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第十九章 故郷と目の無い色使い

 

 

 

 夕暮れ、あなたとクラリスは平原を走っていました。
 見渡す限りの平原。生憎の雨模様のせいで遥か先までは見通せません。足元には膝丈にも満たない草。遠くには山脈が見えますが、身を隠す場所はどこにもありません。第一級犯罪者が船に乗るわけにもいかず、とにかく本拠地としているドリアデスから遠ざかるために陸路を選んだのですが、それが迂闊でした。森を選ばなかったのは間違だったのです。
「また来た!」
 火球が背後から襲いかかります。
 あなたたちは横へ跳んで攻撃をかわします。火球は平原を焼きますが、こちらに被害は及びませんでした。それにこの雨です。火球はさほど威力のあるものでもありませんでした。火の雨に比べればどうということはありません。
――――魔法が使えれば。
「ダメだよ! サイファーにあそこまで『シールド』を壊されてるのに、これいじょう魔力を無駄に消費しちゃ、ダメ!」
 あなたが戦えない中、後方から複数の僧侶が追ってきます。
「止まれぇぇぇぇぇ!」
 止まってたまるもんですか。振り向けば、僧侶の一団が小さく見えます。十人かそこらでしょうか。先ほどから、火球を何発も撃ってきています。
「何してんのアリューゼ、前見て前!」
――――わかっている!
 降りしきる雨の下、はずれた火球が何発も飛来します。あなたたちは全速力で走り、それをひらりひらりと避けて行きます。足裏で草が滑りますが、悪路を行くのはアウトローにとって何も難しいことはありません。相手は手こずっているようですが。
――――クラリス、あの『アチェル』を使えばいいんじゃないか?
「ダメだよ、あれ自分にしか効果ないもん。アリューゼの持ってるのとはちょっと違……っとぉ!」ボワッ、とクラリスの足元が燃え上がりました。間一髪です。
――――もう埒が明かない。迎え討とう!
 あなたはバッと振り返り、ホルダーから本を弾き出します。それを一気にめくり、思い切り書の名を叫びます! 直後、幾線もの雷撃が僧侶の集団の中央めがけて穿たれます。直撃した者はさほどおりませんが、とにかく時間稼ぎくらいにはなるでしょう。
「ちょっとアリューゼ、あんまり無茶しないでよ!」
――――あれくらいなら問題ない。いいから今のうちに距離を開けるんだ!

     ◆ ◆ ◆

 数時間後。辺りは既に真っ暗になっていますが、追手はますます数を増やすばかりです。既に三十人ほどはいるのではないでしょうか。これほどの数を見るのはバプティスの救助活動以来ですね。今回はまるで状況が異なりますが。
 あなたたちは草原を横断し終え、とある森の中に潜り込んでおりました。見上げても天辺の見えない背の高い木々が立ち並び、傘のように広げられた枝が曇天を覆い隠し、自然の夜を生み出しております。
 わざわざこの場所を選んだのは、もちろん僧侶たちから逃げ切るためです。
 入り込んだ時点で数人の僧侶が姿を見せなくなり、隠れながら進んでいるうちにその数は目に見えて減っていきました。森を駆け抜けるのはあなたたちのほうが得意なようです。
 迫る足音も火球も気配を感じなくなったとき、あなたたちはようやく休める時がきたのです。大木の陰に身を寄せ、隣で肩を合わせるクラリスが声をかけます。
「そういえば、アリューゼと初めて会ったのも、こういう森の中だったよね」
――――あの時は、クラリスに助けられた。
「今はわたしがアリューゼに助けられることのほうが多いけどね。あの時は、まさかこんなことになるなんて思ってなかったなー」
 一アウトローから、国際的犯罪者。とんでもない落差ですね、これは。
 あなたが落胆した様子を見せたところ、クラリスが慌てて否定に入りました。
「ち、ちがうよ! こんなことっていうのは、今みたく逃げ回ってる状況じゃなくて!」
 クラリスは手をぶんぶんと振り回して動揺しています。
「……全部だよ。アリューゼとイリーガルを組んだり、バプティスで救助活動をしたり、アンダロフで石板取り返したり、コルスタの滝で幻帝の罠を突破したり……。サイファーにバートレー、デイヴ、シャーリィさん、リミュニア、ハミルトさん……。アリューゼと出会ってから、いろんなことがあって、いろんな人に出会えた。お母さんの遺言だって、最高の形で果たせた。そりゃ嫌なこともあったけど、最後には全部乗り越えてきた。だから、今回だってどうにかなる。そう思わない、アリューゼ?」
 少女らしい微笑みを浮かべ、そう問いかけるクラリスに、あなたは頷きました。もうずいぶんと逃げ回って服も髪も泥だらけの傷だらけだというのに、クラリスの笑顔に影は見えません。むしろどこか楽しそうでさえありました。
 ついて行くしかなかった小さな肩を隣に、あなたは頼もしい気持ちでいっぱいでした。
 そのとき、鋭い声が飛び込んできました。
「そこまでだ!」
 あなたは思わず身を竦めますが、すぐに大木に片手を当てて立ち上がると、もう一方の手で腰の魔法書の入ったホルダーから一冊の魔法書を取り出します。あなたの隣にいたクラリスもすでに立ち上がっており、双剣を抜いておりました。
 そして声のした方向、前方へ視線をやります。そこにいたのは、一人の僧侶でした。
「ベル……いや、アリューゼ・ペテルギルク。並びにクラリス・リートヴィッヒ。貴様たちを、逮捕する」
 濡れた前髪の隙間から刺すような眼光を向けるのは、リミュニアその人でした。黒袈裟を着て、錫杖の先をあなたたちに向け、立ちはだかります。今まで親しみをもって接してくれたリミュニアは、そこにはいません。犯罪者を追う、僧侶がいるだけです。
 説得はもはや不可能。サイファーでさえ聞き入れてもらえなかったのですから、さらに付き合いの短いリミュニアのあなたたちの声が届くとは思えません。
「悪いけど、捕まるわけにはいかない」
 あなたもクラリスも、強行突破を考えました。
 リミュニアの戦闘能力は未知数ですが、クラリスとあなた、二人掛かりで倒せないような敵ではないでしょう。無論万全な状態ではないものの、それは追走してきた相手にも言えることです。もし敵わなかったとしても、逃げ切ることに苦労はしないでしょう。
 しかし、不安にはなります。
 リミュニアの氷のように冷たい瞳に映されると、たまらなく不安になります。
「そうだろうな。第一級犯罪者の貴様たちに待っているのは、極刑だ。誰でも死にたくはなかろう」
 無機質な言葉に胸を打たれる思いをしますが、それでも立ち向かうしかありません。
 相手の手の内が分からない間は様子を見るしかありませんが、相対者は拮抗を避けました。
「さて、これからのことを貴様らに選ばせてやろう」
 リミュニアは錫杖の尻を地面に突き立て、片手で錫杖を支え、もう片方の手で錫杖の先に付いた三つの輪を指でなぞりながらりんと鳴らしていきます。瞬間、空気が張り詰めました。肌にまとわりつく寒気に鳥肌が立ちます。
「一つ。おとなしく私に捕まり、極刑を受ける」
 錫杖から銀色の粒子が飛び散ります。雪のように、舞い、錫杖を覆います。
「二つ。ここで、私に殺される」
 粒子は渦巻きながら舞い上がり、錫杖の先にある輪に集まります。それは輪を形成する枠から横一方へと伸びていきます。湾曲したフォルムに、内側に備えられた刃。それはもはや錫杖ではなく、鎌そのものでした。
「さあ、選べ」
 直後、頭上から衝撃が襲い、甲高い破砕音が響き渡りました。
 戦闘の開始です。

 頭上から襲ってきた衝撃の主は一人の僧侶でした。激しく揺れる視界の中で捉えたその姿は、リミュニアの部下、ハミルトです。どうやら大木の上からあなた目がけて飛び降り、錫杖を棍棒のように振り下ろしてきたようです。あなたは当然避けることなど出来ず、脳天から重い一撃を受けてしまいました。耳に鳴り響いた破砕音はあなたの『シールド』が砕けた音です。もう限界を迎えていたのでしょう。
 クラリスが息を飲みます。しかし、取り乱すことなく双剣でハミルトへ剣を振るいますが、それは銀色の刃に防がれてしまいました。ハミルトに意識を奪われている隙に、リミュニアが急接近し、クラリスの双剣を背後から鎌の刃を回して止めます。
 それら全てを見届けたあなたは、唱えます。
――――『ラトニグ』!
 錫杖による痛みはありません。だから、あなたはすぐに行動しました。サイファーの一撃に比べれば、動き出すのに苦はありませんでした。放つ『ラトニグ』は四閃。半分ずつ敵二人に襲いかかります。防御の体勢へ移る隙は与えませんでした。
 舌打ちと共に、一人が遠のきます。同時に寒気が去りました。恐らく飛び退いたのはリミュニアのほうでしょう。
 クラリスは、無事でした。遠のく際に金属同士がかち合う悲鳴が聞こえましたが、クラリスに怪我はないようです。上手く捌いてくれたようですね。
「アリューゼ!」
 あなたに向けてクラリスが双剣を交差に構え、薙ぎます。突然の行動にあなたは驚きますが、すぐに状況を理解し、身を限界まで低くしました。余裕がなかったので尻餅をついて転ぶ形になります。
 そして、頭上で金属同士が激突します。
「勘がいいね、お嬢さん」
「どういたしまして」
 錫杖で両の刃を防ぐハミルト。震える得物が短音を連続して奏でます。
 あなたは地面に手をついてその場を離れます。無様な姿に違いありませんが、仕方ありません。格好を気にかける余裕など、ないのです。二人の間合いから離れたところ、背後で一つ弾く音が聞こえ、それが鳴り終えるのを待たず、ぶつかり合う連声が響きます。
 ハミルトの相手はクラリスに任せるしかありません。
 そう思ったあなたは先に去ったリミュニアを目で追います。
「アリューゼ、貴様の相手は私だ」
――――ああ。
 眼前、あなたへと鎌を振り下ろすリミュニアがいました。
 あなたは地を蹴って横に回避すると『エアー』の魔法書を展開します。狙いはリミュニアではなく武器の方です。奪取は出来ないとしても、止めるくらいは出来ます。
「無駄だ!」
 草を刈り取るように低位置で鎌が振られます。身を低くして回避したあなたの視界の中央にあったのは鎌の刃ですが『エアー』はまるで効果を為しませんでした。何故と考える余裕もなく刃が迫ります。魔法書を開く間もないあなたは、迫る刃の腹へ上から叩き込み軌道を落とし、その上を乗り越えていきました。
――――ッ!
 手の平に無数の針を刺されたかのような痛みが走りますが、あなたはリミュニアから距離を取るために前へ駆けます。充分な距離を開けたところで振り返りますが、リミュニアはまたもや眼前に迫っています。素早い。最初から避けられることも考えて行動しているのでしょう。
――――『ラトニグ』!
 雷撃が壁のように広がりリミュニアの行く手を阻みます。
 続けて魔法書を取り出し、唱えます。
――――『トール』!
 雷撃が打ち下ろされます。
 閃光が消えた直後に見えたのは、銀粉を舞い散らせる錫杖でした。リミュニア自身には傷を付けることで出来なかったようですが、鎌の刃を消し去ることには成功しました。錫杖の間合いから逃げ出し、再び『ラトニグ』を構えます。
 しかし、リミュニアは向かってきませんでした。
「……答えろ、アリューゼ」
 錫杖に銀粉が再びまとわりつきます。それは再び鎌の刃を形成し始めました。その動きに注目していると、錫杖の輪に文字が刻まれているのが見えました。魔法書に書かれた文字に似ています。恐らく魔法書というより、石版に近い性質を持つものかもしれません。その魔法によって彼女は武器を生成しているようです。
 迂闊に近づけぬ中、リミュニアは言葉を続けます。
「貴様は、ずっと私を騙していたのか」
――――違う。
 それだけは否定しました。
――――アリューゼは自分だろうが、記憶が無い。だから、リミュニア達を騙したつもりはない。
「成程な。……普段なら何を妄言をと切り捨てるところだ。……なのに、どうしてだろうな、信じたい自分がいるのは」
 うっすらと、微笑みが浮かびました。しかしそれは決して明るいものなどではなく、自分を嘲笑うかのような寂しいものがありました。
「しかし、これは教皇の命令だ。逃がすわけにはいかない」
 笑みが消えます。
 再び対峙しますが、あなたの心中に闘争心が湧きあがってきませんでした。きっといくら言葉を尽くそうとも彼女は考えを変えないことでしょう。けれど、リミュニアが本心からあなたを殺そうとしているとも思えなかったのです。
 サイファーにも、葛藤があったのでしょうか。
 そう思ったあなたが取った行動は、一つでした。
「『イクス』!」
 爆発音が耳をつんざきました。
 発生した場所はクラリスとハミルトが戦っていた場所です。音の正体は突き止めるまでもありません。クラリスの魔法剣が発動し、大爆発を起こしたのです。煙が視界を支配していく中、あなたは確かにその姿を捉えました。
「アリューゼ、逃げよう!」
 クラリスもあなたと同じ考えだったようです。
 あなたは返事の代わりに『アチェル』の魔法書を開くと、まず煙から逃れるクラリスに加速を付加し、次いで自分に加速を加えました。クラリスは以前にあなたの加速に耐えています。だからこそ、一切の手加減なしに加速しました。
 方向などどこでも構いません。とにかく、森の中へ逃げ出します。
「あの人、本気じゃなかった……」
 加速の中、どこか寂しそうにクラリスはそう呟きます。それには、沈黙で応えました。
 結局、リミュニアはそれ以上追ってきませんでした。

     ◆ ◆ ◆

 あなたたちは休息を挟みながら森を歩き、ようやく抜け出しました。
そして、今は谷間の岩場を駆けています。しかし、あなたたちの足はなかなか前に進みません。岩場にも大量の僧侶が待ち構えていたからです。
――――どうして増えているんだ。
「近くに町があるから、そこの僧侶だろうね」
 二人とも、既に息を切らしている状態です。
――――もしかして、その町を目指しているのか?
「うん。ちょっと、知り合いがいるんだ。ほら、上見て」
 気づくと、周囲の崖にちらほらと光が見えます。よく見ると、いくつもの人家です。あなたたちは、既に渓谷の町レジュールへと到達していたのでした。
「アリューゼ、まだ魔力残ってる?」
――――そこそこ、だけど。
「アリューゼの『そこそこ』なら十分。あそこ、」と言ってクラリスは遥か高く、崖の壁に張り出している一軒の家を指差しました。「あそこまでわたしごと飛ばせる?」
――――あそこまで飛べればいいんだな。
 あなたはエアーを発動し、一気に谷の合間を飛び上がりました。不安定でしたが、何とか無事浮遊することには成功しました。

扉を蹴り開け、あなたたちはその家に転がり込みます。
 そこは、がらんどうでした。物置か何かでしょうか。
――――空き家、か。どうするんだ?
「ここに入ったのは見られただろうし、すぐに敵は来るだろうね」
 息を切れ切れに、クラリスは呟きます。「どうしたもんか」
――――まさか、何の当ても無かったのか?
「ううん、本当はわたしの知り合いの家に行くつもりだったの。でも、その……間違えちゃったみたいだね。……あはは~」
――――笑って誤魔化せると思うなよ。
 あなたはふうと息を吐き、真っ暗な家の中を照らすため、一冊の本を取り出しました。照明魔法、『ルクス』です。しかし、その瞬間でした。
 暗闇の中、あなたは後頭部を思い切り殴られ、意識を失ったのです。

     ◆ ◆ ◆

 目が覚めたあなたは、自分がふかふかのベッドに寝ていることに気づきました。
――――ここは、どこだ?
 起き上がると、そこは小さな一室。窓からは、眩しいほどの日が差しています。隣のベッドでは、クラリスが寝息を立てています。
――――僧侶は?……いや、それより、あの空き家で自分たちは何に襲われた?
 思い出すことができません。しかし、そのときでした。
「どこが空き家だコラ」
 ハッと振り返ると、筋肉質な中年男が、あなたのベッドの背後に立っていました。
「テメエ、人の家に扉蹴り破って入ってきた上に空き家呼ばわりとはいい度胸だな。クラリスと一緒じゃなきゃ外に放り出してたトコだぜ」
――――あなたは、いったい?
「そりゃこっちのセリフだな。てめえはいったい何なんだ。クラリスを悪の道に引き込んだとか言ってみろ、ここでおれがブチ殺してやっから覚悟しろ」
 どうやら、男性は随分気が立っているようです。しかし次の瞬間、後ろから飛び蹴りを喰らい、男性はバタンと倒れました。
「そんな言い方ないでしょ、腐れ親父!」
 突然現れたつり目の少女は男性の頭をグリグリと踏みつけたまま、鬼のような形相で叱りつけます。
「ごめんね、怖かったでしょ。うちのダメ親父ったらすぐ喧嘩腰になるんだから」
――――あの、痛そうだから頭を踏むのはやめた方がいいのでは。
「いいのよ、いつものことなんだから。お客さんに暴力なんて、これじゃ甘いくらいよ」
 親父さんは果敢にも、
「いや、誰が客だ! こいつは侵入者だぞ!」
 と反論を試みていましたが、娘さんの「黙れ」の一言で大人しくなりました。
――――勝手に飛び込んだ非礼は申し訳ない。自分は……
「知ってるわよ。アリューゼ、でしょ?」娘さんは承知しているという顔で頷きます。「クラリスの仲間なんだって?」
――――なんで知っているんだ?
 そう思うあなたの耳に、レコードのノイズ混じりの無機質な声が届きました。
――――……もう報道レコードを聞いたのか。
「ええ、だからあなたとクラリスが追われる身なのもわかってる。でも、ここに逃げてきてくれたのは嬉しかったわ。サイファー、とやらは、一緒じゃないのかしら?」
――――ああ。別行動をとっているんだ。
 そう答えたときに、隣のクラリスがガバッと飛び起きました。「モリイチゴ!」という掛け声と共に。何の夢でしょう。
「おはよー、クラリスち」
「おはよう……って、リアラ!」

     ◆ ◆ ◆

 クラリスの語ったところによると、彼女はこの春から夏の間、この町、この家で暮らしていたのだそうです。
――――春に家出をしたと言っていたから、つまり、すぐにこの町に来たんだな。
「うん、ここのコーブさんの家でお手伝いをしてたの」
 コーブ氏の奥さんの姿は見かけませんが、あなたはそのことを尋ねませんでした。
 あなたたちは、コーブ親子の家に飛び込み、広い玄関口で「ここは空き家だ」だの「間違えちゃった」だのという失礼極まりない発言をしていたのだそうです。それを泥棒と思った親父さん……コーブ氏がぶん殴り、明るいところで見たらクラリスだった、ということで今に至っているそうでした。

 あなたたちは図々しくも朝食を御馳走になっていました。娘……リアラはニコニコしていますが、コーブ氏は随分ご機嫌斜めなご様子です。
「なぜお尋ね者をウチで匿わなきゃいけなブホァッ」
 もう黙っていた方がいいんじゃないでしょうか。
「昨日の僧侶たちは町を通り過ぎて行っちゃったわ」何事も無かったかのように話しだすリアラ。「しばらくここにいれば、安全よ」
「そんな、迷惑はかけられないよ。それにこの町の人は、わたしの名前と顔を知ってる。あんまり長居するのは危険だし、今晩にでも出て行くよ」
「そっか、残念……」
 クラリスは、スープを一口飲み、小さく息を吐きました。
「リアラ、わたしたちのこと、聞かないんだね。どうして追われることになってるのかって」
「公式の理由は知ってるわよ。ヤバイ犯罪者アリューゼを匿ってた罪なんでしょ。でも、私は、あんたが意味も無くそんなことをするとは思えない。何か、わけがあるんでしょ。それでクラリスが納得してるなら、私は何も言わないわ。それに……」
 言葉を切ると、リアラは挑戦的な笑みをクラリスに向けます。
「な、なに、リアラ?」
「ん~、なにかね。可愛くなったなー、と思って」
「い、いきなり何言ってんの! そんなに何年も経ってないし!」
「だってさ、初めて会ったときのあんたと来たら、この世の全部を恨んでるような顔してたもん。正直言って、あれはいただけない」
 きつい目が向けられます。しかし、その直後には柔和な微笑みに戻り、頬杖をつきながら、言いました。
「でも、今のあんたは、可愛いよ。……お父さんと、仲直りした?」
「……うん」
 リアラは納得したように静かに頷きました。穏やかな空気です。リアラも、クラリスがどれほど父親を憎んでいたのか、それを知っているようでした。だからこそ、感慨深いものがあるのでしょう。
 コーブ氏が静かに泣いてくれれば、もう少し穏やかだったのでしょうが。
「うっさい、このド腐れ親父!」
 コーブ氏の身が床に叩きつけられます。
 父親を倒したところで、リアラが改めて話しだしました。あなたを見て、
「しっかし、その黒髪は目立つわねえ」
――――ああ。報道を聞いた人なら誰でも、自分がアリューゼであることに気づいてしまうだろう。黒髪黒眼の人間というだけで、自分はすぐに特定されてしまう。
「そうね」
「だったら髪の色を変えればいいんじゃないか?」勇敢にも口を挟んだのはコーブ氏。「顔の特徴は報道されているが、一番の特徴はテメエの黒髪だ。それがなきゃ、おれはテメエがアリューゼとやらだと気づかなかった。ほら、染物屋のセルジュ爺さんにでも頼めば、髪を染めるくらいしてくれるんじゃなグハァ」
 ほら、やっぱり殴られました。
「セルジュさんは布を染める人でしょ? 髪を染めるなんて聞いたことないわよ。意味わかんないこと言い出さないでちょうだい、おとうさま」
「いやしかし、糸を染めるのと同じ要領でできるはずじゃなフボヘェ」
「あー、それもそっか」
「ちょっと待て今なぜ殴った」
「生意気だったから」
 とんでもない親子関係もあったものです。
――――髪を染めるというのはいい案だな。
「そうだね。セルジュさんなら、信用できるし、大丈夫かな」
「そうそう。安心して頼りなさいな。どうせ、あの人暇してるだろうし」
 手をひらひらと振るリアラに、クラリスは微笑を返しました。

     ◆ ◆ ◆

 朝食後。コーブ親子に鍔広帽子を貰い、あなたたちは崖沿いの道を歩いていました。
――――クラリスは、ずっとこの町で暮らしていたのか?
「ほんとに一時期だけだよ?」傾斜のきつい道、クラリスは慣れた足取りです。「わたしは初めからコルスタの滝に行くことが目的だったんだし、アウトローになることは決めてたの。でも、この町には外霧組合が無かったから」
――――どういうこと?
「『ロー』ができてからも、昔ながらの騎士団が機能してたの。この町小さいし、そもそも町の半分くらいが騎士団所属だったから、それを潰さなかったんだって。だから、外霧資格を取るためには別の町に行くしかなかったんだよ」
――――それで、町を出て……あの宿屋、ドリアデスに辿り着いたということか。
 クラリスはそれに深く頷き……通りがかった町人から顔を隠しました。
――――しまった。自分も顔を隠さなければいけなかったな。
 すれ違ってから気づくあなたですが、クラリスは首を横に振ります。
「だいじょうぶ。気づいてなかったよ。髪さえ隠せば大丈夫」
 そんな小さなこともありましたが、やがてあなたたちは、谷底にある一軒の家の前に辿り着きました。何本もの物干し竿に、美しい色合いのドレスが掛かっています。それをくぐり抜けると、小さな掘立小屋が待ち受けていました。
「ごめんくださーい……」
 クラリスが扉を叩くと、中からは小さく……ごぽごぽと、水の音が聞こえてきました。
 何の音だろうと思っていると、扉が悲鳴をあげながらゆっくり開きました。
「なんだ……まだ開いていないのだが」
 姿を見せたのは、中年の男性でした。白い巻き毛が顔の上側を覆い、その隙間から細い線のような目が窺えました。体格はほっそりとしていて、身長はあなたたちよりもだいぶ高いですね。背はだらしなく曲がっており、無造作に頭を掻く姿はだらしない印象を受けました。
「お久しぶりです、セルジュさん」
「んん?……おお、お前は、クラリスじゃないか!」
 セルジュは急に細い目を見開き、クラリスの姿を認めるや否や、その両肩を掴み、前後に激しく揺さぶります。
「お前、いったい何をやらかしたんだ! この町にいたときも時々僧侶の御厄介になることはあったが……あー、いやあれはリアラをかばったせいか? いや、そんなことはどうでもいい! とにかく、世界規模の犯罪に加担するなんて、私は信じられん! やはり、誰かに騙されたのか? よくリアラに騙されてたもんな、お前……ああ、でも今回は程度が違いすぎる……」
 今にも泣き出しそうな声と表情であなたたちを圧倒します。
 クラリスはもはや瀕死です。
 その後、ようやく家の中に入れてもらえたあなたたちは、ここまでの経緯を全て話しました。もちろん、髪を染めてほしいということも。
「なるほど……。まあ出来なくはない。上手く出来るか分からんがな」
 思ったよりもあっさり染髪してくれることとなりました。あなたにとってはまだ知り合ったばかりの人でも、短い期間とは言えクラリスは旧知の仲、時間も言葉もいらないのでしょう。コーブ氏とリアラの時もそうでしたが、クラリスはこの町でも人気者だったに違いありません。

     ◆ ◆ ◆

 セルジュは黙って鏡を突き出したので、あなたはそれで自分を見てみました。すると、そこには栗色の髪の若者がいるばかりでした。
――――すごい。もともと、こういう髪色だったようだ。
「……当然だ。お前さんを染めるのは、初めてではないからな。アリューゼ、といったかな」
 え?
 あなたは一瞬、思考が止まります。
――――どういう、ことだ?
「夏より前……そうだな、クラリスがまだこの町にいた頃だ。お前さんは、ここに来ただろう。夜の闇のように、真っ黒な髪をしてな」
――――自分が、この町に来ていただって……?
 当然ですが、あなたは何も思い出せません。
「ああ。私の仕事を随分褒めてくれたじゃないか。自分の出資している劇場船の招待券まで置いて行ってな。まあ、私に趣味に合わんかったから行かなかったが」
――――ちょ、ちょっと待ってくれ。
 これはもしかすると、とんでもない手がかりでは無いのでしょうか?
 あなたはセルジュに頼み、その招待券を見せてもらいました。劇場船……各地を旅する、劇場を内包する大型船です。
「劇団との親交は深い、というようなことを言っていた気がするが。仲間も世話になっているとか……まあ、思い違いがあるかもしれんが、そこは勘弁してくれ」
 セルジュは自信なさげに頭を掻きます。
――――自分の傘下の劇場船……。この船の乗組員ならば、自分のことを知っているに違いない!
 僧侶の手がその船に伸びている恐れも、無いとは言えません。しかし、今は希望が見えただけでも大きなことなのです。
 あなたは招待券にある劇団の名前を確認します。
 そして、顔をめいっぱいしかめました。
 何者かの高笑いが聞こえてきた気がします。
「どうしたの、ベル?」
 クラリスが覗きこみ、その名を読み上げました。
「劇団『セドナ』……あれ? どこかで聞いた覚えが……」
「そりゃ聞いたことはあるだろうさ。何せ、知る人ぞ知る、かの有名なデイヴ・ファントムが主演をつとめているんだからな」
 クラリスの表情が消えました。
 あの美しい男……女を思い出したのでしょう。
 不思議そうに二人を見守るセルジュにお礼を言い、また来ることを約束したあなたたちは、リアラとコーブ氏にも別れを告げ、谷間の町を後にしたのでした。

 そしてあなたは、クラリスには聞かれないよう皆から言われた言葉を思い返します。
皆が口を揃えて言ったのは、こうでした。
「あの子をよろしく」
 あなたは決してその言葉を忘れず、前に進みます。

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