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第十三章 追走の河行船

 

 

 アンダロフの塔から飛び降りたあなたたちは、周囲をさっと見渡します。探すまでもなく、先ほどの不審者はぱたぱたと駆けていきます。全身をすっぽりとフード付きポンチョに包んでいるため、周りの人間にも顔はうかがえないでしょう。けれど、その布の下からじゃらりと見えたのは……魔法書です! 実際目にしたことはありませんが、状況から言って間違いなく、あれがローのものでしょう。

 賊は猛然と船着き場に走っていきます。あなたたちも負けじと後を追いました。

「泥棒です! だれか捕まえてください!」

 クラリスの叫びに反応した者は多くいましたが、その中で誰よりも早く行動したのは黒服の少女でした。両手には縦長の焦げ目のついたパンが握られています。それに彼女の傍らには錫杖が立て掛けられており、その錫杖には数冊の本が詰まった袋が掛けられています。

――――リミュニア?

 あなたはすぐにそれがリミュニアであると気付きましたが、相手はまるで気付きません。リミュニアは叫ぶ声の主には目も向けず、通りを失踪するポンチョ姿を目に捉えると、パンを屋台の上に叩きつけるように置き、身を走らせながら後ろ手に錫杖を取ると逃走せんとする場に立ち塞がりました。

「止まれ!」

 錫杖を地面と平行になるよう胸の前で構え、鋭い声を放ちます。

 しかし賊は失速しません。賊は妨害者の姿を認めると通りに立ち並ぶ屋台の上に飛び乗り、リミュニアの手から逃れようとしました。

「逃がすか、賊が!」

 リミュニアはすぐに反応してバックステップを取りながら賊への距離を縮め、錫杖を振るいますが、賊は屋台の上から高く跳躍して軽々とかわしてしまいました。なんと身軽なことでしょうか。その跳躍はリミュニアの予想も裏切っていたのか、追撃は行なえませんでした。突破されたのです。

 あなたは飛び上がる賊を見上げるリミュニアの横を通り過ぎながら、言いました。

――――『ロー』が消えた! 町を頼む!

「おまえ……、ベル? お、おい! どういうことだ!」

 詳しく説明している暇などありません。声こそかけられましたが、リミュニアが追ってくることはありませんでした。町を守ってほしいという意図は彼女に伝わったのでしょうか。正直自信がありませんが、信じるしかありません。

賊は転がるようにして通りを駆け抜け、命からがらといった様子で船着き場にまえ到達してしまいました。

 あなたたちが河に着いた頃には、一艇の小型河行船が飛び出していくところだった。

――――しまった、逃がしたか。

 あなたが息を切らしていると、クラリスは手近な小型船に乗り込んでいました。

「仕方ない。緊急事態だし、船を借りていこう!」

――――え? クラリス、操舵できるのか?

「うん、子供の頃にちょっと操縦してたから!」

――――ちょっと、って?

 指を二本立てます。

――――二年?

「いや……二時間?」

 明らかに初心者丸出しですが、そんなことを気にしている暇はありません。あなたが操舵出来るはずもなく、近くに人もいません。あなたはクラリスの後ろ、荷台に乗り込みました。もともと一人乗りの小型船のようですね。

「出すよ!」

 舵を握り、動力板を蹴飛ばすクラリス。魔力線が光り、パドルがうなりを上げ、河行船は勢いよく飛び出しました!………………後ろに。

「のわっ!」クラリスは急いでブレーキをかけ、手元をがちゃがちゃといじっていました。思わぬ方向へ急発進した機体に転ばされたあなたからは何をしているのか見えません。尻餅をついて、小型船の縁に両肘を乗せた状態で黙っていると、クラリスが言いました。

「よし、駆動チェック、オッケー!」

――――……大丈夫なのか、クラリス。

「大丈夫だよ! ほら、今もバックギアの確認してただけだし!」

――――本当に二時間でも乗ったことあるのか?

「……正直一人で操縦は初めてだよ。けど、よく乗せてもらってたもん、大丈夫!」

 ……降ろしてくれ、と言いたくなってきたあなたの気持ちも知らず、河行船は今度こそ前に走り出しました。

 

 アンダロフ周辺の河流は、シェルヴァノールの中でも緩やかな流れとして知られています。国土の七割以上が傾斜面であるこの国ですが、アンダロフ領はその中でも珍しく平地となっており、流れは急ではありません。

 ただ、この河流には一つの特徴がありました。

 都を通る支流も内包するこのガルテン川は、非常に複雑で曲がりくねった流域を持っているのです。しかし流れは穏やかなため、普通に船を走らせる分には問題は起こりません。

 ……そう、普通に走らせる分には。

 

 あなたは正直なところ、こんなにも恐ろしい体験をしたのは初めてでした。

 速い。あまりにも、速い。河がくねるたびに体が外側に振られ、身が飛ばされそうになります。ただでさえカーブの多い河川だというのに、まともに操縦の出来ない運転手が船を暴走させているのです。たまったものではないでしょう。

――――クラリス、どうにかならないか?

「え? まだ速度上げるのっ?」

――――そうじゃなくて……。

「これ以上の速度は機体の性能的に無理なの! ちょっと遅いけど、我慢してよ!」

 クラリスは視線を曲げずに前を見据えています。賊の船は、こちらに負けるとも劣らない速度で走っていきます。距離は開いてこそいませんが、近づいている様子も無なさそうです。

 しかし、とあなたは思います。

――――よくもあんな速度で、あんな急カーブを曲がれるものだ。

 平原の中を縦横無尽に走るガルテン川は、見た目以上に幅が狭いのです。よくもまあ、あの賊はうまく船を扱えるものです。

 だがよく考えてみると、この河を追走しているということは、クラリスもほぼ同じ操舵を取っているということではないでしょうか。

――――クラリス。本当に、初めてなのか?

「ほとんど、ね!」

 出航前のミスからは信じられないような舵捌きを見せながら、クラリスは返します。

「たぶん、相手も操舵に慣れてないんじゃないかな! それともぼくが天才だからかな!」

――――船着き場に向かって逃げたくせに、船に乗れないなんておかしい。じゃあ、本当にクラリスが天才なのか……?

「ベル、今いいこと言った!」

 調子に乗って舵を大袈裟に切っていたときのこと、途中急カーブで曲がり切れずに陸地へ機体を擦りつけてしまいました。荷台で派手に転倒したあなたが何も言わないでいると、水を切り裂く音の中で、か細い謝罪が聞こえました。

 しばらくは危なっかしい走行ながらも距離を保ったまま走り続けておりました。

「……っと、まずい。気付かれたみたい!」

――――は?

 目をこらす。……賊がこちらに向けて手を伸ばしていました。そしてその掌から、火球が飛び出してきたのです!

 あなたは慌てて魔法により相殺しようとしましたが、火球の軌道は明らかに船から逸れていたため、無駄に魔法を撃つような真似はしませんでした。

「へたくそ! あいつへたくそだよ、ベル! あっははー!」

――――たぶん、あれはただの威嚇だ! 油断しないでくれ!

「油断なんかして無いよ。さ、ちょっと、荒くなる、よ!」

――――これ以上?

 クラリスは一気に重心を変え、二発目の火球をかわしました。またも視界が激しくぶれますが、機体に衝撃はありません。ただすぐ隣で水が爆ぜて飛沫があなたの身にかかりました。今度は当てようとしたようです。

 ただでさえ曲がりくねった河のせいで酔いそうになるというのに、横への移動まで加えられてはたまったものではありません。

「当たるもんか! 操縦しながら片手間で倒せるほどぼくらは弱くないんだよ!」

 次々と飛んでくる火球。それをクラリスは的確に避けて行きます。しかし、いくらクラリスが自称天才と言えど、全てを避け切ることなど出来るはずもなく、当たりそうになった火球にはあなたが『ラトニグ』で撃ち落とします。空中で折れ曲がる電撃の線が火球を的確に撃ち抜きます。

「その魔法、やっぱり便利だね! シャーリィさんから貰ったんだっけ?」

――――ああ。

 バプティスでの『プロテクト』停止作戦の際にシャーリィから受け取った魔法書は、ホルダーごとあなたの物にしてもよいことになりました。最初はさすがに返そうとしたのですが、作戦の報酬だと押し切られ、結局貰い受けることとなりました。

「ベル、その魔法で前の船を攻撃できないかな」

――――さすがに届かない。けど、『エアー』なら、もしかしたら。

 意識を賊の船に集中させ、『エアー』を発動させてみます。しかし、その結果は意外なものでした。賊の船より遥か後ろ、つまりあなたたちの船の目前で、水が跳ね上がったのでした。

 あなたは発動させながら気づきましたが、エアーで指定できる対象は個体ではありません。空間的な範囲なのです。だから先ほども、「賊の船」ではなく、「賊の船が存在していた空間」が対象になってしまい、水を浮遊させてしまったのです。

 要するに、高速移動中では非常に扱いに困る代物のようですね、『エアー』は。

――――ダメだ、相手の位置が定まらないと。

「困ったね、このままじゃ、追いつけないし……!」

 火球が船の前方を掠め大きく揺さぶりました。低空飛行をする火球には、あなたの『ラトニグ』では対処が難しいのです。

「火球は止まらない。一発一発は弱い魔法だから、相手の魔力が尽きるよりも先に、ぼくらの船が壊されるよ……」

 とにかく追従するしかない状況。あなたも一応試しに『ラトニグ』を一直線にして放ち、先行する船を狙いますが、やはり届く前に空中で霧散します。

「待ってよ、もしかして……」

 クラリスが何か閃いたようです。彼女は前を指差しました。ほぼ直角に左へ曲がる急カーブがあります。そのカーブを過ぎると河は半円を描き、再び直線の河に戻ります。

「……ベル、ぼくが合図をしたらあの曲がり角に『エアー』を使って!」

――――どういう、

「いいから! ほら、今すぐに! ぼくを信じて。大丈夫、なんとかなるよ。ぜったいね!」

 考える暇も無く、あなたは『エアー』を発動させました。魔法が効力を持ち始めたとき、その曲がり角にあなたたちの船が差しかかりました。相手の船はとうに曲がり角を過ぎており、半円の半ばまで進んでおりました。

 クラリスの意図が読めぬままあなたたちの船は曲がり角に差し掛かります。また揺さぶられるものと思い込んでいたあなたは船に掴まります。しかし、揺れは思わぬ形で襲いかかってくることになるのでした。

「行っけぇぇぇ!」

――――は?

 クラリスは、舵を切りませんでした。

 船は陸路目がけて飛び込みました。

 いえ、正確には、飛び立ちました。

 

 二人の乗っているのは飛行船ではなく、河行船です。

 それなのに、あなたたちの船は宙を飛んでいました。曲がり角で発動した『エアー』はあなたたちの乗る船を跳ねあげ、駆ける勢いをそのままに、河を真っ直ぐ飛び出しました。寸前のところで陸路にぶつけることはありませんでしたが、『エアー』の浮遊に身を上下に揺らされたあなたは床に顔面を打ちつけました。

 そんなあなたよそに、河行船はただ真っ直ぐに草原を飛び、砂州を越え、そしてその先の河、半円の終点……賊の目前へ、あなたたちは着水しました。

 クラリスは手元のギアを握り、一気に回します。小型船は凄まじい音と水の壁が生じるほどの飛沫を立てて減速し、一気に止まり……いえ、逆走を始めました。バックギアです!

――――まさか、ここまで想定して駆動チェックを!

「へ? なんのこと?」

 賊はこの状況を理解できていないようです。その困惑が賊の操作に誤作動を招かせ、賊の船の直線上には船の腹を見せるあなたたちの船があるにも関わらず、避けることなくまっすぐ突っ込んできました!

 河行船は派手に衝突し、賊は船外に投げ出されました。あなたもまだ思考が状況に追いつかず、踏ん張ることも出来ずに船の外へ弾き飛ばされてしまいました。回る視界の中、白髪のサイドポニーが宙に踊るのが見えました。

「捉えた!」

 クラリスです。彼女は船が直撃し合う前に船から跳び上がっていたのです。クラリスは空中で双剣を抜き、無防備な状態で放り投げられた賊目がけて十字に交差するような斬撃を放ちました。あなたに『エアー』を発動させるよう促した時から、ここまでのことを想定していたのでしょうか、彼女は。

 賊は回避することも防ぐことも出来ず、無抵抗にクラリスの斬撃の餌食になりました。賊の着ていたポンチョは十字型を描いて切り裂かれ、布切れが宙を泳ぎます。しかし、

「あれ……?」

 宙を漂っていたのは、布切れだけでした。

 中身が、ないのです。あるはずの体がどこにもないのです。

「……どういうこと?」

 クラリスは身を回しながら水面に落ちていくまでの間、ただただ呆然としておりました。

 

 相棒が頭から落ちた後、あなたはすぐに彼女を引き上げました。あまり必要もなかったようですけどね。

 陸に上がったクラリスを見ると、その手元には白いポンチョが持たれていました。

――――首尾は?

「ダメ。逃げられた、かも。刀か何かだったのかな」

――――逃げられたか。

 あなたは腰をさすりながら立ち上がりました。不覚にも先ほどの衝突で草原に落ちたとき、腰をしたたか打ちつけてしまったのです。

――――無駄足だったか。

「そうでもないよ?」

 クラリスはにっこり笑うと、ポンチョの中に手を突っ込み、一冊の魔法書を取り出しましました。まさしく、『ロー』の魔法書です。

「さ、戻ろう。『銅の旅』が来ているかもしれないし、早くしないと」

――――ああ。

 あなたは周囲を見回しました。見渡す限りの草原に、何本も見える河。そして、南には元来たアンダロフが小さく見えます。

「ベル?」河行船を立て直し、いざ出発しようとしていたクラリスは、あなたの様子に首を傾げます。「どうしたの?」

――――この場所を……知っている。

 今まで頑として浮かばなかった記憶が、ようやく見えてきたのです。それはぼんやりとしたものではあるものの、あなたはこの場所を知っていました。この景色を、知っている。

――――ここからもう少し河を遡れば、三又の合流帯がある。その右側……つまり東側の先に、住んでいた。

「ええっ! ちょっと待って、ベル。記憶戻ったの?」

――――欠片のようなものだけど。

 クラリスはむうと考え込む。「今ベルが言った方は、霊峰ラルナのふもとだよ。武士でも下級では立ち入りが禁じられているような場所。何かの間違いじゃない?」

――――そうかもしれない。

 正直なところ、あなたはこの記憶に自信が無かった。

「でも、もしかしたら、そっちに人が住んでるのかもね。そして……この魔獣の使役者が、そこで魔獣を待っていた、のかも。調べてみる価値はありそうだね」

――――確かに。しかし、入れないんだろう。

「うん。まあ、どっちにしたって、今は『ロー』の魔法書を持って帰らないと」

――――異議無し。この記憶だって本当だか怪しいのだから、ほとんど勘のようなものなんだ。これに従ってアンダロフがやられては困る。まずは戻ろう。

 かくしてあなたたちは、ローの魔法書を持って帰途を急ぐのでした。

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