top of page

終章

 

 花火の日から数日が経った、日曜日の晩のことである。

 私はのんびりと自室で本を読んでいた。時計を見れば十八時である。

 本日の夕食当番は穂波だ。ただ、当の穂波は今風呂に入っているはずであるし、夕食にまではしばし時間を見なければなるまい。

 と、部屋の扉がバターンと開かれた。

「隼ー、ぷよぷよやろうぜー!」

 私がくるりと振り返ると、そこにはちんまりとした女性が仁王立ちしていた。

「……母上。お帰りだったのですか」

 先日まで入院していた、牧野泉女史である。

「帰って早々にぷよぷよって……」

「いいだろー別に。病院でずっとやってたからあたし強くなったよー? 今超強いよ、隼にも負ける気しないよー」

「何を抜かすか、連鎖もできぬ貴女に負ける気はせぬわ」

 というか入院中にずっとゲームやってたのかこの人。

 準備のよろしいことで、既にニンテンドーDSを持って来ていたらしい。私も本を置き、ゲーム機を取り出すことにした。

 私たちはベッドで並んで腰かけ、ぷよぷよの対戦を始める。

 なるほど、大口を叩くだけあり、消し方に無駄が無くなっておる。成長したな、母上。いや、中年女性としては退化と言うべきかもしれんが。

 

「そうだ隼、なんかあたしの居ない間に変わったことはあったかよ?」

 六勝四敗、通算十戦を経たところで、母上は突如そんなことを言い出した。

「いや、特段何も無い。実に平和そのものである」

 私の特技は息をするように嘘を……

「そっか、嘘か」

 母上の三連鎖により、私の画面の上からおじゃまぷよが降ってくる。

「なぜばれた?」

「母は何でも知っている」

 あんた母じゃないだろうが。と突っ込んでも仕方ない。

「隠し立ては不可能だろうから潔く宣言しよう。実は私に恋人ができたのだ」

「へえ、よかったね。どんな子? 可愛いか?」

「……穂波である」

 ――――言ってしまった。ついに、言ってしまった。私が妹に手を出してしまったことを、この方は知ってしまった。さて、どう来る、牧野泉。

「あー、やっぱねぇ。ってか、あんたみたいな変なのと付き合う気になるなんて、そりゃほなちゃんぐらいしかいないだろうしね」

 あれ?

「ちょ、ちょっと待ちたまえ母上。何を仰る。私と彼女は兄妹なのだぞ」

「は? 何言ってんだあんた」

 母上は心底呆れたような声を出しながら八連鎖を成功させる。

「兄妹? きょうだい、きょうだい……ああ!」

「待て待て母上、なぜ忘れていた? あり得ないだろう。私は雪村家からの養子なのだろう? そんなことも忘れたのか? ボケか? ついに病気は脳に来てしまったのか!」

「違う違う。だってその話ウソだもん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゑ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 私のDSがジャンジャカジャーンと残念な音を流す。五敗目である。しかしそんなことはもはやどうでもよろしい。

「……母上。聞き間違いだろうか、いまひとつよく聞こえなかったのだ。もう一度言ってくれ」

「だーかーら、あんたがあたしの子じゃないってのも、あんたがほなちゃんの兄だってのも、ぜーんぶ嘘。でたらめ。虚構。冗談。まっさかまだ信じてるとは思ってもみなかったぜアハハハハ」

「笑いごとでは無い! あのとき母上泣いてただろう!?」

「ウソ泣きのコツとか教えとく? 便利だよ?」

「ウソ……ッ!? あ、あの流れでよくそんな冗談がすらすら出てきたな!」

「あたしの特技ってね、息をするように嘘を吐けることなのよね」

 なんだか聞き覚えのあるフレーズであるが気のせいだろう。

「待て、ちょっと待て、それでは……私は何なんだ」

「は? だもんで、あんたはあたしの息子に決まってんでしょ。で、ほなちゃんは燕の娘だよ」

「ということは、私と穂波は従兄妹同士ということにならんか」

「え、うん。何を今更。だいたいあたし子供産めるし。いや、今から産めって言われたらきついけどな?」

「私の考えていた、恋の障害は……一切無かったということか……?」

「うわー、アホみたい。アホがいる。バーカバーカ」

「……阿呆って……元はと言えば貴女がですね!」

「わかってるわかってる。いや、でも本当に信じるとは思わなかったよ。隼って名前がハヤブサって読むの、あたし後から知ったんだよねー」

 そんないい加減な話だったのか……。

「あとさ、あんたの誕生日いつだよ」

「五月の九日だが」

「ほなちゃんは?」

「七月の七日」

「……あのねぇ。美波さんを何者にしたいの? あんた産んだ二ヶ月後にほなちゃん産むってことよ?」

――――あああああああああああああ!

「……バカだなあ、あんたは。一つ二つ違ってるならともかく、同い年で、二ヶ月しか誕生日違わないのに兄妹のわけが無いでしょ。同じ誕生日で双子とかならわかるけどな」

 私はもはや、返す言葉も無かった。

「母上……私は、今……何だ?」

「ん、バカだね。とんでもなくバカだね」

――――穂波になんて言おう。あれだけ大見栄切ったのに、どうしよう。

 私が血の気を失っていると、ガランガランとハンドベルの音をさせながら、扉が開かれる。

「おにいちゃん、お風呂出たよ」

 パジャマ姿の穂波である。「あ、泉さん」

 母上はこちらを見ると、にたりと笑った。

「おにいちゃんかぁ。なんか凄く卑猥。ムフフフフ」

「だ、黙れこの破廉恥女!」

「ムフフフフ」

「出て行けーっ!」

 ……母上を部屋から叩き出し、私はハアと溜息を吐いた。何より母よ、牧野泉よ。貴女の血が半分私に流れているということがこの上なくショックでならないよ。

 

     ◆ ◆ ◆

 

 諸君に問おう。色恋とは何ぞや。

 諸君に問おう。青春とは何ぞや。

 うつくしきものであろうか。素晴らしきものであろうか。高尚なものであろうか。否。私はそうは思わない。

 それは愚かしくも馬鹿馬鹿しい、一種の病気である。それは間違っても称賛すべきでも、推奨すべきでもない、実に情けなく恥ずかしくどうしようもないものなのだ。いいや、案ずるな。別段私は色恋を否定したいわけでも、また青春を謳歌する者をコケにしたいわけでもない。ただ推察を述べているまでで、他意は無いのである。

 そこでまた、諸君に問おう。病気は確かに苦しいものだが、その中にある一筋の悦楽を覚えたことは無いであろうか。風邪を引いて平日の昼間から布団に入る行為。日頃踏み込まぬ病院に足を踏み入れるときの胸の高揚。無いとは言わせぬ。

 果たして私は斯様に持って回った言い方で何を言おうとしているのか。つまり、病も渦中の者にとっては楽しいものになりうるということなのである。あわてて断っておけば、大病の場合はこんなことは言っていられない。私が言及しているのは数日寝れば治るような熱病の類である。つまるところ、傍から見ていれば馬鹿馬鹿しき色恋沙汰も、渦中の人には随分と重大な事項であり、同時になかなかどうして楽しいものなのである。

 

 これが、私と従妹が患った、珍奇な熱病の結末だ。

bottom of page