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第二十一章 劇場船セドナ

 

 

 

 谷間の町レジュールを出て、十数日が経ちました。
 あなたたちはヴァレアの各地を転々としながら、劇場船セドナの消息を追っていました。案の定というべきか、あなたが髪を染めたおかげで、町の人はおろか、僧侶にすらあなたたちは疑われずに行動することができていました。
 この日、あなたたちはヴァレア東端の町、スフェンの酒場で情報を集めていました。

 数日の情報収集でわかったのは、セドナは国内でもあまり名を知られていない劇団のようだということです。しかし、知っている人だと、目の色を変えて魅力を語って下さいました。知る人ぞ知る名劇団、という評価のようです。特に女性にはファンが多いようでした。その経験から、スフェンの酒場でも、あなたたちが積極的に話を聞いたのは女性です。
 その中で、ようやくセドナの現在位置を知る人が現れました。
「なあに、セドナの上演予定を知らないの?」脂ぎった中年女性は、大袈裟な身振りで驚いた素振りを見せます。「ここ数日は隣町のフルラダで上演をしてるはずよ。やぁだ、そんなことも知らなかったのぉ? おっくれってるぅ」
 オフォフォと笑う女性に、あなたの隣の双剣士はいらっとしているようでした。白いサイドポニーがぴくんぴくんと揺れています。しかし、貴重な情報であることは間違いありません。
――――ありがとう。早速、観劇に行こうと思う。
 あなたはクラリスを引っ張って酒場を出ると、船着き場に向かいました。

     ◆ ◆ ◆

 平原の町フルラダに着いたのは、既に空が暗くなった頃でした。
 あなたたちは河沿いに船を探し、しばらく辺りをうろついて一隻の中型船を発見しました。見上げるほど、とは言いませんが、かなり大きな船体です。船にかかる桟橋からは、ぞろぞろと人が流れ出て行きます。その多くは女性のようですね。
「劇、終わっちゃったみたいだね……次はいつだろ」
――――いや、別に観劇に来たわけじゃないだろ。
冷静にあなたは突っ込みます。
「そうだったね。……アリューゼの昔の仲間なんだから、きっと記憶が戻る助けになるはずだよ」
――――ああ、そうだな。
 あなたは意を決すると、人の流れが緩くなったのを見計らい、桟橋へと向かいました。

――――すまない。
「何ですか?」
 整理係らしき男に声をかけると、きょとんとした顔をされてしまいました。
「あの、本日の演目は終了しましたよ?」
――――それはわかっている。
 あなたはあれっと思いました。この船は、あなたの仲間たちで構成されているはずではなかったのでしょうか。
――――この劇団の責任者に会わせてもらえないか?
「あの、どちら様ですか?」
――――アリューゼ・ペテルギルクだ。
「はあ」
 気のない返事をすると、整理係の若者は奥に入って行ってしまった。
――――妙だな。話が全然通じていない。もしかして、あの染物屋に騙されたのか?
「そんなことはしないと思うけど……。ボケちゃったのかな、セルジュさん」
 あなたたちがひそひそと話していた、そのときでした。

「おお! 我が君、美しきクラリスくんではないか!」

 聞き覚えのある声がしました。見れば、背の高い男装の美女が、こちらに向かって手を振りながら駆けてきます。一見すると美麗な青年に見えますが、あなたたちはその正体を既に知っています。何度も顔を合わせずとも、分かり切ったことです。
「うわっ……」
 クラリスは一瞬逃げようとしましたが、脚が硬直してしまっているのでしょうか、一歩も動くことができずに美女にぎゅっと抱きすくめられてしまいました。
「嬉しいぞクラリスくん、君のような美しい人とまた会えるなんて!」
 心から嬉しそうにしているのは、石版探しの依頼の時に数日の間行動を共にした魔術師、デイヴ・ファントムその人でした。
「……ど、どうしてデイヴがここにいるの?」
「どうして? ふふふ、愚問だなぁ、クラリスくん。私はセドナの主演女優なのだよ」
――――道理で組合に加入していないわけだ。
「お、そちらはベルくん。いたのかい」
 随分失礼な言い草です。
――――単刀直入に聞く。この劇場船が、アリューゼ・ペテルギルクのものだという情報を得たんだ。それは本当なのか?
「……私は知らないな。アリューゼとやらにも面識は無い。しかし、船長なら知っているかもしれないね」
 デイヴはひとり頷くと、
「よし、ついて来たまえ。船長室に案内しよう」

     ◆ ◆ ◆

 船の通路を歩いて行くと、あなたたちはすぐに船内の異常な雰囲気に気づきました。
「ねえ、デイヴ」
「何だい愛しの君よ」
「なんか男の人ばっかりじゃない? それに」
 すれ違う船員たちは、劇に出演していた俳優なのでしょうか、みな特徴的な衣装に身を包んでいます。それは別段気にすることもないでしょう。しかし、おかしいのはある一点でした。
「なんでみんな女装なの……?」
 デイヴは何でもないようにフフンと笑いました。
「女装だって? 何を言っているのかな。みな清らかなオトメじゃないか」
「え、でもあんなにごっつい……」
「何を言っているのかな。みな清らかなオトメじゃないか」
「だって見てよ、あのヒラヒラ……」
「何を言っているのかな。みな清らかなオトメじゃないか」
 クラリスは笑顔をひきつらせ、それ以上問うのをやめることにしました。明らかにごつごつとした骨格の男が、引きずるほどのスカートをまとい走っていくのが見えます。目が合うと、ばちんとウィンクを飛ばしてきます。
 あなたたちはふと恐怖を覚え、自分たちを案内する魔術師の顔をマジマジと見つめてしまいました。
「ん? どうかしたのかい?」
――――デイヴ、お前もまさか男なのか?
「あっはっは、たいへん嬉しいことを言ってくれるね。ボクの心は、美しい少女を愛する男児だよ。……まあ、残念ながら肉体は女性だけどね」
 この船には変態しか乗っていないのでしょうか。
「デイヴ、一つ聞いていい? 船長って男の人?」
 クラリスが問うと、デイヴは目をきゅうと細めます。
「オトメだよ。この世で最も美しき、ね」
 そう言うと、デイヴは行き止まりの扉をギィと開けます。

     ◆ ◆ ◆

 デイヴの言葉で、覚悟は決めていたのです。
 しかしあなたたちを待ち受けていたのは、予想以上の衝撃でした。

「あンらぁ、どうしたのデイヴちゅわん、その子たちは(はぁと)」

 船長の言葉の後ろに何か異様な擬音が聞こえた気がしますが無視します。それ以上に船長はまず外見が変でした。ええ、変でしたとも。
 身長はサイファーよりも高いのではないでしょうか。長身なだけでなく、肩幅もがっちりと広く、その腕はあなたの頭ほどもあるかもしれません。胸や脚にも圧倒的な筋肉がついており、浅黒い肌にはうっすらと汗がにじんでいます。
そんな男の中の男とも言うような禿頭中年が、フリルがたっぷりついたドレスを着て、化粧過多な顔面をてかてかと光らせているのでした。
大変です。さあ、逃げましょう。
「船長、この子たちはボクの友人なんだ。以前、トクリで共にアウトローの仕事をこなした、美しき仲間だよ」
「ああ、イリーガル・ビルディングのみなさンねェ(首傾)?」
「あっはっは、リクディムだよ、船長!」
 実はあなたはすっかり逃げ出したくなっていたのですが、クラリスを置いて行くわけにもいかない上に、脚がすくんで動けなかったので、結局留まることにしました。
「そうそう、リクディムだったわね(あせ)。聞いているわよン、あなたたちが追われてるってことは(はぁと)」
――――そうか。じゃあ、自分がアリューゼだということも……。
「もちろん、承知してるわよン。でも、あたしはあなたと会うのは初めて(爆)」
――――どうして? この船は自分の傘下にあったと聞いているんだが。
「あなたはただ、あたしたちに出資をしてくれていただけなの(小声)。お金を出してくれた時も、いつも代理人を立てていたから、あたしたちのところに直接来たことは無いのよ。だからあたしたちはアリューゼに直接会ったことは無いってわけ。あなたも記憶喪失である以上、あたしとあなたは互いにお初なワケね(深愛)」
――――そうだったのか……。でも、どうして記憶喪失だと?
「ンフ、デイヴちゃんから聞いたのよ(真相)」
 見るとデイヴが爽やかに手を振っています。そう言えば話しましたね、そんなこと。
 あなたはがっくりと肩を落としました。国内をめぐり、情報を集め、オカマの集団をくぐり抜けたというのに、ここでまた、自分の情報は無くなってしまったのです。
「落ち込むのは早いわよン、アリューゼ(笑顔)」
――――どういうことだ?
「あなたが行方不明になった場所は、ペテルギルク派のみんなから聞いてるのよ(爆)。コーロゼアンの南方の雪原で消息を絶ったという話だったわ(迫真)」
「どうして場所がわかっているのにペテルギルク派は動かなかったの?」
「それがアリューゼの命令だったからよン。あなたは、すぐに帰ると言って雪原に消え、そしてそのまま帰ってこなかった。そう、ペテルギルク派のみんなは、既にあなたはこの世にいないものと考えていたの(迫真)」
 だけど、あなたはここに生きていたのです。記憶を、失って。
――――その雪原に、全ての答えがあるのか。
 船長は大袈裟に首を縦に振ると、真っ赤な唇端をぎゅうと吊りあげました。
「あたしたちもちょうどそろそろヴァレアでの公演が終わることだし、乗せて行ってあげましょうかン(微笑)?」
――――それはありがたい。
「た・だ・し(はぁと)」
 船長がパチンと指を鳴らすと、がたっと扉が開き、屈強な男……じゃなくてええと、オトメたちが続々と飛び込んできました! オトメたちはあなたとクラリスを取り囲み、逃げ道をふさぎます! 計られました、あなたたちは賞金のかかっている手配犯なのです! 情報を得るためとはいえ、軽々と身分を明かしたのはやはり軽率でした!
「……わたしたちをどうする気?」
「何よォ、そんなに睨まなくたっていいじゃない(心外)。痛い目になんか合わせないわよ」
「僧侶に突き出すんだったら一緒でしょ!」
 クラリスは双剣の柄に手を掛けます。
 しかし、その手の上に船長の岩のような手が乗せられ、制されました。
「やぁねェ、そんなことしないわよォ。だいたいあたしたちだって、ペテルギルク派からお金をもらってたんだから捕まっちゃうでしょ(再確認)。それに坊さんは嫌いなのよ、あたしたちのことを病気扱いするんだからン」
 病気なのは確かだと思いますが、あなたたちは黙っておくことにしました。
「それじゃ、わたしたちをどうするつもりなの?」
「そうよね、それを言わなきゃ怖かったわよね(失敗)。うふふふふ(意味深)」
 船長の次の行動は、目にも止まらぬ素早さでした。
クラリスは一瞬事態を把握できていないようでしたが、やがて目前の状況を理解し、そして叫びました。

「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 ええ、何と言えば良いのでしょうか。
 船長は、ワンピース型のドレスを一瞬で脱ぎ捨て、ムキムキとたくましい一糸まとわぬ裸体をあらわにしていたのです。
「クラリスちゅわん(接近)」
「キャアアアアアアアアア来ないでええええええええええ」
「あなたにはこれを託すわン。そおれぇ(乙女)」
 船長がクラリスにかぶせたのは、先ほどまで自分のまとっていたドレスです……!
「キイイイイイイイイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアア生暖かいいいいいいい」
「クラリスちゅわん、あなたのきゃわいらしさは目を見張るものがあるわ(迫真)」「やめてえええええええええ」「そうね、あたしのきゃわいさも並みのものではないわね。でも、あなたはあたしのきゃわいさを凌駕しているのよ(憐憫)」「脱がさないでえええええわああああああん」「わかったの、あたし。あなたきっと女優になるべきなのよ。あたしを超える女優の素質をあなたに感じるわ(確信)」「船長さん男でしょちょっとやめてよ離して離してきゃあああああああ」「そのドレスは主演王女ルピアーチェ役の衣装……。うん、あたし負けを認めるわ。あたしを超えるきゃわいいあなたなら、このルピアーチェの役はふさわしいのよ(断定)!」「ひゃあそれ以上はだめええええ助けてアリューゼえええええ」

 あなたは急いで助け出そうとしましたが、デイヴに後ろから肩を押さえられて動けませんでした。
「落ち着けベルくん。いや、アリューゼくんか」
――――女の子を寄ってたかって脱がすのはまずいと思う。
「ん? いいじゃないか、彼らはオトメなんだからね!」
 なんのためらいも無く『彼ら』と言いやがりました、こいつ。
「ボクだってここに入った経緯はあんな感じだったよ?」
――――そのとき病気に……。
「病気とは失礼だね」
 デイヴは手に力を込めてあなたの体を半回転させました。向き合います。ほとんど距離はありません。こうして間近に見ると、確かに綺麗な顔立ちです。両性どちらからでも黄色い声があがって然るべきだとあなたは思ってしまいました。
 彼女は目を細めた妖艶な笑みを浮かべて語ります。
「ボクは、自分が女であることが苦痛だった。とは言え、その事実を覆すことは出来ない。どんな魔法でも、それは不可能なんだ。けれど、だからと言って諦められるかい? ボクは男だ。そう信じているのに、体は女なんだ。周りの人間はボクが男だと言う度に不審な目を向ける。ある者は石を投げつける。……ボクは、誰なんだ。誰も自分が自分だと証明出来ないくせに、他人が何者であるかは断定しようとする。理不尽だと思わないか?」
 他人が何者であるかを断定する。
――――そう、かもしれないな。
記憶の無いあなたには胸に響く言葉です。世界中から犯罪者だと断定され、逃亡の日々を送ることとなったあなたには、他人事ではないのです。
 あなたは、無言でデイヴを見つめます。
「苦しみから解放してくれたのは、船長とオトメたちだった。当時の美しくないボクは、そりゃ衝撃を受けたよ。目が、心が狂っていたせいで、恐れてしまったのさ。今の君達以上にね。……そもそも、ボクがここを訪れたのは、ボクと同じ境遇の人を探して楽になりたかったから、だったかな」
――――曖昧だな。
「そんなものさ、人の過去なんて。とにかく、ボクは彼らを恐れながらも、認めてもらおうと思った。しかしね、船長にはこう言われたよ」
 デイヴは一つ深呼吸をすると、言いました。
「あんたが何者かなんて知らないわ。そんなものあんたが決めなさい。あたしがあげるのはあくまで舞台上の役と台詞だけ。あんたの人生のことなんか、自分で決めるがいいわ」
 さすが女優と言うべきでしょうか。船長ほどの迫真さは見られないものの、まるで別人が語っているようでした。
「君は、どうなのかな」
――――クラリスがいなかったら、どうなっていたのか分からない。名前も仕事も居場所も与えてくれたのはクラリスだったから。
「ふふふ、クラリス君は与えてくれる人だったんだね。美しき彼女らしいよ」
――――与えられてばかりだ。
「それがいけないと言わないよ。ボクだって船長が与えてくれれば、それに従っていたさ。重要なのは、そんなことじゃない。あとは言わずとも分かってくれるよね」
 まだ判然としません。
 しかし、あなたは思います。もう今は自分の意思でこの場に居る。以前に何故アウトローをしているのかと尋ねられ迷ったあなたでしたが、今は胸を張って言えます。クラリスが導いてくれたから。その道を信じると決めたから。
 きっとデイヴも同じなのでしょう。
 裸体の船長とクラリスを一緒にするのには激しい抵抗がありますが。
――――あちらで全裸になっている筋肉男はどうなんだ。
「美しいよね、船長」
 もう何だか何を言っても無駄な気がして、あなたはすっかり王女のドレスに着替えさせられたクラリスに向き直りました。似合うことは似合うのです。しかし、それを先ほどまであの変態男が全裸の上に着ていたと思うと、どうにもやりきれない思いに襲われざるを得ないのでした。
――――まさか、自分も何か役をやらされるのか?
「それはないよ! 地味だからね!」
 そんなにきっぱり言わなくてもいいんじゃないでしょうか。いい話だったのに、台無しです。

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