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第二十三章 宿場町の喜劇、あるいは悲劇

 

 

 あなたたちが劇場船セドナに乗って、一月ほどが経ちました。
 既に数回の舞台を経験し、あなたたちも場の雰囲気に慣れてきた頃のことでした。事件は、ヴァレアを越え、西国エトワールの宿場町、サンデアで起こりました。

     ◆ ◆ ◆

 この夜も、あなたたちは舞台裏で開演を待っていました。
「アリューゼ、お客さんどんな感じ?」
――――満員だな。流石は人気劇団というところだろう。
 あなたは幕を少しずらし、外を窺います。八十人程度の座席が満員になっており、立ち見もちらほらと見かけられます。
「そっかぁ、緊張するなあ」
 振り返れば、クラリスは紫の豪華なドレス姿です。初めは船長に合わせていたドレスは、彼女にはぶかぶかだったので、手直しが入り、今ではすっかりぴったりです。いつものサイドポニーを下ろし、デイヴに薄い化粧をしてもらったクラリスの美しさは、雨季のサミドハナを彷彿とさせます。
「そろそろ、開演だ」と、そこへデイヴがやってきます。彼女は男装で、この劇のもう一人の主役を務めるのでした。
「アリューゼくん、配置についてくれ。鐘が鳴ったらいつも通りに頼む」
――――了解。
 あなたは階段を駆け上がり、幕のすぐ上部に張られた足場に向かいました。ここからは舞台を含め、船内が一望できます。
 見ていると、入場客がいよいよ足止めされました。そして、オトメな船員たちが戸を締め切り、船内の照明魔法が一気に消されました。
「お待たせしましたァ!」
 船長の声がどこからともなく轟きます。
「これより劇場船セドナ第三百八十二回公演、『ルピアーチェとフォン・ボウ』を開演いたしますゥ(感謝)!」
 ガランガランと開演の鐘が鳴り響き、あなたは構えた本をばっとめくりました。『スピン』の魔法が発動するとともに、幕が一気にするすると上がります。
 すぐさま別の裏方が舞台に『ルクス』を当てました。

     ◆ ◆ ◆

『ルピアーチェとフォン・ボウ』は、歴史的に有名な悲劇作家、ラッシュランスの第一作です。作者こそ有名ですが、物語が暗いため、あまり好んで上演されることは無く、ほとんどの観客は初めて観る人ばかりでしょう。最終的に登場人物の八割以上が死んでしまう物語ですが、ラッシュランスの活躍した時代では『人死にが多いほど名作』という価値観がまかり通っていたので、そこをとやかく言うのはご法度ですよ。
 物語は二十一カ国時代、レムリア西側に位置する架空の土地サシルサを舞台とします。
 その地で覇権を握っていた魔王エトヴァスの娘、ルピアーチェ王女(クラリス)は、エトヴァス武士団の助団長を務める武士フォン・ボウ(デイヴ)との熱烈な恋に落ちます。しかし、父である魔王エトヴァスはフォン・ボウを気に入らず、彼をルピアーチェから引き離すために様々な難題を提じます。しかしフォン・ボウは持ち前の機転と知性と身体能力、時にはルピアーチェの助けを借りながら、難題を越えて行きます。
 しかし物語はそれだけでは終わりません。劇も中盤、王女ルピアーチェが隣国マールの国王に目をつけられ、三人姉妹の刺客に誘拐されてしまうのです。エトヴァス王は掌を返しフォン・ボウに助けを求めました。フォン・ボウは無論王女を愛していますので、迷うことなくサシルサを雄々しく飛び出すのでした。

「ルピアーチェを返してもらおう!」
 あなたの眼下では、デイヴ扮するフォン・ボウが三人のオトメをずびしと指さしているところでした。台本によれば、マールの三姉妹は『悪魔のように美しい』設定のはずなのですが、あなたが見る限りその三姉妹はただの悪魔でした。
「あンらァ、あなたがフォン・ボウね? ンマッいい男(歓喜)」
「まちくだびれちゃったわァン(迫真)」
「ウフッいい勝負になりそうじゃなァい(爆)」
 はい、きもちわるいです。
 台本通りの内容を喋っているはずなのに、なぜこうも妙な印象をつけるのでしょうか、この人たちは。
 フォン・ボウが剣を抜き、三姉妹もそれに答えます。無論、模造剣などではありません。刃を落とさない、殺傷用の剣で、シールドを張り合って真剣勝負をする。それが劇場船セドナのやり方でした。なんでも、船長のこだわりだそうです。
「あたしたちはね、常に全力なのよん。お客さんが観劇するあたしたちが、手抜きのセドナじゃ申し訳ないじゃない(迫真)」
 とのことでした。わりと名言チックなことをよく言う人のようです。
 眼下ではフォン・ボウと三姉妹が本気の斬り合いを繰り広げています。
――――いつも思うがあれ、フォン・ボウが負けちゃったらどうするつもりなんだろう。
 どう見ても三姉妹は本気です。しかし一人が吹き飛ばされ、二人目が蹴り倒され、三人目があっという間に斬り倒されました。本当にデイヴの剣の腕が立つのか、それとも負け役の演技がうまいのか。両方かもしれません。
 フォン・ボウがルピアーチェに駆け寄り、何事か台詞を喋っています。これが終われば、一旦幕を下ろし、休憩が入る予定となっています。しかし、あなたがそう思っていたときです。
 劇場の戸が、突然開かれたのです。
 会場がざわめきに包まれる中、船内に飛び込んできたのは、見知った僧侶でした。
「ちょっと待て!」
 見覚えのある二人組でした。
 一人は橙色の髪を後ろで一つに結わったつり目の女性。そして、もう一人はくたびれた感じで黒袈裟を着崩した中年の男性僧侶でした。
――――リミュニアに、ハミルト?
 最後に会ったのは、森の中で戦闘した時でしたか。あまりにも劇的な別れであったため、さすがに身が強張る思いでした。
「私はリミュニア・ダアト、僧侶をしている!」
「同じく、ハミルトと言う者だ。教皇の命により、指名手配犯を引き渡して頂く」
 あなたは梁の上でどうしようと横を向きます。他の船員もどうしていいのかわからない様子でした。舞台上を見ればクラリスも動揺しているように見えます。そんな中で動き出すのは、やはり僧侶でした。しかし、その視線が向かう先は、舞台にいるクラリスやデイヴでも、梁の上にいるあなたでもありませんでした。客席です。
「む。そこにいるのは、ルクレチア殿ではないか?」
 あなたはハッとしてリミュニアの視線を追います。そして、見つけました。金色の艶やかな髪がウェーブして鎖骨と背中に流れる、容姿端麗な女性。相変わらず胸が強調される服をしています。けしらかんですね。ええ、けしからんですとも。
「え、私……?」
 名指しされたルクレチアは自分を指差して苦笑を浮かべます。
「ああ。ヴァレア武士団で唯一女性にして隊長を務めるあなたの名を知らないはずがない」
「いや、そうでなくて……」
 ルクレチアは名指しされてしまったことに対して驚愕を覚えていたようですが、どうもリミュニアとは話が噛み合っていないようです。しかし、何故ルクレチアがこの場にいるのでしょうか。二人の僧侶は何らかの方法であなたたちの居場所を突き止めてここに至ったのでしょうが、それではルクレチアはどうしたものでしょう。武士としてあなたを捕らえに来たとすれば、どうしてリミュニアのように堂々と乗り込んで来ずに客席で大人しく観覧などしていたのでしょう。
 あなたの疑問には、代弁者がいました。
「何故あなたがここに……? む、それに隣にいるのは、サイファーか」
 その言葉でようやくあなたはルクレチアの隣に座る男を視認しました。そこには、灰色の髪に大剣を携えた剣士の姿がありました。ずいぶんと久しい姿です。彼は相変わらず不機嫌そうな面構えをしていますね。健在なようで、あなたは別れ際の険悪さも忘れて思わず頬を綻ばせてしまいました。
 首を傾げるリミュニアにハミルトが後ろから告げます。
「確か、彼の処遇は武士団に一任されたと聞いてますけど……」
「そうだったな。しかし、何故このような場所に……。はっ、そうか! 今は武士団に協力し、かつての仲間を追ってここまで来たというわけか……!」
 その通りだと思う反面、観客に紛れ込んでいた理由がまるで分かりません。それに、指摘されたルクレチアとサイファーの表情が明らかに引きつっています。とてもではありませんが、真実を言い当てられた人の顔はしておりません。
 会場も含めて、全てが疑念に満ちた空気に包まれる中、透き通る声が波を鎮めました。
「ノアニール姉弟! 追ってきたのか?」
 デイヴが落ち着いた様子で返答しました。それに追うように、ナレーターが告げた言葉が、はっきりと状況を決めました。
『さあ、現れ出でたるはエトヴァスの刺客、ノアニール姉弟とその配下! 王女を連れ戻し、フォン・ボウの名誉を奪おうとする腹! なんたる邪悪!』
「ノアニール。貴様らにはルピアーチェ姫を渡すわけにはいかん。それでも彼女を連れて行くというのなら……私が相手だァッ!」
「えっ」
「あ?」
「む」
「?」
 四人は同じ反応を示します。意味がわからない、と。
 しかし、瞬時に状況を理解したのはルクレチア・ノアニールその人でした。間の抜けた顔を見せた彼女でしたが、自分が〝舞台〟に上げられたことを察した彼女は、納得した様子で一旦穏やかな笑みを浮かべましたが、一瞬後には不敵な笑みを携え、立ちあがって見せました。堂々とした出で立ちです。
「ずいぶんと威勢の良いことですわね! 私に勝てるとでもお思いなのかしら、フォン・ボウ?」
 順応力の高さが尋常ではありませんね、この役者。伊達にけしからん乳をしておりません。
「さあ、行きますわよ、お前達!」
 ノアニール姉は客席で腕を組んで座る弟と、客席の通路に立ちつくす僧侶二人に命じます。「何故俺が……」と言いつつも大剣を構えて立ち上がるサイファー。「武士に命令される筋合いはないのだが」と不満げにしながらも錫杖を構えて通路へ出てきたルクレチアの後ろへ付くリミュニア。ハミルトは参加しようか迷っているようでした。一番当然の反応と言えるでしょう。
「行くぞぉぉぉ!」
 客席に躍り出たデイヴは、三人に思い切り斬りかかります。「うおっ」サイファーは紙一重でその斬撃をかわし、剣を抜きました。
「……フン、やってやろうではないか」
 案外乗り気なサイファーはそう言うと、……ええと、飛んで行きました。船の床から、何かが飛び出して、サイファーを倒してしまいました。ここまで予知して舞台装置でも設置していたのでしょうか。末恐ろしい劇団です。あと、明らかに直撃を避けたルクレチアもその傍らに倒れて見せました。
「え、いや、ちょっと! なんだこれは!」
 リミュニアが戦線に出ようとしたとき、デイヴの後ろから三人の屈強なオトメたちが飛びかかります。
「ひいいいいいいいいいやああああああああああ」
「マール三姉妹! なぜ私を助けてくれるのだ!」デイヴがわざとらしく驚いた顔をしています。
 三人の醜い悪魔は、汗をだらだらと流しながらリミュニアの顔にヒゲを擦りつけるというひどく地味な攻撃をしながら答えました。
「あんたを助ける? 冗談じゃないわァ」
「あたしたちは、ルピアーチェ王女を助けただけェ」
「行きなさいフォン・ボウ! 愛のためにィ!」
 デイヴは涙を流しながら振り返り、茫然としているクラリスの元に戻りました。
「さあ参りましょうぞ、ルピアーチェ姫!」
「え、あ、うん……い、行きましょう」
 ここで楽団のファンファーレが鳴りました。閉演の合図です。客席通路に倒れていたサイファーとリミュニアは……どこかに運ばれていきますね。サイファーが吹っ飛んだ時にわざとらしく倒れていたルクレチアは、閉演の合図が聞こえるとそそくさと弟を運ぶのに加わっておりました。ハミルトの姿は、途中から見えませんでした。
呆然としながらも、あなたは幕を下ろしました。
『フォン・ボウとルピアーチェの本当の旅はこれからだ! 御観劇ありがとうございましたァ!』
 ナレーターの熱い一言で、劇は終わりました。
 ……いいんでしょうか、こんなので。

     ◆ ◆ ◆

 そして、客の帰ったあとの舞台裏。
 サイファーとリミュニア、ルクレチア、ハミルトの四人はずらりと並ぶオトメたちに囲まれておりました。いえ、よく見るともう一人いますね。赤毛にバンダナをした男、バートレーです。サイファーとルクレチアに同行していたようですが、運悪く謎の舞台装置の巻き添えとなり、いつの間にか気絶していたところを運ばれたようです。一人だけまだ気を失っています。
「さあて、この子たちをどうしちゃいましょうかァ(満面の笑顔)」
 船長がじりじりとサイファーに近づきます。サイファーは言葉にし難い表情をしながら、必死に言葉を出しているようでした。
「話を聞け。いや、聞いてくれ」
「愛の告白かしら(赤面)」
「違う。俺たちは、あの二人の味方だ」
 その言葉にルクレチアを除く皆が息を飲みました。
 そして、サイファーとルクレチアはここの至るまでの経緯を話したのです。
 サイファーが語ったのは、ヴァレア政府があなたを保護しようとしているという、にわかには信じ難い話でした。あなたたちを追っている教会こそが、何かを企んでいる、と。それを聞いたとき、リミュニアの表情に強い怒りのようなものを感じましたが、ハミルトに制されて口を挟むようなことはしませんでした。
「女王陛下は、記憶を失う前のアリューゼを知っているそうですの。その陛下がアリューゼを冤罪だと仰るのでしたら、私たちもアリューゼの味方になるのは至極当然のこと」
 あなたはその言葉に安堵しましたが、反論の声があがりました。
 リミュニアです。
「あなたたちが女王陛下を信じるように、私たちも教皇を信じている」
 そう言って、錫杖を構えるリミュニア。彼女が所属する組織とルクレチアの所属する組織とでは性質が異なります。例え武士団が協力的になってくれたところで、僧侶を止めることは出来ないのです。特にリミュニアは、教皇を崇拝しています。その命令が解かれるまで、いかなる理由があろうとも、リミュニアは止まらないことでしょう。
「悪いね、僧正がそう言うもんで……」
 ハミルトも錫杖を構えます。彼は教皇というより、リミュニアの味方なのでしょう。
「組織の人間としては、正しいですわね。けれど、そこにあなたの意思はありますの?」
「なに……?」
「教皇の命令に従っているだけなら、それは正義でも、偽善でさえありませんわよ」
 ルクレチアの言葉に、リミュニアとハミルトの表情に怒気が生まれます。
 張り詰めた空気が支配していく中、言葉を放ったのはクラリスでした。
「女王に会って、話を聞こうよ。教皇のことも聞けるかもしれないし」
「ええ、それが一番手っ取り早い解決ですわね」
――――だがその前に、コーロゼアンの雪山に行かせて欲しい。
 姉弟は顔を見合せます。
「……何を考えている、ペテルギルク」
――――そこで自分は行方不明になったらしい。この一連の事件の答えが、その山の中で見つかるかもしれないんだ。
 サイファーは難しい顔をしていましたが、ルクレチアの答えはすぐに出ました。
「いいですわよ。私たちも、この事件の正体を知りたかったところですし。ご一緒させてもらえまして?」
――――是非、頼む。リミュニアは、どうする?
「……ついて行く。ここで逃がすわけにはいかないからな」
――――ああ、わかった。
 あなたがそう言った瞬間、オトメたちはきゃあと歓喜の声を上げました。サイファーはぞっとしたような顔をしていましたが、すぐに船長に手を取られ、謎の踊りの輪の中に連れ込まれてしまいました。
「……うちの愚弟は、何をされてますの?」
「ええと……儀式?」
 ルクレチアが複雑そうな顔で弟の哀れな姿を見ています。そんな中、ハミルトはリミュニアの背後に立ち、彼女の両目を両手で塞いでいます。
「ハミルト、前が見えないのだが」
「ええ、僧正には穢れてほしくありませんので」
 リミュニアはオトメの犠牲になるかと思われましたが、ハミルトに完璧に守られているので手を出せなかったようです。心の底から、良かったですね。
 そこで一つルクレチアが疑問を発します。
「どうして私は無事なのかしら」
 確かに、真っ先に狙われてもおかしくありませんが、オトメたちは一度たりともルクレチアに向かおうとはしません。あなたはその理由を、ルクレチアが恐ろしいからだと思っていましたが、次に発された船長の言葉が全てでした。
「その醜い脂肪を削ぎ落してから出直してきな」
 初めて見る、真剣な眼差しでした。しかし次の瞬間にはいつものテンションに戻り、サイファーの改造に向かいました。なんだったんでしょうね。
「ああ……あ? なんだここ」
 ルクレチアが怒りに身を震わせ始めた中、ようやく目を覚ましたバートレーが周囲を見回します。そして、さらわれます。
「ちょっと待てやあああああ! 誰だ、誰だてめえら触んじゃねええええ!」
 サイファーとバートレーの悲鳴がこだまする中、船は進路をコーロゼアンに向けます。無事に、辿り着けるのでしょうか。

 

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