第八章 禍の雨
イリーガル・リクディムを組んでから数日後、またあなたは夢を見ていました。
何度目になるか分からない夢に、いい加減苛立ちさえ覚えていました。恐らくこれは自分の記憶なのだろうと思いはしますが、これだけでは記憶を呼び戻す手がかりにはなりません。いったい、この記憶はどうしてこんなにもあなたの夢を犯すのでしょうか。
「おはよう、ベル」
「……寝坊とは不精なことだな、エヴァンジェリン」
食堂に向かうと、クラリスとサイファーは既に朝食に手をつけているところでした。
――――また、あの夢を見たよ。
「あの夢って、大火事の夢?」
頷き、あなたは席に掛けました。
「うーん、そんな火事があったらニュースになってるはずだけどなあ」
――――まあ、所詮夢だし、大した意味は無いのかもしれない。
「そんなことないよ。そんなによく見るってことは、ベルの記憶に関わる重要なことなんだよ、きっと」
クラリスはそう言いながら、ごく自然にあなたの目前のパンを掴みます。それに気づいたサイファーが、
「いったーい!」
無言で少女の頭に拳骨を落としました。
「……貴様、さっき俺の分にも手を出していなかったか? 意地汚い真似はやめろ」
「え? あ! ごめんベル、無意識だった!」
サイファーも随分相棒の扱いに慣れてきたようです。
◆ ◆ ◆
朝食を終えたあなたたちは、そのまま食堂に残ってこれからの予定を立てていました。
「どうしようね。今日もトクリの組合に行って、掲示板の依頼受けることにしよっか」
――――異議は無い。
「待て、リートヴィッヒ。それならこんなところの宿では無く、トクリに本拠地を移した方が利便性が高い。移動時間が無駄だ」
「ちっちっち、サイファーはわかってないなあ」
「ぬ。何か俺を納得させられる理由があるとでも言うのか」
「エメさんのごはんはヴァレア一おいしい」
「ああ、一瞬でも期待した俺が馬鹿だった。貴様は食うことしか考えていないのか」
「遺跡もスキ」
サイファーはそれ以上反論しませんでした。話が通用しないことに気づいたようです。
「……行くならさっさと行くぞ」
しかし、それは叶いませんでした。立ち上がったあなたたちは、店内に流れるレコードの声に、固まってしまったのです。
<――――次のニュースです。神無月二十の日、カルディハウド国首都、通称『聖都』バプティスに雨状の火炎が降るという事件が発生しました。火はわずかの時間で都を覆い、歴史的な大火災を呼ぶこととなりました。これまでにも何度か同じような怪現象が各地を襲っていますが、原因は未だ確定しないまま。なお、この火災による被害者の数は確認されていません>
町を覆うような火災。
「神無月二十……っていうと、二日前か。ベルが夢で見た火事と、何か関係があるのかな?」
クラリスは神妙な顔で言うと、不意に机をバンと叩きました。
「よおし、予定変更!」
――――何をどうするんだ?
「カルディハウドに行こう! ベルの記憶の手がかりがあるかもしれないでしょ!」
言うが早いか、クラリスは食堂を飛び出して行きました。
――――カルディハウドって、どこだ……?
「レムリア大陸の北部に位置する国だ。南国ヴァレアから見れば、ちょうど逆側だな。要するに、かなり遠い。片道二日はかかるだろう」
サイファーは吐き捨てるように言うと、肩を落とした。
「俺も同行する。どうせ、組合の規約では三人以上いなければ依頼が受けられんしな」
――――ごめん、サイファー。
「なぜ謝る、おかしな奴だな。俺はこの宿が嫌いなんだ。あの酔っ払いの女将もな。そして火の降る現象に興味が出たから、どうせ仕事ができない以上、カルディハウドまで遠出するのもいいかと思った。単にそれだけだ」
◆ ◆ ◆
国際船に半日乗り、あなたたちはヴァレアを出て西国エトワールの首都、オースに入りました。しかし乗ってきた船は折り返しヴァレアに向かうようで、あなたたちはオースで乗り替えざるをえなくなってしまいました。
雑然とした街のど真ん中にある船着き場で、あなたたちはカルディハウド行きの船を待っていました。
――――これから行くバプティスとは、どういうこところなんだ?
どちらに問いかけるまでもなく尋ねると、クラリスがぴょこんと答えます。
「そうだね……。教会を中心に作られた都市、ってところかな。大きな教会を囲うようにして町が拡がっていて、都市全体は三方を山に、一方を河に囲まれてる。ずっと昔の戦争では、攻め込むのが難しい地形を利用した、要塞都市として機能していたみたい」
――――そこに、火の雨が?
「うん。みたいだね。魔法だとは思うんだけど……っていうか魔法以外ありえないし……そうだとしたら、この魔法使いはかなり危ない人なんじゃないかな。戦時中に鉄壁と恐れられた要塞都市を襲撃するんだもん。相当の自信と実力がないと、そんなこと、しようとも考えないよ。考えてもやらないけど」
要塞都市がいかなるものかは分かりませんが、たいへん危険であることは理解していました。あなたの夢の通りのことが現実で起きているとすれば、それはとんでもないことです。あなたはそれを、夢の中とは言え、体験しているのですから。
不安げにクラリスが黙り込んでいたとき、ふとサイファーが言いました。
「意外だな。リートヴィッヒがそこまで知っているとは」
それが地雷であることに気づくのにそう時間はかかりませんでした。
突如クラリスのサイドポニーがビビッと逆立ったように見えました。たぶん幻覚ですが。
「北の国カルディハウドのバプティスと言えば龍戦争最後の地としてすっごい有名なんだかんね! 他にも今の世界を築き上げたと言っても過言ではない出来事がバプティスを中心として起きているんだよ! 分かるっ? そもそも今当たり前のように使われているレコードや魔法書の書写技術も、元を辿ればバプティスに繋がるわけだよ! うっは、ヤバいね、これは! まあ、諸説あるんだけど、ぼくは全てはバプティスによるものだと思ってるよ! そして、何より!」
――――歴史の話はもういい!
「ベルのいけず! まだなんも言ってないのに!」
クラリスの発狂にまだ慣れていないサイファーは頭を抱えて項垂れていました。
そこへ、聞き覚えのない男の声が割って入ってきます。
「なんだ、あんたたち、バプティスに行くのかい?」
船乗りらしき恰幅の良い中年男性は口をへの字に曲げて問いかけてきます。
「うん、そうだけど」
「やめといたほうがいいぞ。今は火の雨のせいで混乱してっからな」
「それは知ってるんだけど、それでも行かなきゃいけない理由があるの。だから、やめるわけにはいかない」
あなたの記憶の手がかり。
確かに火の雨を追えば、少しは近づけるかもしれません。
「……だってあそこには貴重な歴史資料が……」
何か後ろから聞こえませんでした。ええ、全く。
「そうかい。どうしてもって言うなら止めやしないけどな。まだ消火活動も終わってないから、行っても無駄だとは思うが……まあ、余計なお世話か」
「ううん、心配してくれてありがとう。気をつけるよ」
お礼を言って男性とは別れました。
それと時を同じくして、船着き場に一隻の船が到着しました。
「……船が来たな」
船旅は長く続きました。とは言え、それもほんの二日ほどですが、今までこれだけの距離を移動したことのあいあなたにとっては充分な長旅でした。船はいつも乗っている中型船ではなく、必要最低限の宿泊施設も完備した大型のもの。そこで乗客や船乗りにいろいろ話を聞きましたが、バプティスについて得られた情報は、どれもこれもろくなものではありませんでした。
ただ一つ確実なのは、とにかく、凄惨を極めている、ということだけ。
ようやく目的地であるバプティスの港が見えてきました。しかし、それ以上に意識を奪われたのは、バプティスの町そのものでした。
燃えていたのです。
空まで赤く燃え上がるような大規模な火災。それが都市全体を覆い尽くしていたのです。黒煙と火が躍る、まさしく地獄のような光景でした。港とはある程度距離の開いた場所にあるため、問題なく船は停まることができましたが、それでも町に踏み出すには躊躇いが生まれました。
「これが……あの、バプティス……?」
町の入口には見上げるほどの巨大な門扉が待ち構えておりましたが、それはもはや機能しているとは言えない惨状でありました。戸が備えられていた部分は徹底的に破壊し尽くされ、今まで都市を守り続けてきた姿は見る影もなく、無言で地面に横たわっております。その壁面にはいくつもの凹みが見られました。恐らくこれが火の雨の影響なのでしょう。思ったより事態は深刻なようです。
門扉から少し離れた位置には、いくつもの大小のテントが張られておりました。住民用の仮設住宅か何かでしょうか。そう尋ねると、サイファーに鼻で笑われました。
「こんな近くに逃げる阿呆がいるものか。とっくに別の町に移されているに決まっている。それくらい自分で考えつけ、たわけが」
酷い言いようです。この数日でそれにも慣れてしまいましたが。
しかし、確かに彼の言う通りです。門に近づくだけで熱気が伝わってくるほど、ここでは安心して過ごすことなど叶いません。ならば、これはなんなんでしょうか。
「……僧侶のようだが」
テントから飛び出してきた人影を認めるなり、サイファーは言いました。確かに、あの特徴的な黒袈裟を着ていますし、僧侶で間違いなさそうですが、その手に錫杖は握られておりませんね。代わりに何らかの魔法書を持っています。そして、飛び出した僧侶は町の中へと入って行ってしまいました。
「今は、住民の救助にあたっているようだな」
――――犯罪者の捕縛と魔法書の管理が仕事じゃないのか。
「魔法絡みのコトであるのもそうだし、何よりもここは僧侶の総本山だ。連中がいるのも不思議じゃあないだろう」
――――それもそうか。
改めて燃え盛る都市に意識を向けていると、野営地から一人の僧侶がこちらに駆けてくるのが見えました。あなたには、見覚えのある顔です。
「君達、そんなところで何を……って、ベルじゃないか!」
ポニーテールを揺らしながら駆けてきた僧侶、リミュニアはあなたの姿を認めるなり嬉しそうに頬を綻ばせました。その顔には煤のようなものが頬を掠めていたり、血が赤く滲んでおります。
「久しいな。私のこと、覚えているか? 前にトクリの宿で会ったのだが」
――――ああ、覚えている。
「だれだっけ?」「さあな」
クラリスとサイファーは顔を合わせて互いに確認を取りますが、両方とも知らないようでした。そう言えば、あなたは彼女のことを二人には話していませんでしたね。あの時は、僧侶のことよりも変態のことで頭がいっぱいで。悪い意味で。
紹介しようとしたあなたでしたが、やはりリミュニアの方が先に喋り出しました。
「君達は、ベルの友人か。私はリミュニア・ダアトと言う。僧侶をしている、位階は僧正だ」
凛とした笑みを浮かべて握手を求めるリミュニア。既視感があります。嫌な予感がする中、クラリスがその手に自分の手を伸ばしながら言います。
「ぼくはクラリス・リートヴィッヒ。イリーガル・リクディムのリーダーだよ」
笑顔で応えるクラリスの手が、空振りします。リミュニアが手を引いたからです。以前もあなたも同じ目にあいましたが、やはりクラリスも同じように拒否されました。
「……アウトローか」
リミュニアはあからさまに怪訝そうな面構えを見せます。最初は冷静でかっこいい女性のイメージを抱いていましたが、どうやら感情が表情に出やすい少女のようです。そういう面ではクラリスと似たところがあると言えるかもしれません。
「ということは、ベルもイリーガルに?」
あなたは頷きます。以前にあなたは彼女の言葉でイリーガルについても少し迷いを覚えましたが、今はこうしてクラリスと共にイリーガルを組んでいます。
しかし、完全に不安が払拭されたわけではないのです。リミュニアの顔を見ると、あのときの不安が心の底から湧き上がり、たまらなく不安になります。何も知らないという恐怖が。
「どうして僧侶になる道を選んでくれないのか……」
「僧侶? どうしてベルが?」
「僧侶は誇り高き職だからな。……それに、誰でもアウトローなどという無法者の仲間になどなってほしくない、と思うのは至極当然のことだと思うが」
クラリスの目元がぴくっと動きました。
リミュニアとの距離を一歩近づけて言い放ちます。
「なにその言い方、失礼じゃないかな」
「世間一般の常識を述べたまでだ。教皇もそう仰っている。アウトローなどに身を置く者にろくな奴はいない、と」
クラリスの表情が明らかに引きつりました。しかし、対するリミュニアはクラリスに対抗するでもなく、本当に困ったように眉尻下げて困惑した表情を浮かべます。何故クラリスが怒っているのか、理解できないようですね。
「そもそも、どうしてアウトローがここにいる? 火災に乗じて火事場泥棒でも働くつもりではないだろうな」
ぷつん、と。何か、糸のようなものが切れる音がしました。
「そんなことするわけないじゃん! もうすっごい失礼! 僧侶ってそんなゲスな考えしかできないような人達だったの? それとも、上にいる教皇様がそんな馬鹿なこと教えてるのかな?」
またもや糸が切れる音がしました。
「教皇を愚弄するな、アウトロー風情が! 貴様のような子供に教皇の偉大さなど分かるまい! それほど愚かだからアウトローなどをするしかないのだ! 一度独房に入れて一から教育し直してやろうか、私自ら!」
「洗脳だ! 洗脳するつもりだこの人!」
距離を近づけ過ぎるがあまり、額を正面からぶつけあう二人。歯を食いしばり、目は血走っています。
そこへ一つの声が飛び込んできます。
「僧正、こんな時になにやってんですか、あんたは」
駆け寄って来るのは薄茶色の短髪をした一人の青年。その声にもあなたは聞き覚えはあります。以前にリミュニアと共にいた僧侶のようです。あのときはリミュニアに圧倒されてよく見えていませんでしたが、イメージ通り、垂れた目に無気力そうな面構えをしています。
「ハミルト、止めるな。今私はこの愚か者を……」
リミュニアの頭頂部に拳骨が落ちます。
「子供相手になにマジ喧嘩しないでくださいよ、恥ずかしい。それに、今は他にやるべきことがあるでしょうが」
「いや、しかし……ああ分かった分かったから拳を下ろせ。お前の拳骨は本当に痛い」
リミュニアが涙目でたじろぐと、ハミルトを呼ばれた男が彼女の前に立ちクラリスと対峙します。またもや新たな争いが生じるかと思ったあなたの予想は裏切られます。
「すみません、うちの僧正が御迷惑をおかけして」
彼は、頭を下げました。
その様子にクラリスも呆気に取られてしまいました。あなたもサイファーも同様に何も言えませんでした。まさかのリミュニアまでもが同じような顔をします。
「この人も悪気はないんで、忘れてやってください」
「ああ、うん。大丈夫、です。気にしてませんから」
恐縮したクラリスが手を左右にぶんぶん振ります。
「ところで、話を聞いていたのですが、皆さんはアウトローの方々で?」
「は、はい、そうです。イリーガル、リクディムと言います」
「だったら手を貸してくれませんか。情けない話ですが、我々だけではとても手に負えなくて……」
リミュニアとは違い弱ったような声でした。よく見ると、黒袈裟の至るところが破れ、肌は赤く染まっていたり、煤けた包帯が顔を見せておりました。
クラリスは何も言わずあなたと目を合わせ、次にサイファーに目を合わせます。それだけで言いたいことは充分伝わってきました。サイファーも同じだったようで、溜息をつきながらもリーダーに従います。
「何を手伝えばいいですか?」
憎々しげに舌打ちをしてリミュニアが離れていくのを、あなただけが見ていました。
町に入ったあなたたちを出迎えたのは、熱を帯びた風でした。
火はその手を止めることなく、町を喰らい、燃え盛っております。その中でコートを羽織った集団が魔法書片手に慌ただしく駆けております。それと同様の魔法書――――『ウェルディ』という名の、水の魔法書はあなたたちにも支給されているのでした。
とにかく片っ端から火を消し、生存者が見つかれば救出するというのが、今回あなたたちに任された仕事です。
しかし、火の中には、水の魔法をもってしても消火できない火があるそうなのです。
「これだ!」
クラリスがウェルディを放った火が、その姿をまるで変えることなく燃え続けておりました。どうやらこれがその消火不可能の火のようです。それは見た目に他の普通の火との変化が見られないものでした。しかし、どう消そうとしても消えません。僧侶曰く、諦めるしかない、謎の火。これも火の雨の効力だというのでしょうか。
とにかく、消える火を探して、あなたたちは消火活動を続けました。
まず脱落したのは、クラリスでした。
元々魔法を何発も続けて発動させられるだけの魔力を持っていないクラリスに、この消火活動は苦しいものでした。それでも崩れていた民家から一人の生存者を見つけ出し、救出したのは充分な成果と言えるでしょう。
そして、次はサイファーでした。彼は魔法使いの素養こそ持っていましたが、消えぬ火に襲われかけていた住民をかばい、魔法書を焼かれてしまいました。もう予備も少なく、魔力もあまり残っていないサイファーは、そこまででした。
そして、最後にはあなたの魔力も底を尽きました。あなたの魔力は膨大ですが、扱い慣れない、攻撃用の魔法であるために抑制が効かず、消費量が人より多かったのが原因で魔力の総量ほどの活躍はできませんでした。それでもリクディムの中では善戦したほうです。火を消し去り、救出は僧侶に任せっきりでしたが。
そうして、あなたたちは満身創痍のまま、テントで休息を取ることになりました。
クラリスは簡易ベッドの上でうつ伏せに突っ伏していました。
「あ~~~、疲れた~~~」
もう元気も何もない、くぐもった声がテントの中で細く響きます。
今このテントにはあなたたち三人しかおりません。
「喚くな。……寝ろ」
サイファーは床に膝を立てて座り、俯いています。ベッドに寝転がればよいものを、その体勢の方が落ち着くのだそうです。
温い沈黙が流れる中、ふとクラリスがこんなことを言いました。
「……ぼくたちさ、役に立てたのかな」
不安気に漏れる声に、あなたとサイファーと目を合わせるでもなく、同時に深い溜息を吐きました。呆れてものが言えないとはこのことです。
「ええっ? なんでさっ?」
クラリスが驚きのあまり跳ね起きます。
しかし急に両腕に力を込めたものですから、バランスを崩してベッドから転げ落ちそうになりました。あ、という声を上げて傾くその身を、あなたとサイファーが受け止めます。あなたが抱いた感想は、軽い、ということ。
「たわけか、貴様は」
「え?」
身を支えてベッドに座らせます。小柄で、弱気なリーダーを置き、あなたは微笑みます。
――――役に立ってないわけがない。
「そうだ。お前はよく戦った。その成果を誇れ。……それが上に立つ者の役目だ」
クラリスはしばし呆然とした様子であなたとサイファーを交互に見つめると、眉尻の下がった、けれどとても嬉しそうな笑みを咲かせました。
「うん、ありがとう、二人とも」
首を傾いで微笑むクラリスの目元に、光るものが見えましたが、あなたは何も言わず頷くだけでした。
そのときです。
外から、耳が痛くなるほどの男の声が放られてきました。
「ヴァレア武士団から、援軍が来たぞ―――!」
誰が叫んでいます。それは野営地全てに届けるよう声を張り上げているようでした。耳を澄ましていると、遠くから大挙してやって来る足音が聞こえてきました。それは振動となってあなたたちにどれほどの大群かを報せます。
武士という耳に慣れない単語が出てきたものの、援軍という言葉だけであなたは安堵しておりました。これでもっと多くの命が助かる。そこであなたはサイファーに尋ねました。武士とは何か。
「有事の際に出動する、大衆の守り手だ。僧侶とは違い、武力や魔法に長けた集団だ。あらかた、今回の火災の救援にでも駆り出されたんだろう」
「武士の特徴は、白いロングコートに獅子の紋章、だよね。僧侶と差別化してるって聞くけど、確かに対照的だね」
微笑むクラリスでしたが、サイファーの表情がおかしいことにあなたは気付きました。
せっかく助けが来たというのに、その顔色は以前にも増して悪くなっています。
――――どうした?
「あ、ああ。いや、問題ない」
うわごとのようにそう呟くサイファーでしたが、問題がないようには思えませんでした。それからもサイファーは小声で何か言っているようです。
「……奴が来るとは限らない……そうだ……専門外のはずだ……」
何を言っているのか、皆目見当がつきません。
しばらくサイファーの様子を見守っていると、足音と振動が徐々に大きくなってきていました。どこまで行くのでしょうか。そう考え始めた時のことでした。大きくなっていた足音と振動が止まったのです。あなたの感覚が外れていなければ、それはあなたたちのいるテントのすぐ前で止まったように感じました。
閉じられたテントの入口に目をやると、一人の人影が移っておりました。
誰だ。そう思う間もなく、テントの出入口を覆う布は左端からゆっくりと、もったいぶるように捲られていきます。まず見えたのは当然布を握る右手。細くしなやかな手指をしていました。そして手首まで伸びる、見慣れないロングコートの袖。最後まで開き切って全身を晒したのは、一人の女性でした。
身長は女性にしては高く、余裕のあるコートのせいで体の線ははっきりとは見えませんが、細身の体をしているように見えます。コートの下に着ている白いシャツは上から三番目までのボタンが外され、豊満な胸元を覗かせておりました。けしからん様です。シャツのサイズが合ってないんじゃないでしょうか。
顔立ちは、一言で言うと綺麗でした。温厚そうな、静かな微笑が似合う、大人の女性です。エメリアやクラリスが見せる笑みとはまた違った柔和さが彼女にはありました。癖のある金髪は背中を通って腰の辺りまで流れております。
ロングコートに刻まれた獅子の紋章を見て、これが武士のものかと思ったあなたでしたが、彼女はいったい何者なんでしょうか。このテントを訪れるとは。
そう思っていると、女性はにっこりと首を軽く傾げ、小さな唇を開きます。
「愚弟。話があるから、ちょっとこっちへ来なさい」
可憐な声が、そう告げます。
投げかけられた相手は、地面を蹴り、テントの出入口とは反対の壁を突っ切って逃げようとしておりました。
「あら、どこへ行くのかしらね。……おねえちゃんはこっちなの、に!」
どこから取り出したのか正体不明の槍が逃げ出した弟の進行方向の地面に突き刺さりました。ほとんど投げるモーションは見えませんでした。後に残るのは投げ終えて一歩踏み出している女性の姿と、突き刺さり左右に細かく震える槍と、その前で尻餅をつき、
「な、なぜ……。何故貴様がここにいる!」
声を、身を震わせるサイファーの姿だけでした。
え? という声を上げながらあなたはサイファーと女性の姿を見比べます。その戸惑いの視線に気づいたらしい女性が、ロングコートの裾を両手の人差し指と親指で挟んで軽く上げ、会釈し、告げました。
「私、ヴァレア国にて武士団の指揮を任せられております、ルクレチア・ノアニールと申します。そして、そこで無様に転がってる愚かな弟の、姉です」
にっこり微笑む女武士。
「どうぞ、以後よろしくお願い致しますわ」
頭を下げるルクレチアを前にして、サイファーが頭を抱えるのが見えました。