第十七章 遺言をもう一度
ドリアデスから国際船を乗り継ぎ、一晩かけてあなたたちはコルウスの町に辿りつき、そこで一泊しました。翌朝コルウスを出て、今度は細い川の流れる草地を歩いて行くと、すぐにそれは見えてきました。
――――なかなか、凄いところだな。
コルスタの滝壺は、予想よりも遥かに高低差がありました。滝の上にいるあなたたちが見下ろすと、底が見えません。幅も尋常では無く、向こう岸が見えないほどの太い河が、崖の上から轟々と流れ落ちているのでした。
――――クラリス、一つ聞きたい。どこに遺跡があるんだ?
「この滝の裏、崖の壁面から入れるんだよ」
――――もう一つ聞きたい。どうやって入るんだ?
「ラルフゲルドは滝の横から入ったんだって。どこかに出っ張りある?」
あなたたちがぐるりと辺りを見回せば、滝の側面……そしてあなたたちの足元遥か遠くに、その出っ張りは見えました。イリーガル・リクディムは顔を見合せます。
――――どうやってあそこまで降りるんだ。
凄まじい勢いの水流に削られたのか、壁面は切り立った崖。ここにしがみついて降りて行くなどと言う芸当ができるとは思えません。
しかし、クラリスはケロリとした顔で、
「壁しがみついて這い降りるしかないでしょ?」
と言ってのけます。そしてひょいと身を宙に投げ、壁にしがみつき、そのままスイスイと降りて行くではありませんか。
思ったよりクラリスは平気そうです。あの宿屋の一件から数日が経ちましたが、クラリスは至って明るく元気です。無理をしているようには見えませんが、もしかするとただあなたが気付いていないだけかもしれません。
とにかく、今はクラリスの後を追います。
あなたとサイファーは顔を見合わせ、同じタイミングで溜息をつきました。
――――きっとラルフゲルドも、平気で降りて行ったんだろうな。
「そんなところだろうな」
――――そうだ。
あなたはふと思いつき、サイファーの手を引き、
「エヴァンジェリン? 何をするぅぁアアアアアアアアアアアアアッ!」
崖から飛び降りました。
クラリスの横をあっという間に追い抜き、ぐんぐん出っ張りが近づいてきたところで、あなたは『エアー』を発動させました。途端に落下は減速し、あなたとサイファーはふわりと足場に着地したのです。正確にはサイファーの大剣にかけたのですが、瑣末なことなので気にしません。
サイファーは身をぷるぷると震わせながら、あなたの肩をがっしと握りしめ、
「……エヴァンジェリン。貴様のその根性にはほとほと問題がある」
鬼のような形相で囁きました。
「最初から貴様、そんな人間だっただろうか」
――――慣れたんだよ、クラリスと一緒にいて。
その瞬間、頭上から「ベルー、受け止めてー」と声がして、見上げればクラリスが降ってきました。あなたは『エアー』があることも忘れて受け止めました。何とか平気そうです。
「……リートヴィッヒなら仕方ない」
サイファーはぶすっ面で言い捨てました。
◆ ◆ ◆
レンガ造りの精巧な遺跡の中、あなたたちは濡れ鼠になっていました。
「……きもちわるいね」
――――濡れたなあ。
滝裏の道は、幅があったために墜落の恐れこそありませんでしたが、水しぶきは容赦なく襲ってきます。その結果、あなたたちはすっかりずぶ濡れでした。
「泣き言を言うな」サイファーがコートを絞りながら、呟くように言います。「お前の御希望でここに来たんだろう。それとも帰るか?」
クラリスの動きが止まります。しかし、それも一瞬のこと、表情を窺う間もなく動き出し、サイファーに一言ごめんと言うと、先に進むよう促します。
――――行こう。『ルクス』起動。
照明魔法を起動させるあなたの横で、クラリスは鞄に手を突っ込み、床にさらりと何か落としました。遺跡のレンガとは似ても似つかぬ、桃色の砂粒です。一度通った道を目印として残すために、クラリスはコルウスで購入したのでした。今回のような遺跡では、キモとなる道具です。
――――今回のような遺跡?
歩きだしたあなたが問うと、クラリスは目を輝かせました。
「うん。遺跡にはいくつかのタイプがあってね。大きく分けると『単室型』『城塞型』『迷宮型』の三つ」
――――単室、というのは玄室一部屋だけの遺跡か。迷宮というのも、名前通りだろうね。だが、城塞型とはどういうことだ?
「元々人が……というか、王が住んでいた場所をそのまま墓として使っちゃうことだよ。国の併合や家臣の反乱で、城そのものが見捨てられることも少なくなかったからねえ。この手の遺跡は何の仕掛けも無いことがほとんどで、調査は物凄く楽なんだよ」
――――しかし今回は迷宮型と言うことか。
「うん、そうだね」
静かにクラリスは先を行きます。
レンガ造りの通路をひたひたと歩く一行。しかし、現時点ではまだ一本道です。何度か直角に曲がったり、階段を昇ったりするものの、分かれ道にはぶつかりません。
「しかし、拍子抜けだな」
サイファーはぼそっと呟きます。
「遺跡と言うのは、もっと刀が山のように襲ってくるものかと思っていた」
「まあ、そこに納められている王の力にもよるよ」きょろきょろと辺りを見回しながらクラリスが答えます。
「ナルディカスタ王の遺跡では、サイファーの言うとおり、三十六振りもの刀が調査団を襲ったって話だよ」
――――ここに納められている王は、大したことが無かった、ということか?
「うーん、そんなはずもないんだけどね。ネルヴァ王といえば、二十一カ国時代に『五大魔王』の一人に数えられた優秀な魔術師王だよ」
――――そう言えば、この遺跡がどんなところなのか聞いていなかったな。
「ネルヴァ王は、『幻帝』の異名を持つ魔王。彼は誰も知らないような幻の魔法を使い、あらゆる願いを叶えることができたと記録に残っているんだ。その魔法、『イーミア』を使えば、人民を使わぬ兵を生みだし、片手を振るだけで金の山を出したって話だよ」
――――それは凄いな。
「うん。その王の遺跡だから、あんまり気を抜いちゃ駄目だろうね。……あ、部屋だ」
少し開けた場所に入り、あなたたちはウッと息を飲みました。道が、たくさんあります。真四角な部屋の中に、目前の辺には二つの道。右手の辺に一つ、左手の辺に一つ。
――――さて、どうしよう。
「目印も食料も十分にある。総当たりで行くしかないだろうな」
「だね。五本も道あるし、大変そうだなあ。まあ、右から順番に攻めて行こう」
――――玄室に着くまでに、何時間掛るんだろうな。
「さあ?」クラリスはにっこりと笑います。「何日かかるんだろうねえ」
◆ ◆ ◆
いちばん右の道を歩き、半時間。幸いそれ以上分岐しなかった道は、遂に行き止まりにぶつかりました。一行はほっとしたような、うんざりしたような思いを胸に先ほどの部屋に戻ります。
正面右も行き止まり。
正面左も行き止まり。
そろそろ小腹の減ったリクディムは、ムスッとしながら部屋の真ん中で携帯食料をモソモソと食べていました。
――――予想以上に面倒だな。
「ああ」剣をかちゃかちゃ言わせながら、サイファーはむっつりと答える。「せめて刀でも襲って来ればまだ気持ちが変わるんだが」
――――もしかして、戦いたかったのか?
「そういうわけではないが、こう歩いているだけだとな」
「まあまあ、戦いなんて無い方がいいんだよ。平和一番」一方、クラリスは一人ご機嫌です。遺跡の雰囲気に浸れて御満悦といったところでしょうか。その様子を見て、あなたは徐々に心配することもなくなっていました。
彼女は放っておけばいくらでもうんちくを垂れるので、いつもは黙らされることが多いものの、今日は暇なのであなたもサイファーもクラリスに喋らせているのでした。
「我慢してよ、サイファー。奥に行けば、刀の仕掛けもあるはずだし、見かけたら斬っちゃっていいから」
「簡単に言うな……」
サイファーはプイッとそっぽを向いてしまいます。
――――幸い、ハズレの道は行き止まりだ。ハズレの分岐が無いというのは嬉しい。
「そうだね。さあ、あとちょっと。出発しよ!」
そう、どうせあと一本。
しかしその予想は間違っていました。
ほぼ一時間後のこと、あなたたちはまた先ほどの部屋に戻ってきていました。最後の道が、行き止まりだったのです。
――――おかしいな。どういうことだ?
あなたたちは、慎重に道を進みました。部屋から延びる通路に、分かれ道は無かったはずです。目印の砂も、全ての道の入り口に撒かれています。これでは、どう考えても先に進むことはできません。
――――どこかに、隠し通路でもあるのかな。
うーん、と顔を見合わせるあなたとサイファー。しかし、そのときです。
「ねえ、何言ってるの?」
何も無い壁の前で、クラリスが首を傾げていました。
「まだ、あと一本残ってるじゃん」
――――どこに?
「ここに」クラリスは壁に一歩踏み込みました。その脚は、壁をするりと通り抜けたではありませんか! そのまま彼女は壁に飲みこまれて、すぐに飛び出してきました。
「何してるの? 早く行こうよ」
クラリスが壁から頭をひょっこり出します。壁から生首が生えているような眺めですのでやめて頂きたい。あなたとサイファーは顔を見合わせ、意を決して壁に踏み込みました。その先には、先ほどと同じような通路が続いています。
――――これは、正解ルートなんだろうか。
その通りでした。その道をしばらく進むと、今度は行き止まりでは無く、先ほどと似た部屋に辿り着いたのです。先ほどの部屋と別の部屋であることは、桃色の砂を見れば明らかです。今度の通路の数は、一、二……七本。あなたがそう言ってみると、クラリスは不思議そうな顔になりました。
「八本じゃない? 来た道も入れて九本」
◆ ◆ ◆
クラリスにだけわかる道。これが、正解ルートです。
これがわかった今、あなたたちは迷うことがありませんでした。十以上の大部屋を通り抜け、リクディムは奥へ奥へと進んでいったのです。
「どういう仕掛けなんだろ、この遺跡」
数十本目の通路をひたひたと歩きながら、クラリスが呟きます。
「これもやっぱり魔法なのかなあ。でも、どうしてぼくとみんなで違うんだろう」
「目をそらすな。どう見ても魔力の差だ」
サイファーも魔法の扱いは人並みです。あなたはもちろん魔法使い。その中で、クラリスの魔力の低さは確かに突出していると言えるでしょう。
「どうせぼくは魔法音痴だよ」
「そのおかげでここまで来れたんだ。役立たずでも役に立つことはある」
「なんかトゲを感じる」
◆ ◆ ◆
日の届かない洞窟の中、時間の感覚が無くなってきたあなたは、懐中時計を取り出しました。既に時間は夜になっています。
「なかなか、手間取ったな」
あなたたちは今、見上げるほどに大きな扉の前に立っていました。
「これが、最奥か」
待ちわびていたと言わんばかりの顔のサイファー。扉の向こうからは、微かな水音が聞こえてきます。
――――いよいよだな。
「ここが、ラルフゲルドの死んだ場所……」
クラリスが黙って先を見据えます。その目には特別な感情は見られませんでした。怒りも悲しみも喜びも憂いも、なにも感じられません。
「ベル、魔力展開して。まだラルフゲルドを殺した刀が動いてるかもしれない。気を引き締めて行こう」
あなたはしばらく集中し、
――――よし、行こう。
飛び込んだあなたたちを待ちうけていたのは、静かな地底湖でした。見渡す限りの湖、その奥には静かに滝が流れ落ちています。
「刀……来ないね」
――――場所が違ったのか?
ふうむとあなたが唸っていると、湖を覗きこんでいたサイファーが二人を手招きしました。
「見ろ。どうも、ここで間違っていないようだ」
サイファーが指さしているのは、澄んだ水底に沈む、折れた剣柄です。壊れた刀、でしょう。
「ラルフゲルドはここで刀と戦った。そして、ネルヴァ王の魔力を打ち破った」
――――それはおかしい。
仕掛けはまだ生きていました。
それでは、あの仕掛けの魔法が作動するはずもありません。
――――それに、刀に勝った後、ラルフゲルドはどこに行ったんだろう。
ここは、最奥の部屋のはず。いやしかし、待ってください。
一行は周囲をあちこち探し回り、半時間ほど経って湖の向こう側に戸があることに気づきました。
その先にいたのは、一つの白骨化した死体でした。
◆ ◆ ◆
小部屋の中、それは壁に寄り掛かるように座り込み、死んでいました。既に肉体は風化し、白骨化こそしているものの、風も吹かぬこの遺跡の中、それ以上崩れることはなかったようです。
クラリスは部屋の入口から動こうとしなかったので、あなたはクラリスを残して死体に近づきました。サイファーも同様に近づいてきます。傍まで寄ると、生きていた頃の痕跡がいくつか見られます。服装はどこにでもいそうなアウトローのもの。赤の刺繍で描かれた紋様のあるマントが体を覆い、そこから片方の手足が飛び出しております。どうやらマントの下にあるのは、左半身だけのようです。右は失っておりました。
そして、その周囲には鞄とおぼしき布が散っています。もう元の形も分かりませんが、何やら荷物らしきものが乗せてあることから、元は鞄か何かだったのでしょう。
あなたがその中で目についたのは、マントでした。派手に全面刻まれているわけではなく、端に紋様が並べられています。
死体の特徴と呼べるものは、それくらいしかありませんでしたから。
「この紋様……、王都のものではないな」
王都には様々な紋様を刻まれた芸術品や衣服がありました。しかし、サイファーが言うには、そのどれにも当たらない紋様なのだそうです。いったいどれほど詳しいのかは知りませんが、彼がこういう時に曖昧な情報を寄越すとは思えません。あなたはサイファーの言うことを疑うことはありませんでした。
滅多にない紋様であるにも関わらず、それが彼の特徴を示すものとはなりません。
しかし、意外なところから答えが投げかけられました。
その声はひどく穏やかなものでした。
「それは紋様じゃなくて、アルーブルの人々が生み出した文字だよ」
振り返ると、クラリスが傍に寄ってきていました。とは言えあなたとサイファーのように傍で屈みこんで様子を窺うようなことはしません。少し距離を置き、続けます。
「ヴァレア国が出来る遥か昔に栄えていた国、サーシャに住まっていた人々、それがアルーブル。彼らの生活の特徴は、その美的感覚にあった。家財道具一つを取っても、芸術品のような彩りを持たせ、彼らの築いた遺跡から発掘された調度品は今でも歴史的価値が高いのは、この美的センスの高さからだと言われてる。そんな民族だったから、文字にも趣向を凝らしたものを用いた。それが、この紋様」
いつものクラリスなら意気揚々と語りだしそうな内容でしたが、この時はどうも様子が違いました。まるで別の人間がとりついたかのような口調で、淡々と喋っていたのです。あなたが目を合わせようとしても、その瞳には光が見えず、もう死体のマントしか目に映っていないようでした。
口を出してはいけない。
そう思いました。クラリスは、今、一人で何かと向き合っています。だから、あなたは、その背を押すことにしました。
――――何が、書かれている?
クラリス曰く、マントに刻まれているのは模様ではなく文字。ならば、そこには何らかのメッセージが込められているのでしょう。そして、クラリスは、それを読み解くことができるはずです。だからこそ、今このような目をしているのです。
しばらく間がありました。
あなたとサイファーはただクラリスをじっと見守るだけでした。
やがて、クラリスがおもむろに語りだします。
その声は、湿って、震えていました。
「おとうさん、だいすき……」
たった一つだけの、短いメッセージでした。
しかし、あなたとサイファーは気付きました。どうしてクラリスが震えているのか、どうして涙を流しているのか。気付くしかありませんでした。
やがてクラリスは脱力して膝から崩れ落ち、俯き、掠れた声で言いました。
「これ……ぼくが、おとうさんに作った……お守りだ……」
予想していたはずです。もうとっくに亡くなっている、それくらいのこと、分かっていたはずです。
――――クラリス。
それでも、目の前で横たわる父親を前にして毅然としていられるほど、彼女の憎しみは強くありませんでした。少女の心は脆く砕け散り、ひっそりと嗚咽をもらします。
――――大丈夫か、クラリス。
「ちょっと……ごめん、だいじょうぶ、じゃない……」
あなたはクラリスの隣に寄り添い、その肩を抱きました。すると、クラリスはあなたの元へ体を預けてきました。ひどく頼りない体が、目も当てられないほどに震えていました。
「はは……」
やがて、渇いた笑いが漏れました。クラリスから。
「おかしいな。……殺したいぐらい憎かったのに……どうしてだろ、どうしてこんな気持ちになるんだろう。どうして、どうしてこの人は、ぼくのあげたお守りを、まだ着てるのさ……どうして、死んでるんだよ。ぼくは、この人が、どうなっていたら、嬉しかったのかな。生きてて欲しかったの? 死んでて欲しかったの?」
あなたは、答えませんでした。答えられませんでしたし、答えを求められてもいませんでしたから。それはサイファーも同じでした。黙って少女の泣く姿を見ることしかできません。
そのときでした。
地面が大きく揺れたのです。
縦に揺さぶる衝撃に今のクラリスが耐えきれるはずもなく、あなたは一緒に倒れてしまいました。クラリスをかばって下敷きになっています。サイファーはそれを見届けると立ち上がり、滝壺の方を見やります。何かいるようです。
あなたはクラリスを傍にある壁に預けると、ラルフゲルドのいた個室を飛び出しました。サイファーはすでに外へ出ています。
「エヴァンジェリン! お前はリートヴィッヒの傍にいろ!」
――――でも、一人じゃ危険だ。
「そうだ。だから、戻れ。今一番危険なのは、リートヴィッヒだろう」
言われてあなたは気付きます。もしも今クラリスに何かあったら、きっと彼女は自分ではなにも出来ません。傍を離れたのは軽率でした。
「俺は大丈夫だから、戻れ」
あなたは黙って頷きます。
自室に戻る寸前、あなたは滝壺から這い出る、巨獣の姿でした。
小部屋に戻ると、クラリスは膝を抱えてうずくまっておりました。
どうしてよいか分からず立ち尽くすあなたに、クラリスが声を掛けます。
「サイファーは?」
――――表で戦っている。
「そっか……」
呟くと、クラリスはゆっくりと身を立たせました。足取りがおぼつきません。そしてあなたの元までふらふらと歩み寄ると、あなたの背後にある戸に手を伸ばします。
――――クラリス、どこへ行く気だ。
その手を、あなたは止めました。
「サイファーを助けなきゃ……見捨てられない」
クラリスはそういう人間です。自分の傷を顧みず、誰かのために動く少女。それがクラリスという少女の本質ですが、今あなたは気付きました。この子は、自分を見ないようにしているのではないか、と。見えていない。傷だらけの自分に、気付いていない。
あなたはクラリスの手を引き、戻します。
感情の欠けた瞳があなたを映します。
「はなして」
あなたは首を横に振ります。
「はなしてよ」
放しません。
「はなしてってば!」
クラリスに勢いよく手を弾かれましたが、戸の前から動こうとしません。
「ねえ、どうして邪魔するの? ぼくじゃダメなの? ぼくが行っても無駄だから止めるの? ぼく、そんなに弱くないよ。ベルのことだっていっぱい守ってきたんだから……!」
――――うん、知ってる。
あなたの静かな言葉は、クラリスに怒りをもたらしました。
「だったら邪魔しないでよ!」
クラリスはあなたの肩を掴むと思い切り引っ張り地面に転ばせました。無理に踏ん張ろうとしたあなたはよろめいて壁にぶつかるまで止めることができませんでした。膝をつくあなたを見て、クラリスの表情に後悔が浮かびました。けれど、それも一瞬のこと。クラリスは再び戸に手をかけ、外に出ようとします。
そのときです。
この場にいるはずのない、声が聞こえました。
『ようクラリス。やっぱり、来たな』
その声は、サイファーのものではありません。あなたの記憶にはない声です。
「あの人の、声だ……」
クラリスがこちらに注視しています。
見ると、あなたは転んだ際に蹴飛ばしてしまったラルフゲルドの荷物の中の一つ……レコードから、声が聞こえてきました。
◆ ◆ ◆
「『レメディ』で止血と痛み止めは出来るが、いつまで持つかわからない。まあ、手短に話させてもらおう。
クラリス、久し振りだな。こんな姿でなんだが、まあ気にするな。
腐ってグチャグチャとかじゃ嫌だが、ま、お前がここに来るのはそんなに早くないだろうな。私、白骨化しているだろう?
余裕があるとでも思っているだろう。言っておくが全然そんなこと無いぞ。今、体半分吹っ飛んでいる。レメディ切れたら間違いなく死ぬだろう。それまで多少は時間があるだろうから遺言を残す。
セシリアは元気か?
……そんなわけはないな。どちらにせよ、あいつが生きてる限りはお前がこんなところに来れるわけがない。お前がここにいるって時点で、あいつは死んでる。
すまなかった。何を言っても、許されるとは思えない。例え死ぬことが分かってても、あいつのそばにいてやり、その後のお前と一緒に生きるべきだったんだ。だが、それがわかっていても、可能性がある限り、賭けずにはいられなかった。セシリアを助けられる可能性に私は賭け……負けた。
幻の魔法、イーミアを使い、俺はセシリアの病気を治そうと思ったんだ。
結局、イーミアは見つかった。だがな、あれは幻の魔法だった。言ってる意味がわかるか?
幻覚を見せる魔法だったんだよ。
ここへ来る途中、お前以外の仲間は幻覚にあってたはずだ。私がさっきかけた『イーミア』が効いているならな。
……そうさ。願いをかなえる魔法なんて、無かった。あったのはただの目くらまし。
私は、自分がどうでもいいと思ってしまった。大事な人のためなら、死ぬことなんて怖くないと思ってしまった。それが私にとっての正義だったからだ。セシリアを助けられるなら、私の命など軽いものだと思ってしまった。だが、今ならわかる。私は間違っていたんだ。私は死の淵にあるセシリアから夫を奪い、小さなお前から父を奪ってしまったんだ。
クラリス。今でも私の教えを守っているのか? 自己犠牲の精神を持っているのか? お仲間よ、どうだ?
……もしそうだとしたら、やめるんだ。お前は、私のようになってはいけない。
お前を愛する人がいる限り、お前は死んではいけない。命を、捨てるな。
仲間を守り、そして、自分も守れ。難しいかもしれないが、お前にはその道を歩んでほしい。私も果たせなかった道だが、お前は果たせるはず。大丈夫、絶対大丈夫だ。
……ああ、もうじきレメディが切れる頃だ。断末魔を聞かせる気はない。そろそろ、レコードを切ろう。
ではな、愛する娘よ。」
◆ ◆ ◆
音声は、終わりました。あなたは、クラリスの表情をそっと窺います。
小さな少女が忌み嫌った男は、そこにいませんでした。少女が目指した正義を行きぬき、死んでいった男がいるだけでした。そして彼は、この生き方をしてはならないと娘に託したのです。
クラリスが寂しい笑みを口元に浮かべ、言います。
「難しいこと言うね。全部、守れって。自分が死んじゃったくせに、娘にもっと難しいことさせようとするなんて……ほんと……ひどいお父さんだね」
沈黙が降ります。
クラリスは言葉を探しているようでした。そして、ようやく一言、小さく
「ベル」
と呼びます。
「ぼくは……ぼくは、どうすればいいんだろう?」
憎しみと理想を一度に失ったことで、相棒は小さく震えています。
あなたは立ち上がり、告げます。
――――どうしたって、いいんじゃないか?
「……え?」
――――無理に正義を貫く必要は無い。自分を捨てる必要なんてない。……それと同じで、正義感を持ったっていい。クラリスが生きたいように生きればいいんだ。
あなたはなんとか言葉を紡ぎます。
――――自分も、サイファーも、エメリアも、今までクラリスが助けてきた皆は、クラリスがどう生きようとも、その背を押すよ。
「そんなこと言っていいの? ぼく、悪の道に走っちゃうかもよ」
――――それはないと分かっているから、言ってるんだ。
クラリスの頬を一筋の涙が流れます。少女は涙を伝わせ、笑顔で浮かべます。
「いいのかな、わたし、もう父さんを嫌わなくても」
――――ああ。誰かを憎まなくたって、人間やっていけるさ。
それだけあなたが言うと、クラリスはあなたにしがみついて泣きだしました。
どれくらいそうしていのか分かりません。あなたはただ黙ってクラリスの想いを受け止め続けました。
やがて、涙も収まってきたときのことです。
「ッ!」
――――っ!
縦揺れの衝撃が再びあなたたちを襲います。
「ベル!」
――――ああ。
短くそれだけの言葉を交わし合うと、あなたは戸へ手をかけました。
――――もう戦えるのか。
一応最後にそれだけは確認しておきたかったのです。
クラリスは一瞬目を丸くしましたが、次の瞬間には挑戦的な笑みを浮かべておりました。
「わたしを誰だと思ってるの? イリーガル・リクディムのリーダー、クラリス・リートヴィッヒだよ!」
頼もしい返事に、あなたは思わず微笑み、戸を開け放ちました。
外に出ると、サイファーが何かに押されて地面に後ろ向きに滑っていまいた。大剣の腹を盾にして、何らかの攻撃を防いだ後のようで、受けた刃から白煙が吐き出されていました。
サイファーあなたを見ると、一瞬表情を険しくしましたが、クラリスの顔を視認するなり、口元に不敵な笑みを浮かべました。立ち直ったことを、悟ったようです。
「遅いぞ、お前ら」
「ごめん、ちょっとお父さんと感動の再会してた」
それくらいの軽口を叩けるまでに立ち直るとは思っていませんでした。無理をしてここまで言っているのかもしれませんが、とにかく、戦える状態にあることは間違いありません。
「敵は?」
「上だ」
言われて見上げると、確かにそこには敵らしき巨獣がこちらを睨んでおりました。
巨獣は、あなたたちが今まで見てきたどの巨獣とも違っていました。そもそも獣であるのかさえも自信がありません。その特徴をまずあげるとすれば、飛んでいることです。端的に説明すれば、蛇のように細長い胴体に二対翼の生えた巨獣です。それぞれの翼は外側がブレードのようになっており、先端には鉤爪のような三つ指がついています。顔はやはり蛇のもの。違いがあるとすれば縦に大きく開くことでしょうか。咆哮を上げたときに開いた口は、サイファーの身長を優に超えておりました。全長はあなたが最初に森で見かけた猛牛と同じくらいでしょうか。さほど大きくはありません。遠すぎて見えていないだけかもしれませんが。
巨獣の翼を広げた姿は、飛んでいると言うよりは、翼に風を受けて浮いているように見えました。こちらの挙動を窺う巨獣。それを見てクラリスが呟きます。
「翼蛇……」
――――よくだ? どういう巨獣なんだ。
あなたは言葉を返します。今までに聞いたことのない名前です。
「巨獣じゃないよ。あれも特殊な形状だけど、刀。バプティスの地下でベルたちが見かけた巨人と同じ類だと思う。『プロテクト』と同じように誰かが魔法書を使って生命を与えているはず。たぶん、魔力の供給者は幻帝。もう幻帝が死んでから何百年も経つっていうのに、まだ動き続けるなんて信じられないけど……」
それだけで幻帝の魔力が増大だということなのでしょうか。それとも、翼蛇の活動が極端に少ないせいで魔力を消費されることなく今まで生きながらえただけなのでしょう。どちらにせよ、何百年というのは聞き流せない話です。活動しないにしても形を保つだけで魔力は消費されるというのに、まだあの翼蛇はサイファーを苦戦させるだけの力を秘めているのです。油断なりません。
「気を付けろ。口から妙なものを吐き出してくるぞ」
サイファーの大剣から込み上げていた煙は、それによるものなのでしょうか。
それがいかなるものかを聞き出そうとしたのですが、その前に翼蛇が行動を取りました。己の存在を証明するかのような甲高い咆哮が洞窟内に響き渡り、口を大きく広げます。先程のように縦に広いものかと思いましたが、いざ攻撃しようというとき、その口は左右にも裂けました。非常にグロテスクな光景です。
そして、その暗い口の中から緑色の光が浮かび上がってきています。同色の粒子が口内に溜まり、光が大きくなっていきます。
あなたは理解し、魔法書を展開します。
――――『ラトニグ』!
相手が動くより先に放ちますが、先手は奪えませんでした。翼蛇もほぼ同時に首を鞭のように振り下ろして、口内から緑色に光る球体を吐き出してきました。弾丸のように真っ直ぐ放たれた球体は、あなたの放つ雷撃に穿たれ、飛散しました。相殺へ至るために必要な雷撃の数は一つ。あなたは四つ同時に放ったので、三つは翼蛇に向けて曲折しながら進んでおりました。しかし、それは掠めることもなく、何もない空中を走るだけでした。
かわされたのです。一瞬前までは確かにそこにいたはずなのに。
「ぼさっと突っ立つな!」
サイファーの声であなたは正気に戻ります。黙って動かずに考える時間など与えられないのが戦闘です。とにかくあなたは周囲の状況を確認しながら動きました。
そしてサイファーの忠告の真意を理解します。
翼蛇の放った球体が、散らばって地面に落ちてきているのです。それらは岩肌に落ちると爆ぜて煙を立ち込ませておりました。焼ける、嫌な音が耳につきます。
「爆発するの、これ?」
「そうみたいだ。そこまで強いものではないから、当たっても死にはしないだろうがな」
サイファーの大剣が煙を吐いていた理由がわかりました。これを防いだせいです。砕けた緑弾の爆発はさほど強くありませんが、あの塊を真正面から受け止めれば、爆発はさらに大規模なものになるのでしょう。
そう思うあなたの後方から音が近づいてきます。
「来るぞ!」
振り返ると、開口した翼蛇が接近してきていました。翼を己の胴体に包み込むように巻きつけ、空気抵抗を極限まで減らした体形で斜めに下って来ているのです。さらに回転までも加えて威力と速度を上昇させております。
あなたとサイファーは翼蛇に対して右側へ跳び、突進を回避します。
しかし、クラリスは動きませんでした!
あなたは魔法を付加してクラリスを助けようとしましたが、とてもではありませんが間に合いません。絶望に満たされる中、眼前を翼蛇が通過します。音だけが響き、クラリスが視界から消えてしまいました。
「ん? なにしてるの、二人とも」
翼蛇が過ぎ去った直後に聞こえてきたのは、クラリスのあっけらかんとした声でした。そして、まだ意味の分からないあなたに見えたのは、双剣を抜いて立ちつくすクラリスの姿です。意味が分かりません。何故無傷でいられるのでしょうか。避けた形跡もありません。
「リートヴィッヒ、今、どうやってかわした」
サイファーにも分からないようでした。
それに対して首を傾げるクラリス。
「いや、何も来てないじゃん」
この状況はどういうことなのでしょうか。さっぱり意味の分からないあなたでしたが、この問答にはどこか既視感がありました。その正体を探るためにあなたはクラリスにあることを尋ねました。普段なら思いつきもしない問いかけですし、今後使うようなこともない問いでしょう。
――――クラリスには、見えていないのか。
あなたの問いかけに真っ先に反応を見せたのは問いかけられたクラリスではなく、隣で声を聞いていたサイファーの方でした。どうやら彼も思い至ったようですね。
「えーと……見えてないっていうか、逆にベルたちには何が見えてるの?」
クラリスは困ったような笑みを浮かべました。
「つまり、俺達にしか見えていないのか、あの翼蛇は」
翼蛇は再度上空を支配しておりました。緑弾にせよ回転にせよ、攻撃を連続で行なうのは不可能なようで、翼蛇は溜めをしている最中のようです。
「いや、見えてるよ。あの翼蛇でしょ。ずっとあそこにいる」
「ずっと?」
「うん。緑の弾を飛ばしてから、ずっと空中うろうろしてるあれでしょ。……それにしても、ベルが魔法を外すなんて珍しいよね。どうも狙いが定まってなかったみたいだし」
当然のように言うクラリスですが、おかしいことがあります。あなたの『ラトニグ』は確かに外れましたが、そのとき翼蛇は視界のどこにもいなかったのです。なのに、クラリスの話では、翼蛇はずっと空中を漂っていたと言います。
そこまで考えたところで、あなたは答えに辿り着きました。
――――幻覚?
遺跡の最奥まで至るまでにも幻影が仕掛けられておりました。最初、それは魔力の低いクラリスにだけ見破ることの出来る幻影かと思われましたが、先程のラルフゲルドの言葉がその考えを否定することとなりました。
最奥まで至るために仕掛けられた幻覚の壁。それはクラリスには効き目がありませんでした。そして、先程のラルフゲルドの言葉では、クラリスには幻影の魔法が効かないというようなことを言っていましたね。つまり、ラルフゲルドは幻帝が用いた魔法を組み換え、クラリスにだけ見破られるようにしたのでしょうか。娘にここまで辿りついて欲しくて、そうしたのでしょうか。それは分かりませんが、とにかく、これで一つ問題点は取り除かれました。あなたとサイファーには正しい姿が捉えることのできない翼蛇ですが、クラリスには通じないのです。
そして、次なる問題は、翼蛇の行動領域です。
――――クラリスには幻覚が働かないとしても、飛んでいる相手をどうやって倒すか。
クラリスの武器では到底上空の敵は倒せません。先にあなたが見たときのように接近してくれれば対処のしようもあるのですが、本体が降りてくるのかは微妙なところです。
「降りてきたところを、仕留めるしかないな」
――――けど、遠距離攻撃を持っているのに、わざわざ降りてこないだろう。
「いや、奴は降りなければならない。……もっとも、俺が見ていたのが全て幻影でなければの話だが」
サイファーの説明を請う前に、翼蛇が再び動き始めました。少し高度を下げた位置から緑弾を放とうとこちらを向いています。四方で言えば正面。正面上空から狙っています。
「来るよ!」
クラリスも同じ方を向いて叫びます。どうやらあれは本物のようです。
あなたは魔法書を取り出し、めくろうとしました。
「攻撃すれば飛散して範囲が拡大するだけだぞ!」
サイファーの忠告を聞き入れたうえで、あなたは魔法書を展開します。
それは、『ラトニグ』ではありませんでした。
――――『ゴルバリス』!
巨大な円盤状の雷撃があなたたちと翼蛇の間に発現し、停滞します。その隙に翼蛇は緑弾を放出してきました。そして、その緑弾が雷撃の真下まで迫ると、あなたは雷撃を振り下ろしました。雷撃は緑弾を飛散させる余裕を与えず、圧倒的な規模で押しつぶします。もちろん、飛散も爆発もありませんでした。
焼け焦げた跡だけが残り、前方にいたはずの翼蛇は、またもや姿を消しています。きっとそこにいるのでしょうが、あなたには見えません。
「リートヴィッヒ、奴はまだ上にいるのか」
「うん。ちょっと低くなってるけど、位置は変わらないよ」
「やはりか……。奴はいつまでも飛んではいられないようだな」
言っている間に背後からまた音がぶつけられます。振り返ったあなたは槍のようにして突進してくる翼蛇の姿を見受けましたが、動くことはありません。クラリスを信じているから、です。
「飛んでいる姿を見て気付いたが、奴は飛んでいるというよりはゆっくり落ちているだけのようだ。だから上にいる間にそれ以上上昇はできない。幻影によって姿を消しているのは、落ちている様を見せないためだろうな。そして幻影を使っていることを悟られないために俺達の背後へ幻影の翼蛇を出現させて、突進させる。爆発のせいで姿を見失えば、高速移動したようにしか見えない、というわけだ」
翼蛇が前方に突きぬけていきます。奇妙な感覚です。体を巨大な竜が通過していくというのは、初めてのことですから。
「……うん、合ってると思うよ。一か所に停滞しないし、高度も下がってる」
何もない上空を見据えながらクラリスが言います。今は先程とは反対方向、先程まで後方だった場所に逃げているようです。
「でも、落ちてきたら、どうやって飛び上がるつもりなんだろ」
「あの緑弾の爆風だろう。見た目以上に軽いのかもしれないな、あの翼蛇は」
つまり、いずれ翼蛇は必ず降りてくるということです。しかし、きっとその間はあなたには不可視の存在となるのでしょう。
「なら、落ちてきたとこを、わたしが斬ればいいんだね」
それが最善にして唯一の策のように思えました。
クラリスの言葉に異を唱えるようなことはしません。落ちてくるまでの間、あなたとサイファーがクラリスを守り切れば、勝利です。『ゴルバリス』を用いれば、それは不可能ではないはずです。
「また爆発来るよ!」
向いている方向は、同じです。
またあなたは『ゴルバリス』を使用して待ち構えます。そして、先程の真下にきたところで振り下ろしました。
「早いよ、ベル!」
クラリスの言葉にあなたははっとしました。
迫る緑弾が雷撃をすり抜けて迫ってきます。どういうことか、考えるまでもありません。あなたが撃ち落とそうとしたのは、幻影の緑弾なのです。緑弾があなたの体を透過したところで、本物の緑弾が眼前まで迫っておりました。再度『ゴルバリス』を仕掛ける隙などありません。回避を選ぶあなたの前方にサイファーが飛び出し、大剣を盾にして緑弾を防ぎます。
瞬間、爆発が起こります。
爆風に身をさらわれながらも、あなたはクラリスをかばうために彼女の前に飛び出しました。爆風と共に砕け散る破片が襲いかかりますが、『シールド』に阻まれて痛みはありませんでした。その背後から声が飛びます。
「サイファー!」
「大丈夫だ!」
大剣を振り払い、健在な様を見せつけます。『シールド』を展開しているはずですが、その頭部からは血が流れ出ていました。この一撃で、破られたようです。
「幻影に紛れて撃ってきたか。……気付かれたな。幻影の通じない相手がいることを。緑弾の姿まで消すことができないのがせめてもの救いか」
「じゃあ、わたしが二人に指示するから、その通りに避けて」
そうするしかない。そう思ったあなたでしたが、脆くも崩れ去りました。
「……この中から、正確に位置を指示出来るものか」
あなたもその光景を見ていました。
視界いっぱいに広がるのは、緑弾を放とうとする翼蛇の姿でした。それも一つや二つではありません。あなたたちには、四方八方に、ドーム状にしてこちらを囲う翼蛇の姿が見えていたのです。数など数え切れません。その全てが緑弾を口内にチャージしています。方向が知れたところで、先程のように幻影に隠されてタイミングをずらされては『ゴルバリス』も通用しません。
「そんなに、いるの?」
――――ああ。数え切れない。
「幻影を見えている俺達では力になれそうにないな」
緑弾は、放たれる寸前です。
「それじゃ、二人はわたしについて来て!」
笑顔でそう言います。返事を待たず、クラリスは駆け出しておりました。右側へ跳ねて、そのまま直進します。どうやらそちらが正解のようです。あなたとサイファーは顔を見合わせた後に、頷き合ってから駆け出します。クラリスの背を追って。
緑弾が、降り注ぎます。
クラリスが横っ跳びに緑弾のどれかを回避します。正確なところはまるで分かりませんが、あなたたちは同じようにして回避します。
直後、あらゆる場所で爆発が生じました。いったいこれのどれが本物なのでしょうね。
今までのパターンから言って、次は突進かと思われましたが、それも外れます。
「また爆弾撃って来るよ!」
またもや同じ光景が広がります。
もう形振り構っていられないようですね、翼蛇も。
同じようにクラリスの後に続いて同じように回避したのですが、今度は先程とは違っております。地面にぶつかって破砕した粒子の破片があなたたち三人を掠めたのです。どうやら先程よりも余裕のない回避となったようです。
「発射される寸前までどこに来るのか、わたしにもよく分からないから、これからもギリギリになる!」
近づけば近づくほどに緑弾があなたたちに至る距離は短くなります。そうすると、自然と回避も困難になるのです。
クラリス一人でも完全に避け切るのは難しいようです。
そして、彼女は言います。彼女らしくない一言を。
「けど、しっかりついて来てね! あと、当たりそうになったら守って!」
無茶なことを言います。いつもなら「一人で行くから、二人は遠くに逃げて!」くらいのことは言いそうなものですが。
その無茶な注文に、あなたとサイファーは思わず苦笑します。
「任せろ」
――――了解。
笑顔を交わし、駆け続けます。
緑弾が放たれ、クラリスが急に止まります。どうやら前方に落ちてくるようですね。遅れて止まったあなたは魔法書を一気にめくり、素早く『ゴルバリス』を展開させて待つ間もなく振り下ろします。あまりに急だったので規模も威力もさほどありませんが、緑弾の爆発は、視覚的には襲いかかりますが、あなたたちに降りかかりませんでした。
それを見届けたクラリスがさらに駆け出します。
クラリスの行動次第では、このように防ぐことも可能でした。あなたにはそれが精一杯でしたが、あとはサイファーが補ってくれました。サイファー曰く、本物の緑弾は地面にぶつかった時に地面が焼け焦げるために見分けることが可能なのだそうです。しかし、そんなもの一瞬で見て、防御に移るなど、人間業ではありません。あなたはあなたの方法で守りに専念します。
徐々に回避に余裕がなくなります。
何度か直撃寸前までに至りました。
近づいている証拠です。
「もう届きそうな高さにいるよ!」
どれが本物かは分かりませんが、とにかく走ります。
しかし、急にクラリスがその身を低めました。緑弾かと思い魔法書を展開しますが、クラリスに制止されます。
「上行かれた! 急に速くなって、後ろに飛んでった!」
恐らく今までの突進のような形態に変わり、高速移動したのでしょう。ここまで引きつけておいて一気に距離を取ってきたのです。このままではクラリスの剣の届かぬ位置で爆風に乗せて再び上空に逃げられてしまいます。
「ベル、『アチェル』お願い!」
サイファーの表情がこわばります。本当にトラウマになったようです。
さすがのあなたも躊躇いますが、再度名を呼ばれて、ようやく決心しました。
――――『アチェル』!
クラリスに加速を付加した直後、クラリスは双剣の切っ先を自分の身より後ろに携えさせ、両方とも右側の腰に溜めて、地を強く踏みつけます。
「『イクス』」
クラリスの双剣に刻まれた文字が赤く輝き出し、直後、岩肌を削る音と共に彼女はあなたの視界から消えました。
クラリスの見据えていた先を見やると、姿の小さくなったクラリスが何もない空間で双剣を横一閃に薙ぐところが見えました。クラリスの斬撃の軌道には赤色の双線が刻まれ、直後、そこから爆発が広がりました。緑弾とは比べ物にならない爆発です。
その爆音を契機に、あなたを囲んでいた翼蛇の姿がぶれ、消え去りました。
クラリスの発生させた爆発が消えた後に残るのは、焼け焦げた翼蛇の体だけでした。
◆ ◆ ◆
あなたたちは、ラルフゲルドのところまで戻りました。
クラリスが寂しそうに目を伏せますが、すぐに笑顔を浮かべました。
「お父さん、こんなところにまでわたしの作ったマント着て来てたんだ」
嬉しそうではありましたが、その声はひどくか細いものでした。
その後、クラリスは母親の遺骨の入った透明のポットを取り出し、ラルフゲルドの傍らに置きました。
ようやく、彼女は目的を果たせたのです。
三人で黙とうを捧げたあと、クラリスは囁くように声を上げました。
「お前を愛する人がいる限り、お前は死んではいけない。命を、捨てるな。
仲間を守り、そして、自分も守れ。難しいかもしれないが、お前にはその道を歩んでほしい。私も果たせなかった道だが、お前は果たせるはずだ。……大丈夫、ぜったい大丈夫だよ」
まるで自分に言い聞かせているようでした。
それはラルフゲルドの言葉の再現です。
直接聞いてはいなかったサイファーも、それが父の言葉であるということを察し、何も訊きませんでした。
「わたしはお父さんが果たせなかった道を行くよ。仲間達と、一緒に」
クラリスは潤みを帯びた目でにっこりと微笑んで見せました。
このとき、一人の少女の戦いに、決着がつきました。