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第十四章 トゥインケル・レピチザードの手記より 追記

 

 

 鐘が都に鳴り響く。

 警戒態勢に入って半時間。おれとサイファーは、指揮本部と化した領主室で各部隊の隊長を待っていた。十二ある各クラスの首席剣士を、それぞれのクラス……すなわち部隊の隊長とするのである。しかし、招集から五分が経つ今、領主室にいるのはおれとサイファーだけだった。父さん? あいつはどこかに行ってしまった。

 サイファーは、先ほど持ってこさせたアンダロフの見取り図を前に唸っている。都はぐるりと城門に囲まれ、ちょっとやそっとでは崩れない、はずだ。さて、この地形で、こいつはどういう作戦を立てる気なんだ?

 そう聞いたら、奴は、とんでもないことを言い始めた。

「正門の他に、ここ……東西南北に一つずつ、小さな通用門があるようだな。この四つを開放する」

 何を言ってるんだこいつは!「バカかお前は! わざわざ門を開けてどうする?」

「フン、では貴様ならどういう策を取るんだ?」

「決まってるだろ? 門なんか開けないね。都に入られないように、兵を全員外に出し、城壁の上に弓と魔法使い。当然だろうに」

 ガリトヴァール戦役でも、コルティヘラ戦線でも、防衛線の基本は「城壁外の戦い」だ。もちろん敵に押し切られ、やむなく防衛線を下げることはある。だが初めから防衛線そのものを城壁より内側に置いてどうするんだ。こいつ、やはり学が無い。剣の腕は見事かもしれないが。

「貴様が例に上げた戦闘と、現状には大きな差がある。第一に地形、第二に兵力」

 どういうことだ?

「ガリトヴァールは谷間の都。コルティヘラは半島の先端に位置する町。攻め入る位置、方向が絞られるわけだな。一方、このアンダロフは周囲をぐるりと草原に囲まれた都だ。しかも、この周囲に隙間なく詰められるほどに兵は無い。さっき広場で点呼を取っただろうが。学徒は五百人弱……歩兵は三百人を切る。貴様、この数で外に防衛線を引いてみろ。隣の剣士との間に四半河間(注:約百メートル)の穴ができるぞ。できもしない作戦に意味は無い」

 ああ、そうか。

「それに、城壁内にこもっていたとしても、オオタテヅノは構わず突撃してくるはずだ」

 ん? だがそれで城壁を突破されることは無いだろう。

「甘いな。……俺はオオタテヅノという種はきちんと知らんものの、タテヅノ科の巨獣のことは文献を読んだことがある。それによれば、タテヅノは小高い壁や崖くらいなら、先行する仲間を踏みつけて乗り越えてしまうことが多いらしい。俺たちにとって最も悪い状況は、それだ」

「想定していない場所から侵入されること、だな」

「そう。だから、侵入される場所をこちらで決めてやる。想定できる場所から侵入させ、迎撃するわけだ」

 サイファーは三つの門にそれぞれ四隊ずつの小隊を配置するという。さらに遊撃隊として城壁を走る部隊も一つ。サイファーはその遊撃隊を率いると言う。

「そして貴様には正門、つまり南方門を守ってもらう」

 サイファーはそう言っておれの肩を叩いた。

「……どうすればいいんだ」

「求めることは一つ。具体的な陣形はあとで説明するが、大事なのは死なないことだ。兵は少ないんだ、一人も失うな。三割死んだら全滅だ。おおよそ三十人死んだら、その門が穴となり、この戦いは負ける」

 

     ◆ ◆ ◆

 

 正門に向かおうとしたおれたちの道を阻んだのは、町の住人達だった。皆『ロー』が消えたことに気付き、オオタテヅノの襲来を恐れてとにかく高い場所を目指していたようだ。場は混乱して大変だったが、その中で錫杖を持った黒服の女が焦る人達を一瞬で黙らせた。声を増大させる魔法を使い、鼓膜が裂けるんじゃないかと思うくらいの怒声を放ちやがった。一瞬ひるんだものの、おかげで正門まで向かえたわけだが、あの女はいったい誰だったんだろうな。

 そうしておれたちは、正門まで辿り着いた。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 おれが覚えてるのはここまでだ。

 このあとおれたちは正門に配置され、鐘の音と共にオオタテヅノを迎え討った。城壁からは三十年前のバリスタが次々と矢を放ち、矢の雨をかいくぐったオオタテヅノが解放された城内に流れ込む。

 正門にもオオタテヅノは来たはずだ。だがおれは、どう戦ったのか全く覚えていない。本当に、無我夢中だった。

 

 敵が入ってこなくなった、と気づいたときには辺りは真っ暗だった。おれは辺りを見回す。何十頭とオオタテヅノが死んでいる。こちらは、と思い見れば、隊員が何人か足りない。

「レイジェ、人が足りねえ。どうしたんだ」

「何を言ってるかね、君は」レイジェの顔は暗い。まさか――――。

「はっはっは、なんて顔をしてるんだ。負傷がひどい者は教会に運ばれただろうが。死者はゼロだ。大したものだよ、レピチザード隊長」

「驚かせやがって……」

 おれは門を出る。霧が、町の周りを覆っていた。

「レイジェ、他の隊はどうだった?」

「死者は出なかったって」

 と答えたのはレイジェではなかった。奴の後ろから現れた、クラリスだ。おれはその場に膝を突いた。こいつが、この都を救ってくれたのか。そうだ、サイファーは無事だったろうか。この配置を組み、策を練ったあいつに会いたい。所在を聞くと、どうもアンダロフの塔で揉めているらしい。クラリスの言いにくそうな顔に聞きたいこともあったが、まずはサイファーに会うことにした。

 霧の上の展望台で、サイファーはレクター師と睨みあっていた。

『いつから、わかっていたんじゃ?』

「戦いながら」

 ひょうひょうとした師に比べ、サイファーの声は硬い。

「ただ、おかしいと思っていた。学都がなぜ、こんなところに作られていたか。銅の旅は昔から知られていたのに、ローが発見される前からこの位置に学都を置く理由は何なのか」

『ふむ、なんだったんじゃね?』

「簡単だ。銅の旅があったからこそ、ここに学都は作られた。集団軍勢戦の訓練の場として、な。貴様はそれを知っていたはずだ。十二隊がちょうど配置できるスリットの戦場。学生の戦力でぎりぎり倒せる範囲の敵。できすぎているとは思っていた」

 レクター師は笑顔を絶やさず、黙っている。サイファーはその態度に腹を立てたか、声を荒げた。

「貴様はなぜ何も言わなかった! 俺がこの『最良の解』にたどりつかなかったら、どうなると思っていたんだ! 答えろ!」

 師は余裕の表情でヒゲをピンとはじいた。

『逆、じゃよ』

「何だと?」

『おぬしの言う最良の解……想定陣形は、わしだって知っておる。しかしそれには三つ部隊が足りなかった。都にいる騎族が三隊、それぞれの門に一隊ずつつき、学生はあくまで後方支援となる。実戦を経験する場では無く、見学する場であるはずだったんじゃよ。だから、わしは何も言わなかった。おぬしも言っておったろう。できもしない策に意味は無いのじゃ』

 ほっほ、と師は笑った。

『正直言って、わしは諦めていたんじゃよ。このまま本職を交えぬ学徒だけでは勝てぬ、とな。しかしおぬしはやりきった。おぬし自身の解を見つけてな』

 誇っていいことじゃ、と師は締めくくった。サイファーはもう何も言わず、隠れていたおれの横を通り塔の中に戻っていった。

 おれは星を眺めている師の横に出て行った。たぶん師は、さっきからおれがいたことに気づいていただろう。

『レピチザード』師がこちらも向かずに仰った。『あやつが誰か知っているかね?』

「……サイファー。家名は知りません」

『サイファー・ノアニール。おぬしも知っている家名じゃないかね』

 ……あ。

 おれは、穴があったら入りたくなった。

『龍戦争時、王国軍の第一指揮官を務め、特にガリトヴァール戦役やコルティヘラ戦線で奇策を用いた英雄……ヴィンセント・ノアニール。その孫じゃよ、あいつは』

 だからあいつは名乗らなかったんだ。家名で判断されたくなかったから。

『一目見て、わかったよ。あいつはヴィンセントによく似ている』

「え、ヴィンセント・ノアニールは小柄な女顔だったんじゃ……?」

『外見の話ではないわい。気質の問題じゃ』

 師はヴィンセントの部下として龍戦争に参加していたと話を聞いたことがある。そんな師の目に、サイファーはどう映ったんだろうか。

「師。あいつは……サイファーは、どうしてアウトローをしているんでしょう?」

『……理由は、ある。しかし、あやつに黙って口外するべきことでもない。確かなのは、いずれあやつも優れた武士になるじゃろうということだけじゃ』

 

     ◆ ◆ ◆

 

 その日、連中は町の宿に泊まることになった。

 クラリスだけはジル・リートヴィッヒ師の家、というか、自宅に戻ったが。他の奴らも誘っていたが、さすがに遠慮して行かなかったな。おれでさえ遠慮したんだ。当然だろう。一人例外的にやかましい女がいたが、結局宿屋に向かった。そういえば、あのバカ女はいったい今までどこにいたんだ。

 そして、現在おれはというと。

「何故貴様がここにいる?」

 連中の泊まっている宿屋の部屋まで来ていた。

「話がある」

「俺はない。帰れ」

 どこまでもむかつく奴だ、サイファー。例えこいつが名家の出だろうが関係ない。やっぱりむかつくものはむかつくものだ。しかし、ここで怒ってはここへわざわざ来た意味がなくなる。落ち着け、おれ。大人になれ、おれ。

 おれが呼吸を整えている間、バカ女が「シュラバ! 間違いなく、シュラバ!」とか騒ぎ立てていたが、無視することにした。

「クラリスのことで、お前らに言っておきたいことがあるんだよ」

 それだけで連中は目の色を変えた。

「もう、両親のことは聞いてるんだろう?」

 頷いたのを確認しておれは続ける。

「……おれは、正直に言うと、クラリスにアウトローを続けてほしくない」

「それは貴様の都合だ」

「分かってる! それくらい、おれにだって分かっている……! だけど、行ってほしくないんだよ。無事に戻って来られる保証もない場所に、クラリスを行かせられるわけがないだろう。それに……」

 考えがまとまらない。支離滅裂なことを言ってしまいそうだ。

「これ以上、あいつの傷つくところを、見たくないんだ……!」

 もう奴らの顔を見ていられない。おれはここに何を言いに来たんだろうな。どうして当人のおれが分からないんだよ。

「おれは、ずっとクラリスの傍にいた。物心ついた時から傍にいたんだ。おれが覚えてるクラリスは、いつも笑ってた。そりゃ、たまには泣くこともあったけど、すぐに立ち直って笑ってるんだ。自分よりも他人のことばっか考えてて、自分が不幸になることなんか考えもしない……!」

 ああ、震えるな。言うんだ、最後まで。

「そのクラリスが、セシリアさんが亡くなったときは、泣いたんだ。いつまでも、いつまでも、泣き続けたんだ。おれたちがいくら励ましても、聞いちゃもらえなかった。おまけに、ラルフゲルドを恨み始めて、もうぼろぼろだよ。……そんで、立ち直ったかと思ったら、黙って町を出て行っちまった」

 おれは無力だった。

 一番傍にいたはずなのに、まるでクラリスのことを分かっていなかった。でも、記憶はあるんだ。あの時のクラリスは、本当にこの世の全てを恨んでいるかのような目をしていた。今近づいたら、おれまで恨まれるんじゃないか、そう考えたら、怖くて、ろくに声もかけられなかった。

 励ました、なんて言いはしたが、結局のところ何もできなかったんだ。

「だから、せめて……これ以上傷ついてほしくないんだよ……! ラルフゲルドの後を、追って欲しくないんだよ」

 気付けばおれは頭を下げていた。

「……けど、きっとクラリスはおれの言うことなんか、聞いちゃくれない。それに、一度決めたら絶対曲げない性格だっていうのも知ってる。だから、あんたらが支えてくれ。クラリスが選んだチームだ、もう文句は言わない!」

 本当は、おれが守ってやりたかった。けど、おれでは守れない。

 サイファーとベル。支えるだけの力を持った連中だ。

 連中が頷くのを見届けて、おれは宿屋を後にした。

「……いや、だからあたしはチームではないんだって」

 宿屋を出る直前に聞こえたのはバカ女の言葉だった。

 

『おぬしにしては素直じゃのう、トゥインケル』

 中央通りを歩いていたとき、頭上から声が投げかけられた。声のする方向へ振り仰いでみると、通りがかりの店の看板の上に、小柄な姿を見つけた。

「レクター師。そんなところで何を?」

 おれの問いかけにレクター師は答えず、ひょいっとおれの頭の上に飛び乗ってきた。気を抜いていたせいでよろけてしまったが、それだけだった。

『アウトローなんぞにクラリスは任せられん、のじゃなかったのかの?』

 嫌味な物言いだ。ネズミのくせに。

 確かに、連中がクラリスと一緒にこの町に来たとき、そう思っていた。クラリスは簡単に人を信じるもんだから、きっと騙されているんだと。それに、たとえ気のいい連中だろうと、この町にいるほうが……おれが傍にいる方がよっぽど安全だと思った。

『しかし、あやつらは強いのう。ヴィンセントの孫は軍師として皆を導き、己も一人の戦士として無数の巨獣を薙ぎ払いおった。それに、魔族の子はクラリスと共に『ロー』を取り戻したの。遠くから見ておったが、魔族の子が持つ魔力は並大抵のものじゃあない。この国でもあの子に敵う魔法使いがどれほどいるものかの。そして、クラリス。強くなったの、あの子は。今じゃ、おぬしと良い勝負じゃ』

 レクター師は饒舌だ。この語りたがりめ、分かりきったことをいちいち嫌味ったらしく言いやがって……。そんなことくらい、分かってる。だから、任せたんだ。

「そんなことを言いにわざわざ?」

『ほっほっほ。恐い顔をするようになったの』

 むかつくネズミだ。

「どうせ、おれは弱いですよ。今回のことで、思い知らされましたから」

『そうじゃの。ここで一番強いことは確かじゃろうが』

「井の中の蛙。そう言いたいんですか」

『違う。弱さを知ることは大事だと思ってはおるが、おぬしは極端すぎるのじゃ。弱さを知った今、今度は強さも認めることじゃろうて』

「強さ……。あのアウトローに手も足も出なかったってのにどうやって……」

『あの男も言っておったじゃろう。おぬしは、強いと』

「お世辞だ。いや、皮肉かもな。あれだけ圧勝しておきながら言われても、困る」

 いつまで続くんだ、この無意味な問答は。別におれが奴らより弱いからって、おれは強くなることを諦めたわけじゃない。今は弱いだけだ。何とかなる。

 おれの態度の何が気に喰わなかったのか、レクター師は溜息を吐いた。

『『銅の旅』が襲撃してきたとき、おぬしはどこを守っておったのじゃ』

「え、あ……、それは」

 まずい。覚えていないなどとは言えない。いや、おおよそのことは覚えているんだが、夢中過ぎて細かいことまで覚えていない。断片的な記憶を手がかりに、一つだけ思い出し告げる。

「正門だ! 南方の!」

『そうじゃの。まさしく、『銅の旅』が真正面からなだれ込んでくる場じゃ。そこをおぬしは託されたのじゃ。それがどういうことか、わかるの?』

「…………」

 やつが、おれの強さを、認めて……。

 思わず頬が緩まるのを感じた。おれだって、認められてたんだ、あいつに。

『ほっほっほ。分かりやすい男じゃの』

 むかつく言い様だったが、何も言わずにいた。

 

 クラリス、どうしてお前があいつらを選んだのか、今なら少し分かるよ。

 あいつらなら、きっと、今度こそ、お前の助けになるだろ。

 だから、おれは遠くから見守ることにするよ。

 

 まあ、たまには連絡も欲しいところだけどさ。

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