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終章

 

 

 あなたがこの世界から姿を消して、一月が経ったある日のことです。私の城に、一通の手紙が届きました。差出人は、サイファー・ノアニール。
 彼の結婚式の、招待状でした。

     ◆ ◆ ◆

 あなたが何度入ったかわからない……そして、私にとっては初めてのその木戸を開けると、既にドリアデスはごった返していました。このような式典に出席するのは、私にとって初めての経験です。
「おっ、アリューゼじゃねえか!」大声で名を呼ばれ、私がきょろきょろとあたりを見回していると、立ち上がって手を振っている赤毛が見えました。
「バートレーさん。お久しぶりです」
「何だよ何だよ、固い奴だなぁ。世界を救った仕掛け人ともあろうもんが、そんなに低姿勢でどうすんだ」
「ちょ、ちょっと声が大きいですよ」
 バートレーの態度の大きさもどうなんでしょう。
「気にすんなよ。どうせここにいる連中は事情を知ってるような奴ばっかりだからな」バートレーはにやっと口角を上げます。「やれやれ、しっかしサイファーもおかしなことをしやがるぜ。結婚相手の名前くらい教えてくれてもいいのによ。もしかして、俺たちの知ってる奴なのかねえ?」
「あまり詮索しない方がいいんじゃないでしょうか。わざわざ隠しているんですし」
「ったくそう冷たいこと言うなよな。気にならねえの? 教皇の悪事を白日の下に晒し、教会制度の改変を余儀なくした功労者、サイファー・ノアニールの結婚相手だぜ?」
 私は嘆息しました。悪い人じゃないんですけどね、この人。
「しかし、結婚相手ですか」私はドリアデスをぐるりと見渡しながら、ふと重要な人物がいないことに気づきました。「バートレーさん。クラリスさんはどちらにいらっしゃるんです?」
「ほほう、よく気づいたな。そう、それなんだよ」
 目をきらりと輝かせるバートレー。「サイファーにとっては大事なイリーガルメイトだったクラリスが、招待されていないわけがない。それなのに彼女はいない。答えは簡単じゃねえか」
「ふむ。つまり、サイファーさんの結婚相手はクラリスさんだ、と……?」
「十分ありえる話だろ」
 なるほど。確かに、彼らの間にはある種の愛情が芽生えていたことは保証できるでしょう。
 私がなおも室内を見回していたときです。突如、食堂の照明が落ちました。そしてぱっと壇上に現れたのは、ご存じ、デイヴ・ファントムです。
「やあみんな。美しいボクの舞台へようこそ!」
 ……うわぁ、ブレない人ですねえ。
「今日はボクらの友人サイファーくんがご結婚ということで、それはそれは美しいオトメたちが大集合しているのさ。彼らも今準備しているところで、じきにここにやってくるはずさ!」
「ええい不埒な奴め!」
 飛び出して、デイヴに突っ込みを入れたのはリミュニア。来ていたんですね。
「なんだいちんちくりん。美しくないご登場だね」
「誰がちんちくりんか。この無法者め。祝いの席だからお前がいるのは構わない、しかし妙なことをやらかそうとしているのを見逃すわけにはいかな」ごちん。
 頭を押さえてうずくまるリミュニアのもとからすたすたと戻ってくると、ハミルトは私の隣に掛けます。
「祝いの席だとわかってるなら、騒ぎを広めなければいいんだよ」
 今日は非番ということなんでしょうか、リミュニアもハミルトも袈裟姿では無く、ごく普通のローブ姿を見せています。
「すいませんね、うちの僧正が騒がしくしちゃって」
 その僧正は、デイヴと追いかけっこをしている始末。いい大人のやることではありません。さすがのバートレーも、ひひひと苦笑いをするばかりです。
「まあ、あいつもはしゃいでるんですよ」ハミルトはグラスを一杯開け、肩をすくめて見せた。「自分はこんな風に立派な式を挙げられなかったから、羨ましいと思ってるんでしょね」
 ……ん?
「ハミルトさん、ちょっと。リミュニアさんって既婚なんですか?」
「ん? ああ。リミュニアは俺の嫁さんだよ」
「……そうだったんですか」
 僧侶同士の恋愛、か。確かアスター教では色欲を禁じるような戒律は無かったはず。とはいえ、なかなか公表しにくい立場ではあるのでしょう。このように多くの人に祝ってもらう場を持つことは、なかなか難しかったのかもしれません。
「ぅおっ! 来た来た、主役のお出ましだ!」
 バートレーに背中をバシンと叩かれ、私はようやくその人の登場に気づきました。武士団の正装をまとった、サイファー・ノアニールが、今壇上に上がっていました。
 サイファーは、いつぞやのとげとげしい雰囲気はすっかり薄れ、穏やかな微笑みを浮かべています。

「……お集まり、ありがとう。俺の妻を紹介するのに先立ち、一つ、貴様らに話しておきたいことがある」

 あ、でもやっぱり『貴様』なんですね。
「俺は、ノアニール家の息子では無い」
 
そのとき、客席が、しん、と静まり返りました。サイファーは全く調子を崩さず、ゆったりと言葉を紡いでいきます。

「ノアニールの血を引くのは、アークスの娘ルクレチア、ただ一人だ。しかしそのままではタタガミを……引いてはノアニール家の家督を引く男児がいなくなる。そのため、アークスは孤児の男児を養子に迎え、ノアニールの継承者として育てることにした。……その孤児こそ、サイファー。俺だ」
 彼はそこで、自嘲気味にフッと笑います。
「しかし、そうして手塩に掛けた養子は、ある日とんでもないことをやらかした。ご存じの通り、邪悪なる刀、カラスバを抜いてしまったんだ。そして、そのカラスバを封じ、もう一度タタガミを手に取るため、彼はアウトローに身を落とし、各地を放浪した。その結果、カラスバを捨てられるはずだったんだ。だが先日、その封印も自分自身で破ってしまった。緊急事態によって、な」

 そうしてサイファーは、彼が聖都に向かった後の話を語った。彼は、姉を……いや、義姉を救うためにカラスバを使ったと。そして、二度とタタガミを抜けぬ身体になってしまったこと。

「今まで俺が父だと思っていた人は、あの事件のあとかなり悩んでいたらしい。だが、その後ついに決意して、俺に真実を語ってくれた。俺が養子であり、タタガミよりもカラスバを選ぶ人生は間違っていないとも言ってくれた。そして……」
 サイファーは奥のドアに目をやった。客席の注目もそちらに集まる。
「入って来てくれ」
 ぱたん、と扉が開き、入ってきたのは、真っ白なドレスに身を包んだ……

「俺は今日から、正式に『サイファー・ノアニール』を名乗る。紹介しよう。俺の妻となる、ルクレチアだ」
 彼が言い放ち、ルクレチアがはにかんだような笑みを見せた次の瞬間、客席からは歓声が上がった。
「うおーそうきたか!」バートレーは私の真横で大興奮だ。「そうだよなぁ、あいつら姉弟にしては妙に仲いいとは思ってたよ。血のつながりが無かったらそりゃあくっつくだろうな。まあ、オレは最初からこの展開は読んでたけどな!」
「さっきクラリスとか言ってませんでした?」
「うっせーな細かいことを気にすんじゃねえよ」
 さて、しかしそれでは当のクラリスはなぜ来ていないのでしょう?……そう思った直後に、答えはやってきました。ドリアデスの扉がバンと開けられ、二人の男女が飛び込んできたからです。
 入ってきたのは、クラリス・リートヴィッヒ。……と、その首根っこを捕まえたまま走ってきたのでしょう、トゥインケル・レピチザード。
「……遅れてすまん、サイファー」トゥインケルは息をぜえはあと切らしながら頭を下げます。「このバカチンが一向にヒノハラを出ようとしなくてな。どうしようもないから無理やり引っ張ってきたら遅れちまったんだ」
「ふむ」サイファーは肩を大袈裟にすくめて見せる。「貴様らは、ヒノハラの調査に本格的に乗り出したんだったか。邪魔して悪かったな」
「邪魔だなんてとんでもない。あんたのめでたい話に出なくてどうするんだよ。……だーっ、いい加減起きろバカチン!」
 当のバカチンはトゥインケルの手の下ですうすう寝息を立てています。……あ、起きた。
「あ、サイファーら。おめれとー」
「酔っ払いかお前は! シャンとしろ! 考古学者として恥ずかしくねえのかよ!」
「いやいや、リートヴィッヒなら仕方ない」
「何諦めてんだよサイファー!」

 ひとしきり騒いでいる間に、私はそっと奥に回り、厨房へと向かいました。
 忙しく働く従業員の中で、一人ボトルを開ける女性の姿があります。私は彼女に近づきます。
「エメリアさん、お久しぶりです」
「ありゃ、ホンモノのアリューゼちゃんじゃない」
 私はローブの端を持ち上げ挨拶しました。彼女に会うのは二回目です。一度目は、あなたの消えた日。
「今、お時間よろしいですか?」
「いいわよ、どうせ料理も一段落したしね。ほれ、そこ座りな」
 出してもらった椅子に掛けます。
「貴女は、エメリア・ドリアデスさんですよね」
「そうだけど?」
「……貴女の父は、ネッド・ドリアデスさんなんじゃないですか?」
 城の整理をしていて、ネッドの私物を見るまで、私は彼の名が偽名であるということすら知りませんでした。エメリアの表情から、笑みが消える。やはり、
「貴女は、金龍ですね?」
 こんな森の中の一軒家が、なぜローを持っているのか。それも、納得がいく話です。
 しかし、エメリアは首を横に振りました。
「いいえ」
「とぼけても無駄です。私は確信しているんですよ。ネッド・ラッダイトもといネッド・ドリアデスは金龍だった。その娘のあなたが金龍でないはずが……」
「だから、前提が間違っているのよ」
 エメリアはゆっくりと言いました。
「アタシも父さんも、金龍じゃない。銀龍なんだよ」

 神は、この世界を平和に創造しました。
 だが平穏なばかりでは、社会は腐敗します。そこで神は、人外の危険を増やすことで、人々の結束を固めた、と言われています。その危険の最たるものこそ、銀龍という存在だったのです。五百十七年という一定の間隔で、宿り主の身体を越えて龍が覚醒し、世界を滅ぼさんとする一族。それが、ドリアデス家でした。

「それが、龍戦争」
 エメリアは、淡々と語ります。
「本当なら、そのとき金龍が現れ、銀龍を殺すことで戦争は終わるはずだったの。でもさ、五十年前の金龍……シエラは、親父を殺せなかった。だってシエラは、アタシの母ちゃんだったからね」
「ええっ?」
 ネッドやエメリアもそうですが、龍は人の体内に隠されています。無論、絶対に自分の運命を語らずに生きる。ですから、
「お互いが龍だと知らずに、結婚したわけですか」
「そうだね。その結果、五十年前の『龍の年』に、龍として目覚めた母ちゃんは、親父を殺せずに、封印することしかできなかったんだ。だから、母ちゃんは殺されちゃった。龍を封じられながらも、生き延びた親父は残されたインペリアルの魔石を拾い、山を降りた。その後は、アンタの方が、よく知ってるでしょう?」
 シエラの行動で、龍が出現する間隔は狂い、金龍が死んだにも関わらず銀龍が残っている、という状況が生まれてしまったのです。封印が解けたとき、銀龍を止められる者はいなかったでしょう。だから彼は、その時が来る前に、私やあなたの力を借りて自分自身から世界を守ろうとしていたのです。
 私は深く頭を下げました。
「ありがとう、エメリアさん。やっと、全部納得できました」
 と、そこで私はあることに思い至りました。
「貴女が龍ならば、人の召喚ができるはずです。ベルをもう一度、この世界に呼ぶこともできるのではないですか?」
「うーん、半分正解、ってとこだね」
 難しい顔をするエメリア。
「呼べたとしても、それはもうベルちゃんではないわ。世界を越えたとき、人は全ての記憶を失うの」
「……何ですって?」
「この世界と、ベルちゃんの住む世界は、何もかもが違っている。例えば向こうの世界には、魔法のような技術、『キカイ』がある。魔力を使うことなく、デンキという力を使って火をおこしたり、灯りを点けたりできるのよ。そんな技術が異界人からいきなり入ってきたら大変でしょう? だから、世界を越えるときに人の記憶は失われるの」
 確かに、文明の急速な発展は必ずしも良い結果ばかりを生みません。ローという一つの魔法が見つかっただけで、当時六十万は居たといわれる騎族階級が一気に没落したのです。魔法の代わりができるキカイとやらが入ってきたら、この世界の構造はメチャクチャになってしまうこと間違いありません。それは逆も同じことで、あなたたちの世界に魔法がもたらされては何が起こるかわからない。その可能性を防ぐために記憶を取り去るというのは、乱暴ではあるが確実な方法と言えるでしょう。
 しかし、理屈はわかっても。
「ベルは……もう、リクディムのことを覚えていないんですね」
 クラリス、サイファー、エメリア。そしてたくさんの出会った人々。彼らと過ごした時間を、あなたはもう思い出せないのです。それは、あまりにも悲しい。
 食堂からは、乾杯をしているのでしょう、違った声が次々に乾杯の対象を叫んでいます。
「故郷ヴァレアに」「ノアニール家の繁栄に」などといった声の中、最後にたくさんの声が合わさり、「英雄ベル・エヴァンジェリンに」という声がありました。
 
……何か……何か、方法は無いのでしょうか?
 私たちがあなたの世界に行くわけにもいきません。全員記憶が飛ぶのがオチですからね。……ん? いや、そうじゃありません。
「エメリアさん。世界を越えると、人の記憶は失われるんですね。それなら、龍の記憶はどうなんですか?」

 その日から、私はあなたの使っていた部屋を借り、半年の月日が経ちました。漸く、この文章も現在に追いついたのです。
 私の思いつき。それは、あなたへの手紙をエメリアに届けてもらうことでした。もちろん、魔法の仕組みを詳しく書かない、という条件付きではありますが。贄としてあなたの中から見たことと、リクディムの皆の話を総合し、この手紙は今書き終わろうとしています。
 これがあなた自身のことであるとは到底思えぬかもしれません。夢物語と一蹴されるやもしれません。そもそも読んでくれているかすら疑問なのです。しかし、少しでもいい。心に留めてくれませんか。
 あなたの救った世界があることを。
 そして、あなたのため涙した友がいたことを。

 それでは、最後になりました。じき、エメリアがこの手紙を取りに来るはずです。
 あなたの幸福と活躍を祈り、私はここで最後の手紙の筆を置くことにします。

 

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