top of page

第十二章 トゥインケル・レピチザードの手記より

 

 

 霜降月十八の日、晴天。

 今日は実に騒々しい日だった。こんなに大きな騒ぎが起こったのは何年振りだろう。あまりにも出来事が多かったため、今日の日記は長くなる。あれだけの騒動で、おれが生きていられたことも不思議なくらいだ。

 色々と文学的趣向をこらした文章が書けるだろう日だったが、いかんせんそんなことを考える余裕があまり無い。記憶が鮮明なうちに書くためにも、何の芸も無く時系列に沿って出来事を羅列していきたいと思う。

 

 まず、今日の朝食のことから書いていこう。おれは慣例通り、専攻学科の教師のもとで朝食をとった。しかしいつもと違い、その教師、ジル・リートヴィッヒ師の部屋は賑わっていた。

 クラリスが帰ってきたことは昨日書いたとおりだ。実に嬉しいわけだが、残念ながら邪魔くさい虫どもが三匹もついてきた。何を考えてるのかよくわからん魔族、無遠慮な女、そして特にいけすかないのがサイファーとかいう男だ。あの野郎、おれの大事なクラリスにベタベタと。許せん。くそう、クラリスがまき散らすパンくずを拾うのはおれの役目だと十年前から決まっているというのに。

 ……と、おれは非常に不愉快だったわけだ。まあ、そんなことはわりとどうでもいい。

 問題は、ジル先生がこんなことを言い出したことに始まる。

「そう言えば、イリーガル・リクディム諸君。あなたたちは、『銅の旅』をご覧になったことがありますか?」

 あーあ、見たかあのアホ面。揃いも揃ってバカみたいな面をしている。

 銅の旅が何か、と聞いたのは魔族。クラリスは丁寧に解説してやっていた。

 簡単に書いておけば、『銅の旅』とは毎年この学都を横切るオオタテヅノの大群のことを指す。銅色に輝くオオタテヅノが、数万頭一斉に草原を駆けてくる様は、非常に美しい。そのため、今ではこの時期を狙って集まる絵描きや観光客も少なくない。

 一方、それと入れ替わりになるように町からは男たちがいなくなる。オオタテヅノの住処である山は、良質な銅の取れる鉱山なんだよ。いつもは凶暴なオオタテヅノのせいで近寄れないが、年に一度の『銅の旅』にはオオタテヅノは巣を空ける。その二週間たらずの隙に、都民総出で銅を掘るのだ。

 もっとも、これはローができてからの話。それまでは、年に一度の『銅の旅』が来ると、その防衛は小さな戦争以上の激しさだったという。その名残で、アンダロフは城塞のような構造をしているわけだ。

 クラリスは何度かこの都で見たことがあるはずだ。その魅力や美しさをクラリスが語っている横で、リートヴィッヒ先生は素晴らしい提案をなさった。

「ちょうど一番接近するのは今日ですね。そうだ、トゥインケル。クラリスとも久し振りに会ったのですし、今日の午後から入っていた授業は休みにしましょう。一緒に展望台に行ってらっしゃい」

 素晴らしい提案です、師。

「あ、だけどおれ、今日は午前にレクター師の授業が入っているんだ。だからそれまでは……」

「何を仰ってるんです? リクディムのみなさんもご一緒してもらえばいいじゃないですか」

 そう言えばレクター師、サイファーを授業に誘っていたな。ちくしょう、あのクソネズミ。だがそこでおれはハッと気づいた。これは、ある意味ではチャンスなんじゃないか? ここでサイファーをけちょんけちょんにのしてやれば、クラリスもアウトローに対する考えを改めるに違いない。

 おれはほくそ笑みながら朝飯を終えたのであった。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 おれたちが少々遅れて技能場に入ると、既に三百人近くの学徒が集まっていた。レクター師の門下生だけでなく、他の門下との合同練習なのだ。レクター師は一瞬眉をひそめたが、サイファーの姿を認めると何も言わなかった。チッ、特別扱いだな……。

 この日は予定通り自由試合であった。難しいルールは存在しない。とにかく相手を見つけ、ごく普通の練習試合に則り、『シールド』を張った上で試合う。シールドが割れた時点で負け、というわけだ。

 いつもと違うのは、門下生に混じり、サイファーが試合に混じることか。レクター師の提案だ。曰く、

「アウトローとして振っている剣に触れることも良い経験になるだろう」

 ということ。

 自慢ではないが(自慢だが)おれは二年前から一度もこの試合で負けたことが無い。事実上、レクター門下の最強がおれである。クラリスもおれの強さは重々承知しているはずだ。さあ見ていろクラリス……と、そのときだ。

 技能場の向こう側、サイファーが剣を納めていた。その目の前で、レイジェが無様に転がっていっている。どういうことだ? レイジェはアデレイド門下で二番手と呼ばれるほどの腕前を持っているはずだぞ……一瞬で負けるわけが無い。

 横目で見ていると、サイファーは次々に試合を挑み、次々に勝ち抜いている。……あの男、どんなインチキをしてやがる。

 ひるんではいられない。

「調子に乗るなよ、アウトロー」

 おれは、ちょうど五人のシールドを割ったサイファーに向かい、剣を向けた。

「なんだ、領主のぼっちゃんか。貴様じゃ話にならん。もう少し強い奴と試合いたいものなんだがな。口先だけのバカはひっこんでいろ。首席を出してくれ」

 何だと……!

「おれがレクター門下の首席剣士だ。わかったら剣を抜け」

 サイファーはバカのように口をぽかんと開け、無言でレクター師に顔を向けた。

「うむ、そいつがうちのトップなのは本当じゃ。他の学徒とは実力が違うぞ」

 そう言われてようやく信じたらしく、サイファーはこちらに向き直った。

「悪かったな。それじゃ、胸を貸してもらおうか」

 奴はそんなことを言うと、剣をゆっくりと抜いた。

 おれは一般的な片手剣を用いる。

 奴は大剣を使うようだが、武器の大小で強さが決まったりはしない。むしろ大剣など隙が多いだけ。おれから言わせてもらえばろくでもない武器だ。そんなものを使う奴に、このおれが負けるわけがない。

 先手はくれてやるつもりだったが、先に言われてしまったので、仕方なく先手はおれが取ることになった。ちくしょう、余裕ぶりやがって、身長高いからって調子に乗るなよ。

「行くぞ!」

 

 結果から書こう、おれは負けた。

 おれの学ぶレクター流の剣術は、俊足の剣術。それは先手を取った時点で勝利が確定する剣術だ。瞬発力を爆発させ、見切る間もなく相手を斬り捨てる。そうしておれは数々の相手に勝ってきたんだ。

 一撃目、おれは直撃を確信していた。

 奴は動くことも出来ず刃をその身に受けたかのように見えた。ただ、感触がなかった。よく見れば斬撃に合わせて身を引き、大きく後ろに跳躍していた。わざと間一髪でかわしたのか、それとも本当にギリギリだったのか。よくわからなかった。

 それからも距離を開けないように最小限の振りでサイファーを追いかける。大剣で攻撃する隙なんて与えない。俊足の剣術を使うおれに、奴の大剣が通じるわけがない。

 おれはさらに速度を上げ、ついに奴の背後を取り、横に薙いだ。

 だが、その攻撃は外れた。読まれていた、と言っては正確ではない。サイファーは、おれが背中に回ったことを捉え、それに反応して体を引いていた。おれの剣は、剣先がなんとか奴をかすめただけだった。

 そして同時に、おれの左腰には奴の剣が深々と入っていた。その一撃で、おれのシールドは容易く破られ、勢い余ったおれは軽々と宙を舞っていた。壁に叩きつけられる瞬間まで、おれは状況を把握できなかった。

「なるほどな、大口を叩くだけはある」

 茫然としているおれの前で、サイファーは剣を納めた。

「速い。重い。学徒風情とバカにしていたが、貴様は別格だった」

 だめだ。

 次元が、違いすぎる。

 おれは……なんて、弱かったんだ。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 レクター師の授業を終え、おれたちは北東の石塔、通称アンダロフの塔に向かった。アンダロフで最も高い建造物であるこの塔は、ローの中から頭を出すほどに高い。ローの外界たる銅の旅を町中から見るには、絶好のポイントというわけである。

 アンダロフ最上階の展望台。エメリアとかいうバカ女は、こんな高い場所に来たことがなかったようでわあわあ騒いでいる。周りには絵描きや観光客が多く、恥ずかしくてたまらない。全く、これだからでかい女は嫌いなんだ。

 サイファーとクラリスは仲良く遠くを眺めている。ちくしょう、あんな負け方をしてはもう何も言えない。くそう、おれはどうせ弱いさ。……といじけていると、おれの横で外を見ていた魔族がこちらを向いた。いったい銅の旅がどこにいるのかわからないらしい。

 見ればなるほど、まだあんなに銅色は遠い。森を二つばかり超えた先、山のふもとあたりに見える。最接近するのはあと五時間くらい後だろうか。

 魔族の質問に答えたおれは、溜息を吐いて欄干に頬杖を突いた。顔をうつむければ、町の様子が克明に見える。

「ねえねえ、案内さん! あそこに見えるのはなーに?」

 バカ女が肩をばしばし叩いてくる。痛い。

「誰が案内さんだ……。あそこは中央通りだ。町を十字に分かつ学術都市一番の大通りだな。言っておくが、店はどれもこれも学術レコードや研究に必要な材料、それに魔法書の類くらいしか売っていないぞ。後は飲食店。観光客用の店はほとんどないと思え」

「じゃあね、そっちは?」

「鍛冶屋通り。この町には魔法書を記すことのできる技術者がわんさかいるからな。普通の武器以外にも魔法武器なんかも取り扱っている。学術都市と言っても、勉学だけが盛んなわけじゃないんだぞ」

「ほぉあ! じゃあ、今度はアレ!」

「学徒通り。研究や学問に関するレコードはだいたいあの通りにあるレコード店で見つけられる。他にも娯楽小説も多く仕入れられていて、レコード好きなら一度は訪れたい場所だ。……ほら、あそこにも明らかに観光客気分丸出しの黒服の女がいる」

「なんか見覚えあるな……ま、いっか。んじゃ、今度はあっちだ!」

「『ロー』の社だ。って見れば分かるだろう。他の町と変わりないし……」

「おりょー、誰か飛び出してきたよー、やー、さすが学術都市! 僧侶以外にも社に立ちいる人がいるんだねー」

「ん? お前、霧の中でよく見えるな……」

 つられて見れば、確かに社の方から人が駆け出している。あっちは、船着き場かな。

 ……待てよ?

 なぜおれはこんなにハッキリと地上が見えている? いつもはこんな風に見えるはずが無い。どうしてか? そりゃローがあるからだ。もっと、霧が深くかかり、地表が見えることなんて無い。

「ローは……ローはどうした!」

 ローは、少しずつ、そして明らかに晴れつつあった。

「どうしたの?」クラリスはおれの声に気づき、そして……眼下を見て状況を察知したらしい。

「怪しい人が船着き場に向かってるね、あれ、もしかしたら」

「ああ。社から出てきた石版泥棒かもしれない!」

 かもしれない?……いいや、間違い無い。考えるのは後だ。あれが『ロー』の石版なら、この町は今無防備だ!

「急いで奴を追おう!」

「トゥインケルは町をお願い。領主さんにこのことを伝えて。あいつはぼくたちが追うよ!」

 クラリスは魔族に目配せすると、欄干を飛び越えた! 魔族も一緒だ! な、何考えてやがる! ここの高さがわかってるのか?

 見ると、地上直前で二人の落下速度は急激に遅くなった。浮遊魔法の類だろうか?……全く、あまり驚かさないでほしいもんだ。

「行くぞエメリア。坊っちゃん、領主に会うから案内してくれ」

 ……ちくしょう、指図するんじゃねえ!

 

     ◆ ◆ ◆

 

 役所に向かうと、領主部屋の前には人だかりができていた。ローの異変に気付いた人々のようだ。その多くは、学徒のようだ。

 おれは「トゥインケル・レピチザードだ! 道を開けろ!」と怒鳴りながら人を蹴散らし、領主部屋に飛び込んだ。

「父さん! 大変だ!」

「そんなこと、わかっとるわ……!」

 部屋の中で、親父はオロオロと歩き回っていた。ベルモント・レピチザード。でっぷり太ったお腹の目立つ、現アンダロフ領主である。

「トゥインケル……わしらはもう終わりや。ローが、ローが消えおった。銅の旅は今日中にやってくる。そしたら町はメチャメチャや。仮に生き延びれても、わしは事件の責任を取らされ一家郎党捕まってまうんや……ああもう、なんでこないな目に……」

「バカなこと言うなよ! 父さん、ローができる前のこの町知ってるだろ? 昔は都全体で防衛戦をやってたいたはずだ。今指揮が執れるのは、父さんだけじゃないか」

「何言うとんねん。わしはオースの出や。二十年より昔のアンダロフは知らんねや」

 そうだ、父さんは婿に来たんだ。母さんは今銅山で指揮を執っている。

 どうしよう。どうすれば。おれが固まってしまったとき、口を開いたのはサイファーだった。

「グダグダ言っている暇は無いだろう、領主。ローが晴れた状況は変えられない事実だ。これから、どうするかを考えなければならない」

「な、なんやねん、じぶん?」

「俺が誰かなんかどうだっていい。いいから対策を立てろ。このままじゃ本当に銅の旅がこの都を薙ぎ払う」

「んなことわかっとるんや!」親父は情けなくわめいた。「けど、どないせーっちゅうねん。兵は無い、将も無い、あるのはサビ付いた迎撃兵器と、右も左もわからへんようなアホ学徒ばぶふぉあっ!」

 ……サイファーは、力いっぱい父さんの顔面を殴りつけた。勢い余って、親父は床をごろごろと転がっていく。

「貴様、それでもこの学術都市の領主か!」

 目を回している親父に、サイファーは言い捨てる。

「学徒は兵力として十分に数えられる。彼らを馬鹿にすることは俺が許さん。……貴様がやらないなら俺が指揮を執ってやる。責任だって俺が取る。これで文句は無いだろう!」

 誰も何も言わなかった。この男が優れた実力者であることはわかっていたし、その気迫に飲まれてしまったというのも一因だ。

 おれはふうと溜息を吐いた。父さんは気を失っている。ほとほとダメな人だ。

「サイファー。父さんに代わって応えよう。……指揮を、頼む」

 いけすかないアウトローはフッと笑った。

 そして奴は、この都の見取り図を要求し、動ける戦闘要員を中央広場に集めるように言った。

「それと、船を出せ。隣町に行ってローの写本を書いてくるんだ。増援も頼めれば越したことは無い」

 おれは一瞬意味がわからなかった。時間がかかり過ぎる。ローほどの高位魔法の式は単純ではない。銅の旅到達には間に合わないだろう。どんなに早くても一日は掛かる。そんなところに人を割いていていいのか?

「当然だ。貴様、まさか一日でオオタテヅノを撃退できると思っているのか?」

 ……あ。

 そうか。三日三晩戦い続けた、なんて話も聞いたことがある。

「ローが一日で完成すると思っていれば、こちらはほとんど『攻める』必要がなくなる。つまり、専守防衛に徹することができる。撃退を目的としない、本当の『防衛』だけで良くなるんだ」

 サイファーはそれだけ言うと、領主部屋の扉を蹴り開けた。

「聞いていたな。全員行け!」

 学徒たちはぱっと駆け出した!

bottom of page