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第二十五章 黒の世界、銀の世界

 

 

 

 私の名乗りに最初に反応できたのは、サイファーでした。
 彼は大剣を抜き、こちらにつきつけます。「貴様がアリューゼだと? では、ここにいる……このアリューゼは、いったい誰なんだ」
「そ、そうだぜ。こいつにはアリューゼの記憶もあるんだ」
 私は鎖に繋がれたまま、精一杯朗らかな笑顔を作りました。……もっとも、あなたの目から見るとぎこちないものでしたが。
『あなたたちの疑問は、尤もなものです。全て、お話しましょう。時間は残りわずかですが、この話をする程度には十分すぎるほど残っています』

     ◆ ◆ ◆

あなたたちは、ネッド・ラッダイトをご存じでしょうか?
三十年ほど前……『ロー』が発見され広まろうとしていたとき、霧によって仕事を追われた騎族たちが起こした霧破壊運動。それが、ラッダイト事変です。これを指揮した首謀者がネッド・ラッダイトという人物だったそうですが、結局ラッダイトは発見されぬまま事変は武士たちによって鎮圧されました。
 この事件は、実はラッダイトの手によるものではなく、ラッダイトと与していた騎族たちが暴走したことがきっかけでした。つまり、本来ならラッダイトは騎族の地位奪還などが目的ではなく、あくまでも『ロー』を消すことが目的だったんですよ。

 その意図は何だったのかをお話しするには、さらに時代を二十年ほど遡らなければなりません。

 五十年前に起きた戦い、龍戦争。
 西方武士団の侵略に端を発するこの戦いは、最終的には世界を滅ぼさんとした銀龍と、それを止めようとした金龍の大戦争へと発展しました。そして、ついに二頭の神龍が激突したのは聖地、ヒノハラ。ここで銀龍は封じられ、金龍は龍としての力を失ってしまったと伝えられています。ここまでは、ごく一般に知られている知識でしょう。しかし、この話には続きがあるのです。
 銀龍の魔法に、『エルプト』というものがあります。ある物質で空間を囲み、その中を灼熱で満たす凶悪な魔法です。しかし、その『ある物質』の生成に時間がかかるので、龍戦争のときにはエルプトは数えるほどしか使われていません。
 しかし、この物質で囲まれた空間は、外から見るとまるで霧に覆われているように見えるのです。
……もう、お気づきでは無いでしょうか?
 エルプト発動の布石となる、霧を生みだす魔法。
 人はその魔法を、『ロー』と呼びました。

 ヒノハラで『ロー』を構成する魔法文を得た教会は、その本当の力も知らず、世界に広めようとしました。ラッダイトはそれに対抗しようとしていたのです。が、結局部下である没落騎族は彼の指示を待たず暴動に出て、失敗に終わりました。

     ◆ ◆ ◆

「そんな……バカな」
 サイファーは言葉を失います。
 巨獣は確かにローを避けていました。しかしそれは、そこを焼き尽くす魔法の存在を本能的に感じ取っていたからなのです。人間だけがその危険に気づかず、自らローを生み出すという愚を犯したのでした。自分の墓穴を掘っていたに等しい愚行です。
『しかも、銀龍にかけられた封印は、年々弱まっているそうです。封印から五十年が経った今、復活は間近に迫っています。近頃、ローの中で火の雨が降っているでしょう? あれは、できそこないのエルプトです。目覚めかけている銀龍が、まだ弱っている力で各地のエルプトに干渉しているんです』
――――あの大被害が、『できそこない』だって……?
『ええ。完全に銀龍が復活してしまったら、この世界は終わるでしょう。全ての町は灼熱に包まれ、灰も残らないほどに焼き尽くされる。それを防ぐため、私たちはローを廃止することを求めてきました。また、火の雨が予想された地点では、たとえ危険があろうとも、ローを破壊することにしたのです』
「確かに、そう考えれば多くのことに説明がつく。矛盾は見つからなかった。納得せざるを、えない」
『よかった』
「待ちなさい」
 しかしそこで口を挟むのはルクレチア・ノアニール女史でした。
「今の話では、わからないことがありますわ。いったいどうして、ラッダイトは『ロー』の正体を知っているのですか? それに、あなたも火の雨を予測している。その根拠はどこに?」
『簡単なことです』
 私は少し溜めると、その言葉を口にしました。
『ネッド・ラッダイトは、龍なのですから』

     ◆ ◆ ◆

 龍と言っても、彼らの外見は人間のそれにほとんど近しいものです。魔力が解放されたときだけ、龍の姿に変わるのです。
 龍戦争で力を封印されてしまったラッダイトは、人の世界を救うため、あらゆる手を尽くしてきました。しかし結局どれもうまくいかず、彼は銀龍復活を目前に控えたこの年、ついに最後の手段に出たのです。
 それは、金龍に代わる人間に、銀龍を倒させること。

 龍は人の力では倒すことができません。しかし、ラッダイトは金龍の魔法『インペリアル』の式を持ち帰っていました。これを扱える人間さえいれば、理論上銀龍を倒すこともできるはずです。
 問題は、インペリアルを扱うことの難しさ、そして必要とされる魔力の量でした。
 結論から言いますと、この条件を満たすことのできる、インペリアルの扱い手たる人間は、この世界にはいませんでした。百人がかりでも不可能でしょう。しかし、一つだけ手段は残されていました。
 すなわち、異界の人間をこの世界に召喚することです。
 その異界の人間こそ、ベル・エヴァンジェリン。あなたなんですよ。

     ◆ ◆ ◆

――――自分が、この世界の人間では、無い?
 あなたはぽかんとして繰り返しました。
――――そんな、まさか……。
「ベルはこの雪山までの道を知ってたよ! それは、失う前の記憶じゃないの?」
『違います。それは、私の記憶ですよ』
 あなたはもう何が何だかわからないという顔をしています。
『この世界にありもしないあなたの存在を、ここに保つためには、一つの条件がありました。つまり、自分の存在の半分を提供する者……贄(にえ)です。私は、その贄としてラッダイトに呼ばれ、ここにやってきました。だから私とあなたは、根本的に一つの存在であり、私はあなたの考えも、見ることも聞くことも、全て共有することができたのです』
 あなたが見た夢や、取り戻したと思っていた記憶は、私の記憶が混線し、流れ出ていたものなのでしょう。
――――それが全部本当だとして、どうして自分はここに召喚されなかったんだ。どうして、遠く離れたヴァレアの森の中に倒れていたんだ。
『それは……召喚中に事故が起き、正常な召喚が為されなかったんです。私の側からあなたに思考を飛ばすことはできませんし、私は儀式中のこの鎖から離れることはできませんでした。しかも、ラッダイトは姿を消してしまったのです。もう、計画は失敗したかと思っていました。ですから、あなたたちが偶然を重ねてこの城に辿りついてくれたことは、本当に、奇跡のようなことだったんです』
 私は感謝を込め、あなたに頭を下げます。
『ベル。もう、銀龍が復活するまでに時間がありません。銀龍はラッダイトによれば、如月十八の日には復活を遂げてしまうはずです』
 今日は、睦月二十九の日。残された時間は、二十日も無いのです。
――――ちょっと、待ってくれ。ラッダイトは……何をしているんだ?
『それは……』
 その質問は、私には答えられないものでした。
 召喚の瞬間、私は意識を失ったのです。そして目覚めたときには、既にあなたの思考や五感が私の中にはありました。しかし、ラッダイトはどこにもいなかったのです。
『わかりません。しかし、生きていることは確かでしょう。あなたがここにいるのですから』
――――どういうことだ?
『あなたを召喚したのはラッダイトです。術師が死亡してしまえば、あなたと私の結びつきは消え、あなたは実体を保っていられなくなるでしょう。もちろん、私が死んだ場合も同じです』
――――だから自分がここにいられる限り、ラッダイトは無事だということか。
『ええ』
 ラッダイトが召喚の失敗を知っていれば、あなたたちをもっと早くこの場に呼ぶことができていたでしょう。しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。
『ベル、そこに本があるでしょう』と、私は広間の片隅に積み上げられた本を指差します。『その中に、インペリアルの本はあるはずです。それを持って、聖地ヒノハラに急いでください』
――――……わかった。
 あなたは頷きましたが、その横でカチッと音がしました。見れば、バートレー・ラスティが録音機を止めた音だったようです。
「これで、証拠はできた。オレらは教会に向かおう。『ロー』を消してもらわねえとな」
「ああ」サイファーは短く答えます。
「ベルの疑いを晴らせるのだな」
「それに『ロー』を完全に消さなくてはならないでしょうね。この期に及んで『ロー』を維持するとは思えませんし」
「じゃあ、ここに来るまでのメンバーでいいかな」クラリスが言います。「わたしはベルと一緒に聖地に向かうよ。サイファーたちは、この事実を各国に報せて」
「お前たちは二人で大丈夫なのか」
「誰に言ってんのさ。イリーガル・リクディムのリーダーを、なめないでよね。それに、みんなにも行かなきゃいけない理由があるだろうし」
 クラリスは自信満々にそう言います。ずいぶんと頼もしいリーダーに成長したものです。
『では、ベルとクラリスはここに少し残ってください。これから向かってもらう聖地ヒノハラについての説明をしますので』
 私がそう言うと、あなたたちは頷きました。
 そして、バートレーがあなたに肩を叩き、言います。
「これが全部終わったら、世界を救った英雄ってことで、お前らのイリーガルを独占インタビューさせてくれよな! 約束だぜ?」
――――是非、頼む。
「照れるなー、なんて答えるか考えとかなくちゃ」
 バートレーは犬歯を覗かせる快活な笑みを残してあなたたちに背を向け、歩きだしました。ずいぶんと気持ちのいい青年ですね。
 次にルクレチアが前に出てきて、クラリスの肩に手を置きました。
「貴方たちには助けられてばかりいる気がしますわね。……サイファーが、貴女のような立派な人の元でアウトローをしていたこと、私は嬉しく思いますわよ。また今度、必ずお礼をさせてくださいね。ノアニール家が、最上のもてなしを約束致しますわ」
「言ったね? 王都で最高に美味しい料理、期待しちゃうから」
――――それは楽しみだ。
 あなたたちの顔を順に見て、ルクレチアは穏やかに微笑みました。そして、一つ頭を下げると、バートレーに続いて背を向けたのです。
 その後、リミュニアが気まずそうに頬を人差し指で掻きながらクラリスの前に立ちました。
「君達に出会えて、本当に良かったと思っている。それと、もうアウトローだという理由で人を馬鹿にしたりしないと、心から誓おう。……だから、また私と会ってくれないか? もちろん、仕事以外で、だが」
「もちろん! なんだったらイリーガルに入っちゃう?」
――――飛躍しすぎだ。……でも、それも楽しいかもしれない。
 さすがに首を縦には振らず苦笑で返されましたが、去り際の一礼の後に残っていたリミュニアの顔には、憑物が晴れたかのような、凛とした笑みが刻まれておりました。
 そして眉尻を下げて困った様子のハミルトがあなたの頭に手を置きます。
「二人してうちの僧正を口説かんでくれよ、あれで単純な頭してんだから。……まあでも、あの人はあんま遊びを知らないからさ、お二人がしっかり教えてやってくれよ」
――――ハミルトが教えればいいのに。
「そうだよ。わたしたちも一緒に遊ぶけど、ハミルトもいてくれなきゃ」
 参った参ったと言いながら、ハミルトは別れを告げて、背を向けたままで手をひらひらと振って行ってしまいました。
 そして、最後にあなたたち二人の前に立ったのは、サイファーでした。
「……そんなに不安そうな顔をするな、たわけが」
 あなたとクラリスは不意を突かれたような短い声をあげました。
「先に行った連中は誤魔化せても、俺まで騙せると思うなよ」
「あはは、バレちゃってたか」
――――みたいだな。
 あなたたちの苦笑に、サイファーはふんと鼻を鳴らしました。
「まったく……。お前達はこれから世界を救うんだぞ。それがそんな面をしてどうする。もっと胸を張れ。お前達なら、必ずやれる。俺が保証してやる」
「あはは、なんかサイファーじゃないみたい。……うん、頑張るよ! 絶対、勝つ!」
――――分かった。サイファーに認めてもらったんだ。必ずやり遂げるよ。
 あなたたちがそう言うと、身を翻して行ってしまいました。余計なことは言わない、彼らしい去り方でした。
「……笑ってたね、サイファー」
――――ああ、あんな顔も出来るんだな。
 名残惜しそうに、皆が見えなくなるまで見送った後、あなたたちは私の方へ向きなおりました。とても、良い瞳をしています。
「さぁて、世界を救うために、頑張ろう!」
――――おお!
 その後、あなたたちは私から説明を受け、この地を後にしました。

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