴まれ恫喝されたあなたは無抵抗の意を示すために両手を顔の高さに上げました。

 揺さぶられる視界の中、ルクレチアが石板を取り出すところを、あなたは見ました。

「後は、この教会にある社にこの石板を設置するだけですわ」

 そう微笑むと、ルクレチアは教会の内部へ至る両開きの戸の片方に手を当てました。

 戸の軋む音が響く中、思い出したようにサイファーが尋ねました。

「リートヴィッヒ、さっき言っていた『プロテクト』は、『シールド』の他にも、何か仕掛けを持っているのか?」

「うん。外側だけじゃなくて、教会の中にも仕掛けがあるはずだよ?」

「……それは、どういったものだ?」

 二人の問答を聞いていたあなたは嫌な予感がしました。サイファーも同じものを感じてクラリスに尋ねていたのでしょう。その会話を聞いていないルクレチアは、構わず教会の戸を開け放ってしまっていました。

 

 瞬間、何かが戸の向こう側から飛び出してきました!

 

 それはルクレチアの顔面を狙って射出されましたが、それを彼女は反射的に首を傾けることで間一髪避けました。金髪が風にさらわれます。奇妙な沈黙が一同を包み込む中、ルクレチアは首を傾けたまま無言で戸を閉じます。

 戸の隙間から飛び出してきたものは、ルクレチアの背後の地面に突き刺さり、微動だにしませんでした。見ると、それは剣でした。クラリスの持つ剣に似ていますが、その刀身には何らかの文字が刻まれていますね。しばらく眺めていると、どうやら動いていないわけではないようで、誰も手を触れていないのに自力で自身を抜こうとしておりますね。

 誰もが表情を失くす中、クラリスが遅れて質問の答えを出しました。

「……『プロテクト』が発動すると、自律式の刀が侵入者を襲うようになってるの、この教会。それも、十本とか二十本どころじゃなくて」

 言っている間に迎撃用の刀が地面から解放され、宙を踊っておりました。

「まだまだ、気が抜けませんわね」

 自分に飛びかかる刀を見ながら、ルクレチアは溜息を吐きました。

 

bottom of page