第十五章 御前試合への招待
その日、あなたたちはいつものように仕事を請け負おうと、トクリの外霧組合を訪れておりました。
「最近、あんまり派手な仕事してないよね、ぼくたち」
普段通り先頭を歩くクラリスが、後に続くあなたたち三人に言いました。
「あらあらー、あたしの依頼じゃあご不満なのかしらね、リクディム様は」
エメリアは片方の頬をぷうっと膨らませて抗議します。普段なら町までついてくることのない彼女ですが、今日は町で買いたいものがあるそうで、同行することになりました。いつもは買い出しもクラリスに任せるくせに、どういう風の吹き回しでしょうか。
「派手かどうかは関係ないと思うが?」ぶっきらぼうにサイファーが吐き捨てます。「それとも、俺達は仕事を選べるほど大層な身分なのか?」
「いや、そうじゃなくて……こう、なんていうんだろう」
クラリスは振り返り、瞑想するように目を伏せると手指をわきわきと開閉しだしました。往来の真中で何をしているのか、それは分かりませんでしたが、クラリスの言いたいことをあなたは理解しておりました。同じような気持ちを、あなたも少なからず抱いていたからです。
――――以前が慌ただし過ぎたから。
「そう! まさしくそうだよ、ベル!」
クラリスはあなたの手を取ると上下にぶんぶんと振り始めました。意思が共有出来て相当嬉しかったようですね。
「バプティスのこともそうだし、この前のアンダロフでの戦いが派手過ぎたんだよね。だから、他の仕事がどうも味気なく感じちゃうの。……それに、バプティスじゃあ、社まで走っただけだし、アンダロフでも『ロー』を取り返しただけで、ぼく全然戦ってないんだけどね」
「戦うことだけが、お前の役目でもないだろう。……どうした、お前らしくない」
確かに、クラリスは元々戦闘にそこまでこだわるような人ではありませんね。どうしたのでしょうか。あなたもサイファーと同じように気になりました。エメリアがリクディムに加入していれば、退屈で仕方ないとぼやきそうなものですが。
「ぼくだって出来れば戦闘は少ないほうがいいよ。だけどさ、皆忘れてるかもだけど、ぼくの剣って魔封剣になったんだよ?」
クラリス以外の三人が声を合わせて「あー」とだけ言いました。ほかになんとも言い難いので。
「やっぱ忘れてたんだ!」
その一同の反応にクラリスがたいへん怒りました。
「せっかく『イクス』の魔法をつけてもらったのに、まだ全然使ってないんだよ! バプティスでは社に着くまでに何回か使ったけど、誰も見てないし!」
――――使ったことはあるのか。
「うん、まあね。使い慣れてないから、皆には見せてなかったけど、実は使ってたり」
「何故使い慣れていないからと言って使わない?」
「ええー、格好悪いとこ、見せられないじゃん……」
拗ねたように口を曲げるクラリスに、サイファーは呆れた様子で溜息を吐きます。あなたも同じような気持ちでした。唯一エメリアが大袈裟なくらいに頷いて賛同しておりましたが、あなたは無視することにしました。
これまでも何度か戦闘が生じる依頼は請けてきました。しかし、クラリスの魔封剣が発動するような機会は、確かに見受けられませんでした。その理由の一つが、クラリスの言ったような理由なのでしょう。そして、もう一つの理由は、きっとあなたとサイファーにあるのでしょう。
……クラリスに魔封剣を使う間も与えず、戦闘を終わらせていたからです。
「だいたいね、ベルとサイファーが悪いんだよ!」
「何故だ」
「サイファーは元から充分強いし、ベルは新しい魔法書を手に入れてから何でも蹴散らしちゃうしさ……。正直最近のぼくって二人が戦ってる間に別の用事を済ませる、みたいなことばっかりだと思うんだよねー」
理不尽な問題です。
要するに自分も目立ちたいだけなのでしょう。クラリスの性分を考えれば分からないでもありませんが、これは相当厄介です。クラリスが満足するだけの相手を用意しなければ、この不満は解消されないのでしょう。とは言え、危険な目にわざわざ合わせるわけにもいきません。
エメリアに慰めてもらっている間、あなたとサイファーは考え込みました。
するとそこへ、声が一つ投げかけられました。
「こーの、愚弟!」
懐かしい声と共にあなたの隣で鈍い音が鳴りました。直後、横に立っていたサイファーの巨体が土煙の波を立てながら前方を滑って行くのが見えました。何が起きたのかを分からないあなたに、先程の声の主があなたの肩を叩きます。
「名無しさん、お久しぶりですわね」
――――ルクレチアさん?
手をひらひらと振るのはあなたの言うように、ルクレチア・ノアニールその人でした。以前とは装いが違い、胸元の開いたシャツに膝下まで伸びるスカートというラフな格好をしておりますが、後ろ手に組まれた手にはしっかりと槍が握られております。
――――どうしてここに?
「今日は、リクディムの皆さんにお伝えしなければならないことがあって来ましたの」
ルクレチアはそう言うと、にっこり微笑みました。
この時のあなたは、よもやこの報せがクラリスの悩みを解消することになろうとは、思いもしませんでした。
◆ ◆ ◆
ルクレチアの話を受けたあなたたちは、トクリの船着き場にて王都へ向かう船を待っておりました。近くのベンチにはあなたたちの他にも多くの人々が船を待っています。おそらく皆王都へ向かう人たちでしょう。ちなみに、エメリアとルクレチアはまだこの場にいません。用事があるとのことで町に残っておりますが、船が到着するまでには戻るとのことです。
あなたの隣に座るクラリスが興奮冷めやらぬ様子で足を前後に揺らしていますね。
「楽しみだなー、王都。ぼく行くの初めてだよー。しかも、王様に会えるなんて、今から緊張しちゃうなー」
――――まだよく分からないんだが。
ルクレチアからの話は驚くべきものでした。
先日のカルディハウド国バプティスにて行なわれた救出活動において多大なる尽力に感謝を申し上げると同時に、イリーガル・リクディムへ昇任試験を行なう権利を与える。
簡単に言えばこのようなものです。要するにあなたたちリクディムはバプティスでの功績が認められ、イリーガルとしての位を上げる機会が与えられたのです。日時は翌日となっておりますが、居ても立ってもいられなくなったクラリスに連れられ、ここまで来たのでした。
「前にも話したかもだけど、イリーガルには階級みたいなものが存在するの。結成したばかりだと、もちろん一番下の階級。そして、イリーガルとして手柄を立て続けると、外霧組合から昇任が認められるんだ」
――――なら、自分達は例外なのか。
「そう。まあ、今回はヴァレアとカルディハウドの武士団に協力してバプティスの救出活動に協力したことだね。こういった特別な功績をあげると、稀に王自ら昇任試験を行なってくれる場合があるの」
――――普通に昇任するのとでは、どう違うんだ?
「まずは、名誉だね。王に認められるのと、普通に功績を積むのとでは、随分な違いだよ。自分たちで仕事を探さなくても、名指しで依頼が届くようになるだろうね」
楽しそうに語るクラリスでしたが、その表情がふと穏やかになります。
「それに何より、試験次第じゃ、一気に階級が上げることも夢じゃない」
このとき、あなたはクラリスがどうしてここまで高揚しているのか、ようやく理解出来た気がしました。クラリスは元々目的があってイリーガルを組んでいました。その目的とは、イリーガルとして高位となり、父親が亡くなったであろう遺跡へ立ち入れるようになること。それは母親の遺言でした。
上手く行けば、今回の昇任試験を経て、遺跡に向かえるかもしれないのです。
「だから、楽しみだよ」
「失敗することは考えていないのか」
「うん。全然。だって、この三人だよ? 絶対大丈夫だって!」
鼻を鳴らしてそっぽを向くサイファーでしたが、なんとなくその表情は明るく見えました。それを見たあなたも、思わず頬が緩まるのを感じました。
そうして話し合っているあなたたちの元へ、慌ただしい足音が背後から聞こえてきます。あなたはなんだろうと思いゆっくりと振り向いたのですが、クラリスの隣に座るサイファーは転がるように前へ駆け出し始めました。何かから逃げるように。
「こーの、愚弟!」
ルクレチアの声と共に発せられたのは、先程のような鈍い音ではなく、風を切る快音でした。その直後、逃げるサイファーの足下へ槍が穿たれておりました。槍が地面に突き刺さり、左右に微細な振動を生んでおります。どこかで見た光景ですね。
「何で逃げるのかしらね、まったく」
「思春期よ、思春期。ほら、男の子って急によそよそしくなる時期があるじゃん?」
「ああ、やっぱりそうですの?」
今度こそ振り返るあなたの目に映るのは片方の頬に手を当てて苦笑を浮かべる二人の女性。ルクレチアとエメリアです。井戸端会議をしている主婦のようですね。
「それ、どうしたの?」
クラリスはサイファーのことなど眼中になく、ルクレチアとエメリアが抱える紙袋を指差して問いかけます。
「あらー、気付いちゃった? ふっふっふ、これこそ私が昼酒を我慢してまでトクリにやって来た唯一の理由!」
「昼から飲むなよ、エメさん」
「そして、ヴァレア武士団指揮官の私が一イリーガルのためにわざわざこんな辺境の地まで赴いた唯一の理由、ですわ!」
「あなたにはがっかりしたよ、ルクレチアさん」
クラリスが珍しく冷めた目で大人二人を見据えます。
そんな視線痛くも痒くもないと言った様子で駄目人間二人は高らかと告げます。
「トクリ特製、数か月に一度しかお目にかかれないという、究極のパン! それが今日販売されると聞き付けたあたしは、お店のことを投げ出してここまで来たわけだよ!」
「武士団の情報網を最大限に活かして得た販売日の情報。しかし、公務を放棄してまで訪れることは事実上不可能……。そこで聞き付けたイリーガル昇任試験の伝達の命。運命を感じましたわ」
またもやクラリスの冷たい言葉が待っていると思ったあなたは黙っていました。
「二人とも!」
鋭い声が投げかけられます。そして、クラリスが続けます。
「まさかそれは王都の宮廷料理人が一口食べてあまりにも美味し過ぎると自分との腕前の差に絶望して料理人の道を絶たれたとまで言われる究極の!」
「その通りよ!」
「ですわ!」
「おお!」
あなたはサイファーの元へ駆け寄りました。尻餅をついて頭を抱える大剣士の隣に立ち、その肩を叩きます。
「……もう知らん」
この男、もう駄目のようです。
振り返る先には意気投合した様子の三人組が楽しげに談笑していますね。
混沌とした空気の中、王都への船が着きました。
◆ ◆ ◆
王都の港は多くの人でごった返しておりました。トクリの港も大概のものでしたが、こちらは段違いです。大きな荷物を抱えた商人風の人を多く見かけます。やはり商売には最適な場所なのでしょうか。他にも装いからして上流階級の雰囲気漂う人々も多く見ます。今までの町で、最もアウトローらしき者を見かけない場所ですね。
港から町へ入る際には巨大な門をくぐらなければなりませんでした。要塞都市バプティスのように質素で防衛のためだけにあるわけではなさそうで、外形の他にも表面を入る図柄は芸術的なものを感じました。見栄えが良いことは確かです。
その図柄の一つに見覚えのあるものがありました。
「相変わらず悪趣味なものだな」
サイファーもあなたと同じものを見ていたようです。
それはバプティスの大聖堂で見たステンドグラスに刻まれた、対となる黒白の龍が激突する図柄です。少しは違っているようですが、同一のものと見て間違いないでしょう。
「あら、家名から逃げ出したお前には都合の悪いものだったしから?」
明らかに棘のある言葉を投げかけるのはルクレチアです。以前にあなたとクラリスはルクレチアからあの図についての説明を受けていましたね。
「…………」
ルクレチアの言葉にサイファーは答えません。一瞥をくれると黙って先頭を歩き始めました。その態度はルクレチアの微笑に一瞬影を落としましたが、それ以上何か言うようなことはありません。けれど居心地の悪い空気になりました。耐えかねたクラリスがサイファーの元へ駆け寄り和ませるような笑みで何か話しかけています。そうなると、こちらはエメリアに任せたほうが良さそうですね。
そう思い見やりますが、エメリアの様子がおかしいのです。
「……あれが龍、ねえ」
てっきり王都の空気に浮かれるものかと思っていましたが、エメリアは静かにそう呟くのでした。どうしたのかと声をかけますが、次の瞬間にはいつものとろけそうな笑みを浮かべておりました。見間違いだったのでしょうか。あなたはそう思います。
「さあさあ、王様んとこに行こーぜ、みんな!」
やはり、ただの見間違いのようですね。
門の内側はさらに賑わっておりました。露天商や見たこともないほど豪奢な建物、打って変わって無骨で小さな建物、店の表で調理のパフォーマンスを行なっている人など、本当に多種多様な人々が見受けられます。人だかりがひどく、城に辿り着くまでに何度も案内役のルクレチアを見失う機会がありました。エメリアに関しては目に入るもの全てに興味を抱くものですから、迷子になることが何度もありました。一応年長なのですが。
城の前までやって来ると、人だかりが開けてきました。
「ここまで来ましたけれど、今日は会えませんわよ? 試験は明日ですし」
「うん、だけど先にお城を見ておきたくてさー!」
クラリスは片手に究極のパンと、もう片方の手には橙色の飲み物が入ったカップが握られておりました。ここに至るまでに他にもいろいろ買ったのですが、それらはサイファーが持たされております。ほとんどはエメリアのよるものですが。
「明日には王様の前で昇任試験……まさかこんなに早くチャンスが来るなんてね」
「異例ではありますわね。けれど、それだけの実力を秘めているとは言えますわよ、あなた方、リクディムは」
ルクレチアのその言葉にクラリスは恥ずかしそうに頬を染めてうなじの辺りを掻きます。認められるということは、あなたにとっても喜ばしいことです。
「隊長!」
背後から聞こえる声は、どうにもあなたたちの方へ向けられたように感じます。気になって振り返ってみると獅子の紋章を刻んだロングコートを羽織る一人の若い男性が駆け寄るところが目に映ります。
「あら、シドアではありませんの。どうしたましたの、そんなに慌てて」
「隊長、少しお話したいことがあります」
シドアと呼ばれた武士はあなたたちを遠慮がちに見やります。どうやらあなたたちのいる場で話すような内容ではないようですね。それを察したらしいルクレチアは一言あなたたちに断りを入れると、人混みの少ない場所に歩いて行ってしまいました。
「なんだろ?」
「武士団の偉い人がイリーガルへのパシリなんて下に示しがつきません! みたいなこと言われてんじゃないの~?」
「……ありえない、とは言い切れないな」
遠巻きに見ていると、確かに部下に怒られているような気もします。
それからエメリアが二人の会話に妙な声を当てて遊んでいると、城の方から一人の武士の男性が歩いてきました。オールバックにした金髪に、眉間に刻まれたしわ、体格は決してやわそうではありませんが、特に体格が良いというわけではありません。
男は明らかな敵意を抱いた眼光をあなたたちに向けています。良い予感はしませんね。
「おい、お前らアウトローだろ?」
さっそく喧嘩腰な物言いに顔をしかめるクラリスとサイファー。エメリアは気付いていませんね。
「だったらどうした」
「偉そうな男だな……。まあいい。そんなことより、アウトロー風情が、王城の前で何をしている? 観光ならよそでやれ。さっきからじろじろ城を見やがって……目障りだ」
露骨なくらいに悪意を向けられてしまいました。何がそこまで彼を怒らせているのかは分かりませんが、あなたたちがこの場にいること以外にも彼を苛立たせている原因がありそうですが、今そんなことは関係ありません。
この明らかな挑発に、二人が我慢できるものでしょうか。
「なんか、酷くないですか?」
「あぁ?」
クラリスの声に怒気が窺えます。やはり腹が立ってしまったのでしょう。
「俺たちは王の召還に応じただけだ」
「何をでたらめを……」
武士は一笑に付します。口元を歪めて鼻を鳴らす姿は何とも憎たらしいですね。
「……いや、ちょっと待てよ。まさかお前ら、リクディムとかいうイリーガルじゃねえだろうな?」
「そうだけど、何か問題あるの?」
「大アリだ!」
いきなりの怒声にクラリスは身をびくっと竦ませて一歩退きました。
「お前らか……御前試合をするっていう生意気なイリーガルってのは」
睨みがきつくなりました。何故これほどまでに目の敵にされなければならないのでしょうね。
――――御前試合? それが昇任試験なのか?
「ああ、んなことも知らないで来たのかよ。お気楽な連中だぜ」
いちいち癪に障る男です。
「貴様に迷惑をかけた覚えはないが」
「あるんだよ。明日の御前試合の相手は、この俺だ」
心の底から嫌な溜息が出ました。三人とも。
「正確には、俺を含む三人だがな。ったく、どうして俺がお前らみたいなザコの相手を任されるんだろうな……。ま、首を洗って待ってろよ」
気だるそうな足取りであなたたちの前から姿を消します。急にどうしたのだと思っていたあなたたちのもとへ元気な女性の声が投げかけられます。
「どうかしましたの」
ルクレチアが戻ってきておりました。見れば先程までいた場所に武士を残したままです。まだ話は終わっていないようですね。それなのに、気になって戻ってきてくれたのです。恐らく先程の男も、ルクレチアが近付いてくるのを見てこの場を離れたのでしょう。ルクレチアの方が階級が上なのは明らかなのですから、分が悪いと思うのは当然のことと思えました。
「どうかしたましたの、じゃないよ! すっごい感じの悪い武士に絡まれてたんだから!」
「でしょうね。武士団の中でも有名なアウトロー嫌いですから。それが何の因果かあなたたちの昇任試験のお相手。たまらないでしょうね」
「……知っていたのか、貴様」
「さあ、どうかしら。一つ言えることは、彼、なかなか強いわよ」
いたずらに微笑むルクレチアに、あなたたちはまた溜息をついてしまいました。
◆ ◆ ◆
不敵に微笑んだルクレチアは部下らしき女性武士に引っ張られて町の雑踏の中へ姿を消しました。その後エメリアがもっと町を巡りたいと駄々をこねましたが、例の武士のせいで、とても観光を楽しめる気分ではありませんでしたから、早々に町の宿屋へ向かいました。人が多かったようですが、何とか二部屋取ることができました。
「さ~て、ここの宿屋の質はどうかな~、っと」
先程まで散々不平不満を漏らしていたエメリアでしたが、宿屋に入ると早速次なる楽しみを見つけておりました。退屈しない人生を送っていそうですね、彼女は。
王都の宿屋はわりと大人しい様相をしておりました。エメリアのドリアデスの方がもう少し派手な装いをしているような気がします。安い宿屋を選んで訪れたとはいえ、少し妥協し過ぎたのかもしれません。しかし、この場を選んだ理由はもっと別にあります。
「ここは出る料理が美味しそうなんだよねー」
クラリスのこの一言で決定となりました。
そして、無事部屋を確保したあなたたちはさっそく食堂へ向かいます。
「おお、結構空いてるね」
「まだ夕刻にも早いからな。そういるわけがないだろう」
四人が座れるテーブルを探して歩き回っていると、不意に声が投げかけられました。今日は声による不意打ちがやたらと多いように感じますね。
「うおーい! 止まりやがれ!」
あなたはその声に聞き覚えが、ありました。かなり曖昧な記憶ですが、どこかで聞いたことがあるのです。しかしルクレチアの時のようにすぐに顔と名前が出てきません。そこまで深い知り合いというわけではないのでしょうか。とにかく、声のする後方へ振り返ります。
「うおーい! まだ何もしてねえだろうが!」
見ると、赤毛をバンダナで巻いた荒々しいイメージを抱かせる男が犬歯を覗かせて怒鳴り立てています。そして、そんな彼の眼前には、彼の喉元に大剣の刃を押し当てるサイファーの姿がありました。その目には強い殺意が窺えます。
「俺の背後で騒ぐな……殺すぞ」
どうやら二度にわたる姉の襲撃がトラウマとなりつつあるようですね。
「ていうか、誰さ、そこの兄ちゃん」
テーブルを囲んで座るのは五人の男女です。
あなたたちリクディムの面々と、その拠点ドリアデスの女主人、それにやたらと威勢のよい赤毛の男。彼らが囲うテーブルの上にはまだ料理の一つも並べられておりません。
「はい、てめえらに問題だ! オレは誰でしょうか!」
当たり前のように輪に加わっている赤毛の男が腕を組んでふんぞり返り、皆を見渡しながらそう言い放ちました。よく通る騒々しい声にあなたたち以外の客人も眉をひそめますが、彼はそんなことを気にもせずあなたたちから問題の解答が寄せられるのを待ちます。
「あ、トクリの町にいた鍛冶屋のおじさん!」
「違うわ! 鍛冶なんざできねえよ!」
「ふ、阿呆が。こいつは、バプティスにいた武士だろう」
「武士でもねえよ! なろうと思ったけど断られたよ!」
――――森で襲いかかってきた猛牛。
「人間じゃねえ、そいつは! てめえの目にオレはどう映ってんだ!」
「究極のパン職人ね、間違いないわ」
「てめえに関してはオレが知らねえよ!」
あまりにもやかましいのでサイファーが再度大剣で脅し、鎮めました。赤毛はしゅんと項垂れ、テーブルに突っ伏してしまいました。盛り上がったり落ち込んだり一人で忙しい男ですね、まったく。
料理でも取りに行こうかと思ったそのとき、赤毛が突っ伏したままくぐもった声を出します。
「なあ、マジで忘れてんのか……?」
今度はひどく寂しそうな声が飛び出しました。
ここまでくると可哀そうです。そろそろ思い出してあげたいあなたでしたが、どうしても名前が出てきません。それどころか、どこで出会ったのかも覚えておりません。近頃は様々な人から依頼を請けていたものですから、一度や二度しか会ったことがない人であれば、相当インパクトのある出会いでなければ覚えていられないのです。
「そんなわけがないだろう」
そう言ったのは大剣を背負い直すサイファーでした。
「バートレー・ラスティ。トクリ領主からの依頼で石板の回収をしている時に一緒に班を組んだな」
それ聞いてようやく思い出しました。
確かにいました。一緒に十日間を共に過ごし、最終日には敵前逃亡を果たしたあの男です。
「ああー、逃げた人か」
――――そうだ、逃げた人だ。
あまりいい印象派ありませんでした。それにしてもサイファーが覚えていたことが意外です。どうでもいい人間のことなどすぐに忘れてしまいそうなのに。
「貴様ら、本当に忘れていたのか……」
「だって、あの時は……ねえ、ベル」
――――ああ。
クラリスとあなたは同じことを考えているようです。
「デイヴの印象が強すぎて、ちょっと」
「ちくしょう! 確かにあいつの存在感には勝てる気がしねえ!」
机をダンと殴りつけて悔し泣きします。本当に勝手に慌ただしい人です。
「まあ、今は奴のことはいい……。ここで会ったが百年目だ! あの時の報酬を返してもらうぜ!」
「逃げたんだから、あげないよ」
「逃げてねえって! むしろオレの前から消えたのはてめえらのほうだろ!」
話が噛み合いません。クラリスとバートレーでは一向に話が進みそうにありません。そんなあなたたちが座るテーブルに五人分の皿が置かれます。持ってきたのは、いつの間にか席を離れていたエメリアによるものでした。
「食べながらでも話せるでしょ、みんな」
エメリアのとろけそうな笑顔に、毒気を抜かれてしまいました。
落ち着いたバートレーから事情を聞いたとき、ようやくあなたたちはあの日起きたことを理解することが出来ました。彼の持つ刀『クライヤ』は一体の敵に対しては無敵の能力を誇るのですが、二体以上を相手にするとまるで無力になるという特殊な刀です。そして、あの日は見事集団攻撃を受けてしまい、あっさり『クライヤ』の出番は終了となりました。その後、あなたたちは襲いかかる獣の群を倒しました。そして、バートレーはその間何をしていたのかと言いますと、
「『クライヤ』が暴発するとな、気絶しちまうんだよ、オレ」
気絶していたのだそうです。
「それでな、起きたらな、誰もいなかったんだよ……」
聞けば聞くほど不憫な男です、バートレー。
「そういう事情があったなら、報酬のことは悪かったね」
「ああ、まったくだ。外霧組合に行っても取り合っちゃもらえねえしな……」
「今は何をしてるの」
「アウトローやりながら、ちょっと記者なんかやってんだよ」
「記者?」
「そうさ、今この国、いや世界中には山ほどネタが転がってる。オレが目をつけてるのは、もっぱら火の雨だな。都市一つを壊滅にまで追い込む謎の強力な魔法、消えない炎、どれをとっても真相を突き止めねえ手はねえだろ。それに、記者連中はわざわざアウトローを雇わねえと調べられもしねえ。その点、オレは一人でも平気だからな」
「……相手が一人なら、の間違いだな」
サイファーの一言にぐぅの音も出ません。
「でも、本当にごめんね、石版の時のこと」
「ん? ああ、もういいって。てっきり持ち逃げされたと思ってたけどよ、違うんだろ? てめえらはオレが逃げたと思い込んでた。実際、逃げたみたいなもんだしな。よく考えれば報酬は貰えなくて当然なんだよな」
本当に忙しい。しかし、決して悪い男ではなさそうです。
「ところで、お前らは何で王都に?」
「ああ、イリーガルの昇任試験。明日、イリーガル嫌いのルーブルをぶちのめすの」
「ぶち……。ああ、そういやそんな話聞いたな。ルーブルといやあ、ちょいと有名な魔法使いだぜ? ただで勝てるほど弱い相手じゃねえ。……良かったら、教えてやるぜ? オレの知ってる、ルーブルという魔法使いについて」
バートレーは嬉々として犬歯を覗かせて言いました。それにあなたは頷いて応じます。少しずるい気もしましたが、勝つためには必要なことです。明日の勝負は、クラリスの願いが叶うかどうかを左右する、大事な試合なのですから、なりふり構っていられません。
あなたの首肯に、バートレーはいっそう嬉しそうに快活な笑みを見せました。